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略歴
昭和14年4月27日 兵庫県生まれ
昭和 37 年 3 月 慶應義塾大学商学部 卒業
昭和 37 年 4 月 味の素株式会社入社
昭和 42 年 4 月   株式会社國分商店(現 国分株式会社)入社
昭和 52 年 3 月   代表取締役副社長
平成 3 年 3 月   代表取締役社長
平成 4 年 5 月   襲名許可により12代目國分勘兵衛に改名
現在   東京商工会議所商業卸売部会副部会長・流通委員長
社団法人日本加工食品卸協会会長
全国卸売酒販組合会長
東京都卸売酒販組合理事
東京商工会議所中央支部副会長
社団法人日本橋法人会理事(税制担当副会長)
趣味は読書、ゴルフ、旅行など。


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今回の「今月の顔」は、国分株式会社社長、国分勘兵衛さんです。正徳2年(1712)に江戸で創業して以来、290年の歴史を刻み、環境の変化・時代の変遷を的確に見極め、良い品をより安く消費者にお届けすることに徹してきた国分株式会社。平成4年5月、12代目国分勘兵衛に改名し、代々受け継いできた問屋業、また、K&Kブランドとしての製造業に加え、新たにコンビニエンス系のチェーンビジネスにも鋭意邁進されている社長の現在のお考えをお聞かせいただきました。

正徳2年(1712)に、日本橋1丁目1番地1号という現在の地に店舗を開設されたと伺いましたが。
 創業当時からずっと現在地にいたというわけではありません。 徳川幕府ができると、江戸には地方からいろいろな商人が集まりました。例えば、白木屋(東急)の辺には近江商人、魚河岸のあたりには紀州の商人がやってきました。また、今の三越から小伝馬町にかけて伊勢商人がまとまって店を開いていたようです。 私ども国分は、正徳2年(1712)、四代目勘兵衛宗山の時に、伊勢から富山という豪商について江戸に来ました。商売をするうちに縁あって、常陸の国、今の土浦で醤油の醸造をすることになりました。造った醤油は大消費地である江戸に持ってきて販売する為、土浦から船に乗せて霞ヶ浦、牛堀近辺に出て、利根川をさかのぼり関宿から江戸川を下り、江戸湊に入ってきました。当時日本橋は、日本橋港と言われて魚河岸があり、江戸の中心地でした。創業時は三越の裏の方(本町)に店鋪があったようですが、それから50年くらい経って荷物を集積する利便性を考え、運河の岸辺の現在地に移りました。
 
今年で創立290年となりますが、代々受け継がれている指針・家訓はおありでしょうか。
 国分は、江戸から明治、大正、昭和を経て平成へと、さまざまな時代や環境の変化に対応しながら長い歴史を刻んできました。その中で、商売の細部にいたるまで受け継いできたものもあります。また現在、産業構造全体を見直す一大転換期を迎えるなかで新たに生み出される指針も多くあります。それらをすべてお話しすることはできませんが、一言で表現するとすれば、「信用」という言葉に集約されるでしょう。信用さえあれば、人も、物も、そして最も重要な情報も入手することができます。ですから、国分では創業以来、信用第一ということを大切にして商売をやっております。
 
12代目勘兵衛として特に手がけられていることはありますでしょうか。
 我々のような問屋とか中間流通業者は、環境にあわせて商売をしますので、環境の変化とともに商売の内容も変わってきます。そのような変化に沿って方針を決めて行きます。私の代になってから何かを始めたということではなくて、歴史の中でつながっているものを着実に積み上げていくというのが現実です。酒類・食料品関係の問屋業とあわせて、コミュニティストアという名前でコンビニエンス系のチェーンビジネスを展開しています。また、K&Kはブランドとして昔から有名ですが、K&K製品や、総菜・乾物関係のメーカー的な事業も進めております。つまり、環境に合わせながら、環境を一歩先取りする形で仕事をすることがわが社の現在のありかたです。
 
日本橋地域の方はこの地区で生まれ育った方が多いのですが、國分社長の場合は
  私は兵庫県で生まれ、勤めるときになり初めて日本橋と縁を持ったことになります。日本橋の老舗は、ここで商売し生まれ育っている人が多いですね。関東大震災後に、家庭を移して商売と家庭を分けるようになったようです。私どもは、もっと昔に家庭と職場を離しておりました。 昭和49年に現社屋が完成した頃、帝国大麻の赤レンガや東海銀行のビルがまだ残っていた事が思い出されます。
 
環境にあわせた事業展開をする上で、日本橋に本店を持っていることのメリットはいかがでしょうか。
何ごとにつけても非常に大きな資産となっています。「会社はどちらですか。」と聞かれても日本橋1丁目1番1号と答えれば済んでしまう。それ以上説明する必要がないですね。これだけでもとても便利ですし、道路原標から一番近い会社ということになりますね。
 
その日本橋の上にかかる高速道路の地下化など、この地域の活性化についてどうお考えでしょうか。
 高速道路を地下に入れて日本橋の風景を昔の形に戻そうという考えは確かに大切だと思います。ただ、実際にはお金がかかりますし、難しい問題もあるのではないでしょうか。京都タワーも建設当時は景観を壊すという理由でいろいろな人が猛反対しましたが、今となっては、それが京都の一つの風景としてなじんでいるように感じます。日本橋も現代の若者にとっては、特別な違和感を持ってないのではないでしょうか。将来、高速道路が混雑して根本的な解決策を考えなくてはならなくなったときに、改めて考慮するのも1つの考え方だと思います。
 
社団法人日本橋法人会理事(税制担当副会長)、また、東京商工会議所中央支部副会長のお立場から中央区をご覧になった場合にどうお考えでしょうか。
 中央区は住む場所としてよりも仕事をする場、ビジネス街です。ここで働いている人は中央区に税金を納めないので、中央区に税金が入らない。街を活性化していく為には、中央区に勤める人から税金を納めていただく工夫が必要だと思います。石原東京都知事が提唱している外形標準課税に対して反対する人が多いのですが、別の形でも結構ですから、中央区に税金が入る方法を考えなくてはいけないでしょうね。
 
次世代を担う若者たちに一言。
 「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」という言葉が『学問ノススメ』に記されています。自分がきちんとしないと、家庭の独立もないし、会社も独立しない、ひいては国も国際的な役割を果たすことができません。福沢諭吉先生の教えにある独立自尊、人に頼らず自分で自立して生きていくことが大切だと思います。これからの若い人たちにも、是非この信念を持って仕事に、人生に励んでいただきたいと思います。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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