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略歴
昭和45年1月  アメリカ・ロスアンジェルス 生まれ
平成4年3月 慶応義塾大学法学部卒業
平成4年4月 ぺんてる株式会社入社(国内営業本部 東京支店配属)
平成6年4月 同社海外営業本部 アメリカブロック部勤務
平成6年6月 ジョージ・ワシントン大学 経営大学院に2年間留学(MBA取得)
平成8年6月 帰国後、同社海外営業本部 貿易企画部勤務
平成9年12月 同社国内営業本部 係長
平成10年5月 同社国内営業本部 プレゼンテーションセンター室長
平成10年12月 同社工場管理部次長
平成11年6月 同社 取締役開発部長就任
平成12年6月   同社 専務取締役就任 (経営戦略室、開発部、電子機器・機設・OEM事業部担当)
平成14年6月 代表取締役社長就任 現在に至る
趣味は、動物ウォッチング、カヌー、映画鑑賞、超合金収集
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今回の「今月の顔」はぺんてる株式会社の若きリーダー堀江圭馬社長です。ぺんてるは文具メーカーとして戦後に設立、サインペンをはじめ数々のヒット商品を産み出し、世界の一流ブランドに発展してきました。その三代目後継者は、培われた会社の製品開発力と品質の良さを武器に、行動力と斬新なアイディアで、新しい時代に向けさらなる挑戦を期しておられます。先代、先々代から受け継がれた“筆記具に対するこだわり”や、地域活動の一端をお伺いしました。
創業の経緯などと、中央区日本橋との関わりをお聞かせ下さい。
 古くは、私の曽祖父が筆づくりの職人で、明治の末期に独立し、「堀江文海堂」という屋号で筆・墨・硯の卸問屋を浅草で営んでいました。それを継いだ祖父の堀江幸夫が、昭和21(1946)年に、現本社ビルのある日本橋小網町を本拠地として、大日本文具株式会社を設立しました。なぜ、日本橋小網町だったのかは定かではありませんが、やはり商業の盛んな地という利便性を重視したのではないでしょうか。はじめは問屋業でしたが、文具商品の開発に情熱をかたむけ、新案特許の「ぺんてるくれよん」や「ぺんてるえのぐ」の製造販売を開始しました。
「ぺんてる」のブランド名は、ペインティング(絵具、くれよん、パス等で絵を描くこと)のペンとパステル(固形描画材)のテルからの造語で、昭和26(1951)年に命名されました。その後、筆記具の総称のペン(Pen)とTel(伝える、表現する)のテルをとり、筆記具分野に進出。すぐれた品質とアイデアを持つ新製品を次々と開発し、世界の筆記具ブランドとなりました。昭和46(1971)年には、大日本文具株式会社からぺんてる株式会社に社名を変更し、近年は、テレコミュニケーション(遠距離通信の意)のテルへと、電子機器の分野にも進出しています。時代の変化と会社の成長に対応し、ぺんてる(Pentel)の意味も、拡大発展してきているわけです。
 
戦後に開発された世界の筆記具新製品の多くがぺんてる社製品であるとお聞きしました。ご紹介いただけますか。
 わが社の海外進出のきっかけとなったのが、昭和38(1963)年に発売したサインペンです。当時アメリカのジョンソン大統領に愛用され、爆発的ブームを巻き起こしました。極度の気圧変化に対してもインキの漏れがない品質の良さが認められ、NASAの宇宙プロジェクトにも採用されました。品質に関しては、昭和51(1976)年にデミング賞(品質管理の最高栄誉)を受賞しており、徹底した品質管理は誇りでもあります。また、ノック式のシャープペンシルを開発したのも当社です。シャープペンシルの「ハイポリマー芯」の開発は、0.3ミリ、0.5ミリの細さを可能にするとともに、フィートやインチの世界市場においても、替え芯の規格単位は、ミリがスタンダードなものとして採用されました。さらに、昭和58(1984)年には従来のハケ式に比べて一段と便利なペンタッチ式の修正液を発売し、アジアでの市場を急激に広げました。「自信のないものは作らない!」「世界にないものを創りだそう」というのが、創業以来当社の根底にある信条です。
 
平成14(2002)年、32歳の若さで社長にご就任されましたが、現在のご心境、社長として力を注がれたいことはどのようなことでしょうか。
 入社後10年間は、国内・海外の営業本部での研鑽をはじめ、商品開発や経営戦略の現場にもタッチしてまいりました。まだ若輩ではありますが、アイディアと行動力で、会社の舵取りという大役を精一杯果たして行きたいと思っています。
21世紀に勝ち残るための企業としての大きな視点は2つあります。ひとつはグローバルネットワーク化で、海外23箇所の営業所と5箇所の生産拠点を有効に結び、柔軟でスピーディーな対応を可能にしていきたいと考えています。もうひとつは、「ぺんてる」のブランド価値を更に高める新しい商品開発に力を入れたいと思っています。
 
平成14(2002)年発売のエルゴノミックスという製品は、社長も開発に係わられたと伺いましたが。
 日常生活の中で「書く」という作業に費やされる時間はかなり多いものです。小学生の子供たちから中・高・大学生はもちろんのこと、ビジネスマン、OL、専門家のために、疲れにくく、また書きやすい要素とは何かを科学的に分析しました。そして従来の筆記具では考えられていなかった「第4の支点」を発見したのです。その「第4の支点」を支持する可動式リアグリップの考案と、フロントグリップのラバーに指紋ピッチのパターンを施すことで、指先のスベリやズレを防止し、全く新しい人肌のようなフィット感を実現しました。エルゴノミックスは、人間工学に基づいた特異な形状で、筆記作業を完全にサポートし、長時間筆記の疲れや、握り方による疲労を極限まで軽減しているのです。一度お使いいただくと、その良さがお分かりいただけると思います。発売以前の試行錯誤の段階をつぶさに経験し、私にとっても思い入れのある製品です。商品についての詳しいことは、ぺんてるのHP(http://www.pentel.co.jp/)をご覧ください。
 
社長ご自身と中央区との関わり、中央区の良さなどお聞かせ下さい。
 現在のぺんてる本社ビルが竣工したのが、平成2(1990)年で私が大学2年の時でした。落成式には参列しましたが、入社まではほとんど来たことがなく、入社後もアメリカや工場勤務があり、本社に配属してからの係わりです。ただ、古くからのしっかりした商業地であり、利便性は高く、仕事のしやすい環境です。地元とのおつき合いも、祖父や父から受け継いだ貴重な財産として、大切にしていきたいと思っています。日本橋小網町は中央区の中でも小さな地域ですが、小網神社を中心にまとまっていてお祭りも盛んです。ここ数年、社員ともども楽しく参加しています。都会の中で希薄になりつつある町内、地域の活動がこの中央区の真ん中ではまだまだ健在しており、脈々と受け継がれてきた良さを再認識しています。
 
毎年「世界児童画展」を開催されているということですが。
 昭和45(1970)年の日本万国博のイベントとして第一回世界児童画展を開催したのが初めで、2003年で33回になります。幼稚園から中学生まで国内外39ヶ国から約21万点の子供たちの絵を集め、毎年4月に優秀作品を表彰し、その作品展を国内外各地で1年間かけて開催しています。
子供たちの絵には素晴らしいパワーがあり、観ていると元気がでます。お近くで開催の折には、ぜひご鑑賞ください。
 
これまでの人生で、心に残る人との出会いや出来事などございましたら、お聞かせ下さい。
 出会いというと少しおかしいかもしれませんが、私にとって幼い頃から身近に接し、とても強い印象として残っていることは、祖父や父の仕事に対する姿勢、文具に対する想いといったことです。父は私が高校3年の時に亡くなり、とくに仕事について話をしたことはないのですが、書斎ではいつもペンを手に、白紙に何本も何本も線を連ねていた姿を思い出します。常に書き心地を試していたのでしょう、そこに文具に対する真摯で強烈なこだわりを感じました。
 
まさに、次代を担っていらっしゃいますが、同世代の若者たちへメッセージをひとことお願いいたします。
 成功する秘訣は、“成功するまで、止めないこと”というのは、祖父が良く言っていた言葉ですが、これは大切なことだと思います。なにごともあきらめずに、自分の力を出しきって挑戦すれば、必ず結果はついてくると信じています。学生時代に体育会(カヌー)で鍛えられ、自分自身に勝つことの厳しさも経験しました。自分が「もう十分」と思ったところから、さらに20パーセントは頑張れるのです。ベストを尽くし、不屈の精神で共に頑張りましょう。
 

2003年5月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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