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今月の顔-2004.12 バックナンバーはこちら
株式会社黒江屋取締役会長 柏原 孫左衛門
今回の「今月の顔」は、漆器の老舗、株式会社黒江屋の取締役会長柏原孫左衛門さんです。戦後の生活様式が急速に欧米化の波に押されつつも、日本橋の袂で日本古来の伝統工芸である漆器の販売会社として「のれん」を守り続けて来られた柏原会長。漆器本来のもつ素晴らしさと多様な商品のラインナップをはじめ、老舗の人々との交流、街の移り変わりや日本橋の擬宝珠(ぎぼし)などについてお話を伺いました。 インタビュー映像がご覧いただけます。 Windows Media Player ソフトのダウンロード Windows Media Player BB Windows Media Player 56K Real Player ソフトのダウンロード Real Player 56K Real Player BB 【座右の銘】素其位而行 不願乎其他
       (自分の立場や実力を理解し、十分に力を尽せ)の意=中庸の言葉略歴 昭和9(1934)年11月生まれ
昭和32年3月   慶應義塾大学工学部機械科卒業
同 年 4月    三菱日本重工業株式会社入社 
昭和38年3月   同 社 退社        
同 年 4月   (株)柏原洋紙店(現柏原紙商事(株))入社
昭和45年7月   (株)黒江屋 取締役就任
昭和47年5月   同 社    取締役副社長就任
昭和53年5月   同 社    取締役社長就任
平成6年5月    同 社    取締役会長就任、現在に至る
昭和47年4月   柏原紙商事(株)取締役社長
平成11年12月	柏原紙商事(株)取締役会長就任、柏原ビル(株)、丸柏ビル(株)、柏原倉庫(株)の代表取締役を兼任
柏原氏
元禄2(1689)年の創業以来、315年という長い歴史をお持ちですが、現在に至る経緯、中央区との関わりについてお聞かせください。  黒江屋は、漆器の産地であった紀伊の国名草郡の黒江村というところから江戸に出て、日本橋本町4丁目に店を起こしたのが初まりになります。創業から85年後の安永3(1774)年に、諸事情があり、私ども柏原家が経営権を引き継ぎました。柏原家はもともと「柏屋」の屋号で、京都で手広く小間物や呉服の商売をしており、また、江戸では同じ本町で木綿問屋を営んでいましたので、家業のひとつに漆器販売が加わったというわけです。木綿問屋は、その後紆余曲折を経て洋紙販売に移行し、現在は柏原紙商事株式会社となっております。「黒江屋」というのは漆器の産地にちなんだ屋号で、安政3(1856)年に本町の店が手狭になったこともあり、今の日本橋脇に移りました。商売は江戸から明治期にかけ繁盛し、明治23(1890)年版の商人名家集「東京買物独案内」という書籍にも紹介されています。大正12(1923)年に株式会社となり、現在に至り、日本橋との関係は300年を超える永きに渡っています。
昭和45(1970)年に取締役に就任されていますが、当時の日本橋界隈の印象や中央区との関わりについて、お話しください。  私自身は上海の生まれですので、中央区との関わりは、大学生の頃に時折銀座を訪れる程度でした。昭和38年の柏原洋紙店(現・株式会社柏原紙商事)入社後、日本橋に通うようになりました。当時は京橋から中央通りを通ってくると、ビルの合間に古い建物がポツリポツリと残っている状態でしたね。弊社は、まだ木造平屋の古い店舗で、なかでも目立って古かったと記憶しています。現在のビルを建設したのは昭和47年で、高度成長の時代を反映するかのように、中央通りはほとんど銀行が占めていました。ここ数年は日本橋地域の再開発が進み、様々な商店も増え、表通りのショーウインドにも華やかさが加わったような気がしています。昭和53年に取締役社長、平成6(1994)年には取締役会長に就任され、とくに力を注がれてきたお仕事についてお聞かせください。  漆器は自然の素材を利用して手間と時間をかけて仕上げられる塗り物です。化学塗料が主流になりつつある昨今ですが、漆ほど優秀な天然の塗料はありません。年数がたつほどその風合いや味わいは増してきますし、なによりも温もりが感じられます。木地を吟味し、重ねて漆をかけた本塗りの漆器は、日本の誇るべき伝統工芸品だと思っています。戦後、日本人の生活が急速に欧米化し、日常品から調度品まで洋風のものが主流になっています。漆器は高価で手入れが難しいというイメージが先行しがちですが、漆器本来の良さを十分にご理解頂き、末永く愛用して欲しいと思っています。

 漆器の素晴らしさをたくさんの方に知って頂くために、産地と協力しつつ様々な模索を続けています。木の粉と樹脂を混ぜたもので木地を形成し、それに漆をかけて強度や軽さを出したり、価格をお求め安くするなど工夫して、現代にアピールする多種多様な商品をご提供出来るよう努めています。

 日常品から趣味の工芸品、外国の方へのお土産など用途に合わせてお選び頂きたいと思います。また、お得意様サービスとして、黒江屋独自の“うるしカード会員”制度を設け、年に数回のセールも開催しております。お手入れの方法、お手持ち品の修理など、漆器関連の情報を満載した黒江屋のウエブサイトもございますので、是非ご覧ください。
http://www.kuroeya.com/

インタビュー風景
商品

代々受け継がれている社訓あるいは家訓、また、お仕事をされる上での信条はどのようなことでしょうか。   今日まで「のれん」を守れてこれたのは、簡略に言えば「お客様を大切に、一時的な利に惑わされずに、まじめに、商売をしなさい」ということだと思います。柏原家は私で11代目になりますが、もともとは京都を本拠にしており、先々代までは住まいも京都でした。その屋敷が現在「洛東遺芳館」という資料館になっており、江戸期から伝わる商家の貴重な資料や、美術工芸品が保存されています。洛東遺芳館は年に2回、春と秋に期間を定めて一般公開されておりますので、興味のある方はぜひ一度お尋ねください。(洛東遺芳館 京都市東山区問屋町通五条下る三丁目西橋町472 TEL075-561-1045)

中央区を仕事場とされ、良いと思われること、また、お気に入りの場所などがございますか。   首都圏の中心地として、時代や社会を捉える先進性、交通の利便性、また、商業地としての長い歴史など、いろいろな点で恵まれた地域だと思います。わたし個人としては、毎日、仕事場から橋と川の流れが眺められ、とても心落ち着く場所でもあります。先達たちの築き上げてきたものを大切に、地域発展のために尽力出来ればと思っています。 インタビュー風景
御社には日本橋の擬宝珠(ぎぼし)が保存されていると伺いましたが。   戦後の混乱した一時期に、漆器以外にも下駄やぞうりなど雑多なものも店に置いていた頃がありました。その当時、骨董品屋か古買商と間違えてか、日本橋が木造の頃の擬宝珠を売りに来られた方がいたそうです。日本橋の袂で店を構え300年余が経ち、これも何かのご縁と引き取り、仕舞い込んであったのですが、よく調べて見ると「万治元年戊戌年(1658年)9月吉日 日本橋御大工椎名兵庫」と刻印がありました。古く由緒あるものだと分かりましたので、多くの方々に見て頂こうと、現在はビル入り口のショーケースに飾り公開しております。日本橋1丁目の神輿には、この古い擬宝珠を模倣して作られた擬宝珠が乗っていて、お祭りの時には一般的な鳳凰の神輿と、擬宝珠神輿が交互に繰り出します。擬宝珠神輿は、この地域ならではの珍しいものではないでしょうか。弊社の社員も担ぎ手として、参加を楽しみにしているようです。 日本橋と「擬宝珠」
これまでの人生で、心に残る出来事、人との出会いがありましたらお話ください。   日本橋はたいへん老舗の多いところです。商売の種類は異なっても、老舗という同じ立場で「のれん」を守り継承してきた方々と親しくさせて頂いています。そのような、この地にあってこそ生まれた人との関わりが、私自身、仕事をする上で非常に力にもなり、助けにもなっていると思います。また、ロータリークラブなどの地域活動を通して、諸先輩の教えを様々享受させて頂いたからこそ今日があるのだと感じております。
 
インタビュー風景

最後に、次世代を担う若者たちにひと言メッセージを頂けますか。   現代の若者たちは、知識習得の点では非常に優れていると思います。ただ、その知識を実践で活かし、社会に貢献するためには、“心”と申しますか、人間性が大切です。とくに戦後は、道徳とか倫理感といったことが軽んじられる風潮のように思えますが、時代や体制が変わっても“人間としての基本的な心”は変わらないと思います。その心を養い、大切にして欲しいと思います。


2004年12月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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