東京中央ネットロゴ NPO(特定非営利活動)法人東京中央ネット 東京中央ネットは中央区のポータルサイトです。
東京中央ビジネスナビ参加企業について
検索する
サイトマップ お問い合わせ
HOME > 特集 > 中央区都市観光編 > 第4回 中央区の魚河岸物語り〜築地編
 

 

 東京都中央区築地5丁目2番1号、東京都中央卸売市場築地市場。水産物の取扱い品目が約450種、青果物の取扱い品目が約350種といわれており、築地で扱われる品目の多さは膨大です。敷地面積23万836Fに約5万2000人(1日の入場人員は市場勤務者1万5427人、買い出し人などが3万6344人/平成10年3月27日調査)と約3万2000台の車両でごったがえしているのが築地の毎日です。魚市場としては世界最大規模を誇る築地ですが、築地の歴史は66年と意外に短いのです。どのようにしてこの大きな市場ができたのか、今回は築地魚河岸を取り上げてみました。
 
都市開発と築地魚河岸の誕生
 「築地と言えば魚、魚と言えば築地」といわれ、例えば伊豆の大島で地元の魚が食べられず、築地経由で調達しているという冗談とも本当ともいえる噂がある程です。しかし、築地が現在のような姿になったのは、この70年くらいのことで、それまでは魚と言えば日本橋、築地と言えば海軍でした。それが突然、移転を余儀なくされたのは、大正12(1923)年9月1日の関東大震災によります。この悲惨な大災害が皮肉にも、魚河岸誕生のきっかけとなりました。
 江戸の町は頻繁に火事があり、その大火の災難の度に江戸は整備され、さらに大きく蘇りました。大火は、江戸が東京に改まったからとて、すぐ無くなるわけではなく、明治30年代までは大火事が何度もありました。明治31年に東京市内に消火栓が設置され、ある程度火を止めることができるようになり、大正時代に消防ポンプ自動車が採用になると、大火は少なくなりました。さらに、東京は関東大震災、東京大空襲という悲劇を乗り越えて目まぐるしい復興を遂げました。
 その様な背景の中で発達した都市の真ん中に、大きな市場があることは交通と安眠の妨げになると言われ、明治20年代からは移転問題が具体的に挙がっては延期され続け、大正を迎えました。大正10年に芝離宮払い下げ問題が起き、魚河岸移転の中洲派、芝浦派、移転反対派などそれぞれの思惑がうまく芝離宮で解決するかと思われましたが、払い下げはかなわず、問題を一層複雑にしました。そこに関東大震災が起きたのです。
 復興の第一歩が市場再建でした。9月17日に芝浦にテントによる仮市場ができました。11月30日には東京市が築地海軍技術研究所の敷地を借り受け、バラック店鋪をつくり日本橋魚市場の組合員、付属業者を収容しました。12月1日に開場式、翌2日には営業開始という慌ただしさですが、東京の人々の毎日の食卓に、食料を供給しなければという関係者の強い使命感と努力の賜でした。そして、ここから築地魚市場の歴史がはじまりました。さらに、京橋の大根河岸、芝青果市場、神田多町市場の青果市場が加わり、昭和11年3月16日に築地青果市場として、東京都中央卸売市場築地市場が幕を開けたのです。
 
ちょっと複雑な築地のシステム  
 は出荷者である各地の漁業関係者から市場に運び込まれます。出荷者から依託を受けた卸売業者は仲卸業者に販売し、その仲卸業者の手により売買参加者に販売されます。それぞれの定義は以下のようになっています。

卸売業者=出荷者から販売の依託を受けた生鮮食品を、競り(せり)売りまたは相対取引によって仲卸業者、売買参加者に卸売する者
仲卸業者=卸売業者から買い受けた物品を、市場内店鋪で小売商等買い出し人に販売する者
売買参加者=大口消費者、加工業者及び小売商等のうち、承認を受けて卸売業者から買い受けることのできる者

 ちなみに卸売業者は平成13年4月1日現在で、水産部7社、青果部4社です。以下、仲卸業者は水産部929業者と青果部122業者、売買参加者は水産部375業者と青果部986業者です。
 築地で扱われる水産物の種類は約450種類で、水産物の仲卸業者はさらに業種別に、大物(鮪など)、海老、煉(蒲鉾など)、特種物(貝類など)、北洋(鮭、魚卵)、近海物、遠海物、合物(加工品など)、塩干物(しらす干しなど)などの業会に分かれています。
 築地と言えば威勢の良い「競り(せり)」が連想されます。真夜中にはすでに下見が始まり、鮮度、産地、入荷量を確認し、その日の曜日、天候、需要や景気を考えて落札価格を予定します。競りの時間も前述の種別に分かれ、原則として鮮魚4時40分、うに5時、合物5時、活魚5時20分、大物5時30分、海老5時30分、塩干5時40分となっています(あくまで原則で例外はあります)。魚は生鮮食品ですから、季節、気候で漁獲高は常に異なるため、臨機応変な対処が求められます。仲卸業者の手に渡った450種の水産物は、7時頃からやってくる売買参加者に売られて行きますが、中でも圧倒的に多いのは鮪です。
水産物の王様としての鮪

 クロ、ミナミ、メバチ、キハダ、シロカジキ、メカジキ、マカジキ、クロカジキ、ビンナガ、バショウ、これらはすべて鮪の一種です。遠洋性回遊魚である鮪を捕るために、日本の漁船は世界中に出かけています。
 関東で刺身と言えば鮪。中でも上等のトロが珍重され、山奥の温泉宿でも鮪の刺身が出ることが多いのは、一番良い刺身でもてなそうと言う姿勢があるからでしょう。しかし、鮪が王様となったのは実は戦後のことで、かつてトロが猫跨ぎと言われていたこともありました。猫跨ぎとは需要が無くて大量に道ばたにあり、魚好きの猫も食べ飽きてしまって見向きもしないという事です。
 何故、鮪が水産物の王様になったかはいろいろな見解があり、冷凍技術の発達と交通の発達は確かな要因と言えます。
 元来、回遊性の魚は傷みが激しく、鮪の巨体は冷凍技術が重要なカギを握っていました。昭和31(1956)年には築地に入ってくる魚の70%近くが貨車で、トラックは20%でした。それが現在ではほとんど100%近くがトラックに代わり、完全に冷凍され、漁港から直接運び込まれるにつれ、鮪の消費は加速されていきました。寿司屋で「鮪の良いものを入れないと商売にならない」と言うほどあって、刺身や握り寿司は言うに及ばず、ビジネス街の昼の定番メニューの鉄火丼、ヅケ丼、中落ち丼、ねぎトロ丼なども根強い人気があります。
 鮪に限らずに私たち日本人は魚食の食文化を持っています。どんなに生活が変貌し、健康食品や栄養サプリメントが発達しても、魚の匂い、歯ごたえ、味と形を楽しむ食文化は永遠になくなることはないでしょう。
 世界一とさえ言われる大市場である築地。築地ブランドが支えているのは、取り扱われる魚の価格や価値だけではなく、我々の食生活への心構えなのかも知れません。

 
 

2001年6月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
copyright2004 Tokyochuo.net All Rights Reserved.
東京中央ネットについて 東京中央ビジネスナビについて このサイトについて プライバシーポリシー