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今月の顔-2004.7 バックナンバーはこちら
松井建設株式会社社長 松井角平
今回の「今月の顔」は、日本の社寺建築のパイオニア・松井建設株式会社社長の松井角平さんです。創業以来400年余、培われた伝統技術から最新の技術までを駆使し、築地本願寺をはじめ、水天宮辧財天他、皇居半蔵門・坂下門、中尊寺金色堂新覆堂、目黒不動尊瀧泉寺本堂など、全国各地、多くの神社仏閣の再建・修復を手がけてこられました。中央区との関わりや、伝統技術の継承、後進育成など多岐に渡るお話を伺いました。インタビュー映像がご覧いただけます。

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【座右の銘】身分相応、腹八分 プロフィール (略歴) 昭和6(1931)年8月生まれ 昭和29(1954)年3月 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 同年4月 松井建設株式会社入社 昭和33(1958)年5月 同社取締役秘書室長就任 昭和34(1959)年10月 同社取締役人事部長就任 昭和35(1960)年5月 同社常務取締役就任 昭和37(1962)年6月 同社取締役副社長就任 昭和43(1968)年5月 同社代表取締役社長就任、現在に至る 平成元(1989)年11月 16代目・松井角平を襲名

築地本願寺 水天宮
日本の建築業界では最も古い歴史をお持ちですが、現在に至る簡単な経緯と、中央区との関わりについてお聞かせください。   初代・角右衛門が加賀藩主前田利長公の命を受け、越中守山城(現・富山県高岡市)の普請に従事し、「拝領地大工」として書状を戴いたのが安土桃山時代の天正14(1586)年で、これをもって弊社の創業としています。伏見城や小田原城の普請にも携わり、前田家より拝領した現・富山県井波町を本拠地として、北信越、北海道などの社寺建築を手がけてまいりました。以来営々と続き、今年(平成16年)で418年になります。
  東京進出は大正12(1923)年です。先代・父(15代目角平)が東京帝国大学(現・東京大学)の恩師・伊東忠太氏の依頼で新橋演舞場建設に携わっていた折りに関東大震災に遭遇しました。惨状を目の当たりにした父は、首都の復興に尽力することこそ建設業者の使命と強く感じ、京橋区金六町(現・中央区東銀座)に松井組東京出張所を開設しました。昭和6(1931)年には震災で焼失した西本願寺築地別院(築地本願寺)復興工事(昭和9年竣工)を請け負い、現在の会社の基礎を固め、昭和14(1939)年に株式会社松井組を京橋区入舟町(現・中央区明石町)に設立しました。
  第二次世界大戦後(昭和20年以降)は社寺建築で培った技術を一般建築にも広げ、昭和23(1948)年には松井建設株式会社と改称し、日本橋江戸橋に本社を移しました。昭和28(1933)年から港区芝田村町にありましたが、昭和47(1972)年に再び中央区(新川)に移転し、現在に至ります。築地本願寺復興を始め、水天宮の増改築など中央区との関わりは大変深いと言えますね。
ご自身と中央区との関わりや、街の印象の移り変わりについてお話し下さい。   中央区とは、本社を新川に移してからも 32 年間のお付き合いとなります。移転当時のこの界隈は「中央区のはずれ」という感じでした。表通りにはまだ都電が走っていましたし、弊社の社屋がこの界隈では一番高く、他はほとんどが木造の建物で、裏通りには倉庫が多かったですね。ビルの屋上からは富士山が見えましたし、新しい社屋なので居心地は良かったのですが、以前の芝田村町に比べると商業地としての賑わいに欠け、落胆する社員もいました。今ではオフィスビルが建ち並び、この 30 年で大幅に様子が変化したと思います。
16代目社長に就任され、特に力を注いでこられたのはどのようなことでしょうか。 昭和43年に37歳で社長になりましたが、やはり弊社の根幹は社寺建築ですので、その部門の強化推進のために営業・技術プロジェクトを立ち上げ、力を入れて参りました。私自身、日本各地の様々な神社仏閣を拝見していますし、インドの仏跡行脚などもしましたから、この部門は歴史的・文化的価値のある仕事として誇りと自信を持っています。400年余培われてきた技術には信用があり、他社との差別化を図る意味では強みになっていると自負しておりますので、今後も「社寺の松井」の名に恥じない仕事を行っていきたいと思っています。 また、伝統建築の技術を現代建築に活かして「多重塔建築方法及びその心柱構造体」の特許取得や、MST(マスト)免震システムの特許も出願中です。「ビッグカンパニー」よりも、確かな技術力を持つ「ベストカンパニー」であることを常に心掛けています。
インタビュー風景
信条 社訓
代々受け継がれてきた信条や社訓はございますか。   「信用日本一」「工匠精神」というのが、弊社のモットーとされています。建築物は長期に渡り、沢山の方々の目に留まりながら残っていくものですから、中途半端な仕事はできません。特に社寺は全てオーダーメイドなので、状況に応じた細かい技術が必要とされます。人はその確かな技術に基づいて完成された建築物を見て評価し、それが後々の信用に繋がります。つまり、仕事が仕事を呼ぶということです。
社寺建築の将来性をどのように捉えていらっしゃいますか。   築地本願寺は先代が請け負った大プロジェクトで、当時から寺院としてはかなり画期的なものでした。古代インド様式を基調にした建物で、内部は日本古来の桃山様式、それらが非常に調和した形で折衷しています。また、本堂は土足で入れるように絨毯敷きとし、椅子席になっています。これは東京の築地という立地を考慮し、外国の方々にも開かれた寺院とするべく、国際性を考えて設計したからです。昭和9(1934)年の竣工から70年の時を経た今日でさえ、感動を与えてくれる建築物だと思います。 現代の若い人々も正座が苦手なので、新築や改修工事の際には本堂や本殿には椅子を置くように提案しています。加えて、日本の社寺は軒の出が長く、内部が暗くなりがちですが、これも改善して明るいイメージを創出すべく努めています。いかに有名な社寺仏閣であろうと、魅力が乏しければ人は訪れないでしょう。伝統は伝統として受け継ぐと同時に、良いものは残し、新しいものを取り入れていく努力も必要なのではないかと思います。
これまでの人生で、印象的な出会いや出来事がございましたらお聞かせ下さい。   個人的にはあまり意識したことがないのですが、中央区に本社があるということで、良い意味で評価されていると思います。また、最近は都心部のマンション建設ラッシュで、中央区も居住空間として人気が高まっていることが実感としてあります。現在、弊社の建築工事の約40%を住宅が占め、社寺を大幅に上回っている中で、若手の営業部員が首都東京の中心とも言える中央区で建設中の様々な物件を見て回り、時代のニーズを把握することに務めています。更に、施工中の弊社作業所において、地域住民の皆様のために品質管理と環境美化に関しての取り組みを行っています。今後とも中央区にある企業として恥じぬよう、快適で心安らげる住環境を造り、中央区に貢献していきたいと考えています。

インタビュー風景
インタビュー風景 これまでの人生で、印象に残る出会いや出来事がございましたらお聞かせ下さい。  東京商工会議所の中央支部副会長としてお手伝いをしている関係で、中央区の他業種の方々と交流する機会が多いのですが、その中から個人的にお付き合いをする友人も増え、楽しく務めさせて頂いています。このような仲間達との出会いが、私の人生における最も印象的な出来事だと言えるでしょう。本音で語ることのできる友人が大勢いることが、私にとってかけがえのない人生の宝だと思っています。
最後になりますが、次世代を担う若者たちへのメッセージをひと言お願いいたします。   現代社会はデジタル化が進み、コミュニケーションの手段としてメールを利用するなど、非常に便利になっています。その利便性は否定しませんが、絶対的なものと思って頼りすぎてはいけないと思います。コミュニケーションの基本は、直接顔を合わせ、相手の表情や動静を感じながら会話することです。若い社員には、「ともかく外に出ろ」と言っています。実際に目で見、耳で聞き、触れる、そういった感覚を大事にして欲しいと思います。

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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