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略歴
昭和17年8月 東京 生まれ
昭和40年3月   慶応義塾大学 経済学部卒業
同年3月   株式会社高島屋 入社
平成元年3月   同社 本社開発本部副本部長、兼本社事業開発部長
平成5年4月   同社 新宿出店準備室副室長
平成7年9月   同社 本社管理本部総務部副部長、兼新宿出店準備室副室長
平成9年3月   同社 玉川店長
平成13年3月   同社 取締役東京店長 現在に至る


趣味は写真撮影、ゴルフ、料理。

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 今回の「今月の顔」は、高島屋東京店店長、磯村雅一さんです。磯村さんは、入社以来四十年近くの「日本橋通」。過酷な流通業界のリーダー役として手腕を発揮すると同時に、「日本橋まつり」など、地域全体の発展にも力を注がれ、「競争と協業」を実践してこられました。ゆとり、やすらぎ、つどいの「百の華」を売る百華店・高島屋の企業精神、無限に存在する付加価値の追求、さらにはご自身が大切にされている「人」との繋がりなど、興味深いお話を伺いました。

高島屋は、天保2(1831)年京都での創業と伺っていますが、東京進出はいつ頃のことでしょうか。日本橋に拠を構えられた理由など、簡単にお聞かせ下さい。
 初代飯田新七が古着、木綿商として京都で店を起こし、屋号を「たかしまや」としたのが始まりです。明治期には、世界の万国博覧会に豪華絢爛な刺繍作品を出展するなど「高島屋」の名を広め、今の百貨店の原形ともいえるショウウインドウスタイルを登場させ、評判を呼びました。さらに1922(大正11)年、大阪の長堀に新店舗を開き、近代的な百貨店経営に着手し、東京で現在の場所に進出したのは、1933(昭和8)年のことです。当時の日本橋は卸問屋さんが多く集まっており、非常に商業の盛んな地域でした。出店に際して、日本の政治・経済の中心として、東京で一番の立地を選んだということでしょう。
 
創業以来受け継がれている社訓、社風のようなものがありますか。
 高島屋には初代から伝わる、創業の精神として4つの項目からなる「店是」(てんぜ)というものがあります。

「確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし」
「正札に掛値なし」
「商品の良否は、明らかにこれを顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず」
「顧客の待遇を平等にし、卑しくも貧富貴賎に依りて、差等を附すべからず」

といった内容で、現在もなお経営の理念として、また社員ひとりひとりの基本的な心構えとして、創業以来170余年脈脈と受け継がれています。社風としては、常に新しいものを模索する、時代に先駆けたチャレンジ精神が旺盛なことだと思います。百貨店として店舗に空調(冷暖房)設備をはじめて取り入れ、日本橋店の屋上に象を連れてきて話題を呼びました。ヨーロッパのスーパーブランドを導入して、サロン・ル・シックを手がけたのも最初だと思います。また、美術品の販売も歴史があり、文化基金を設立し日本の若手美術家の育成、サポートにも力を注いで来ました。
 
東京店長として、とくに力を注がれてきたこと、今後の展望についてお聞かせ下さい。
 ワン・ストップ・ショッピングと言われ、かつては百貨店がすべての生活領域を賄ってきた時期がありました。しかし昨今は、スーパー、コンビニエンスストアや専門店といった小売業の業態の多様化で、百貨店が単に百貨を売る時代ではなくなってきています。そこで、われわれ百貨店に求められているのは何かということを模索しつづけてきました。無限にある付加価値(人、物、器、環境)をいかに追求し、磨きをかけていくかに私どもの活路があるということに至りました。「ゆとり」、「やすらぎ」、「つどい」は、まさにその付加価値を表現しており、高島屋の百貨は付加価値の「百華」だと考えています。いかに心地よく、お客様にお買い物をしていただけるかなど、今後も高島屋ならではの価値観を追求し、アピールして行きたいと思っております。
 東京店は、高島屋の中でもやはり基準になる店で、お客様の便利さを考えた試みをいろいろ行ってきました。オフィス街という場所柄でもあり、昨年から営業時間を30分延長し、仕事が終わってからゆっくりお買い物をしていただけるよう、さらに5時以降の様々なサービス(トワイライトサービス)も加えました。また地域に根ざした上質生活のサポートとして、食料品のデリバリーサービスと熟年ご夫婦やシングルの方用に、一人用、小分けパックの導入など、お客様の立場に立ったきめの細かいサービスを展開しています。
 
店長ご自身は東京のご出身ということですが、中央区・日本橋との関わりは会社に入られてからでしょうか。
   親に連れられて買い物に来てはいましたが、子供の頃の印象は「デパートの賑やかさ」ぐらいで、関わりはありませんでした。しかしながら、入社して以来、玉川店に出ていた数年をのぞいて、仕事場はほぼ日本橋で40年ちかくになり、日本橋まつりのお手伝いもさせていただいています。地域全体で街をおこし、日本橋をアピールしていくことが、これからの時代ますます必要になってくると思いますね。
 
今年は日本橋創架400年でいろいろな行事も予定されていますが、会社として、地域活性化のためにされているイベントなどがありましたらお聞かせ下さい。
 三越さんとの共同企画による「日本橋まつり」は今年で5年目になり、回を重ねるごとに新しい企画がいろいろ持ち上がり地元をはじめ訪れる方々に楽しんで頂いております。2002年には、日本橋の橋の上で、北(三越側)と南(高島屋側)に分かれ地区対抗の大綱引きが行われ話題を呼びました。今年のイベントは、現在プロジェクトを組んでプランニングの検討中です。「名橋保存会」の行事などにもあわせて、創架400年のお祝いを盛大にしたいと思っています。具体的な内容は、乞うご期待といったところです。
 
今後の日本橋地区の再開発により日本橋界隈の変貌が予想されますが、どのようにお考えですか。
 地域としての発展的変貌は喜ばしいことです。日本橋には伝統ある老舗、名店が沢山ありますし、昔からのパートナーシップを大切に、新しい販売のトライなどをして行きたいと思っています。同業の三越さんをはじめ、地域の皆さんともより一層連携をはかっていければと思っています。これからの時代は、ハイブリッドな組み合わせ、パートナーシップを結ぶことによって、街全体の魅力に磨きがかかり、活気が生まれるのではないでしょうか。競争と協業(地域おこしの観点で)のバランスは非常に良くとれている地域ですから、今後の発展にかける期待は大きいですね。
 
これまでの人生の中で、とくに心に残る思い出、人との出会いなどがありましたらお聞かせください。
 父を早くに亡くしており、伯父が父親がわりでした。その伯父に常々言われていたことですが 「人は財産だよ」という言葉が印象的で、人に尽くし、人を大切にすることを、学生時代から社会人となり今日に至るまで、心して実践してきたつもりです。人間は、生きていく上でひとりの力はたかだかしれているものです。多くの人に出会い、付き合いを通して、支えられ、個人の器が出来上がっているというのが実感です。数年前から、「私の人生を支えた1万人」というテーマで趣味の写真を撮りはじめました。1万人はオーバーかもしれませんが、ポートレートの数が増えていくのが楽しみです。
中央区の次世代を担う若い人たちに、なにかひと言お願いいたします。
 感覚的な表現になりますが、「遠くからみえる、存在感のある人間」になって欲しいと思いますね。今の若い人たちは、あふれる情報の中で、多少流されているようにも感じられます。自分の個性をしっかり見つめ、磨きをかけて、存在感のある人になることが必要ではないでしょうか。マイウエイもいいのですが、人に支えられて生きていることを常に忘れずに、頑張ってください。

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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