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略歴
昭和10年1月 2代目花柳寿輔の長女として、銀座木挽町に生まれる
昭和15年 5歳で初舞台
昭和30年 青山学院女子短期大学国文科卒業
昭和37年1月 3代目家元襲名式を行う
昭和38年1月 3代目花柳寿輔を襲名披露
昭和44年 日本舞踊協会理事就任 現在は常任理事
芸術祭優秀賞(昭和35年)受賞、日本芸術院会員、中央区古典芸能の会会長

趣味は読書と旅行

 「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」
  ・・・世阿弥の書き残した「風姿花伝」のなかの一節。
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今回の「今月の顔」は、日本舞踊・花柳流のお家元、花柳寿輔さんです。全国に名取り2万4千余を擁する最大流派の総帥として、3代目襲名以来、日本の伝統文化の継承、普及発展にご活躍されています。木挽町のお生まれで、銀座八丁目は幼い頃の遊び場、戦後移られた築地のお稽古場兼お住まいは、純和風の落ち着いた雰囲気で、都心の真ん中とは思えない静かなたたずまいを見せています。中央区の昨今、古典芸能の会の活動や、花柳流舞踊の魅力について一端をお伺いしました。
花柳流の創始から現在にいたる簡単な経緯と、花柳流舞踊の特徴をお聞かせ下さい。
 初代の花柳寿助(のちに寿輔に改める)は、6歳から西川流の西川扇蔵師に師事し、7代目団十郎の門弟として役者修業を積んだ後、歌舞伎の振付師として舞踊に専念。嘉永2(1849)年に、独自の舞踊流派として花柳流を創流いたしました。その後を継いだ私の父2代目寿輔は、古典の伝承とともに、大正13(1924)年に「花柳流舞踊研究会」を発足させ、新しい日本舞踊の表現に真剣に取り組み、新舞踊の名作を数多く創作しております。花柳流の舞踊の特色は、小間(こまかい間のリズム)をとても大切にすることです。その小間が全体の大きなうねりを形成し、たいへん華やかな踊りとなっています。また群舞のできる団体としての特異性も花柳流ならではの魅力だと思います。
 
代々受け継がれている教えや教訓には、どのようなものがございますか。
 踊りは江戸に根付いた文化です。「その時その時を一生懸命生きる」人様のためになり、お天道様に恥じない生き方をするという江戸下町の心意気は、生活全般の信条として受け継がれていると思います。芸に関しては、とくに先代の父から、”出来ることはなんでも一度は自分でやってごらん“とよく言われました。先代は6代目菊五郎さんの部屋子として役者修行もしており、自身も乗馬などたいへん多趣味で好奇心旺盛な人でした。演じる、踊るという芸にとって、無駄になることはひとつもない。人の立ち居振る舞いなど、その様(さま)をよく観ることが大事だと教えられました。
 
3代目を継がれて、とくに力を注いでこられたのはどのようなことでしょうか。
 先代(父)や初代の作品を後世に伝えることが、家元としての第一の務めだと思っております。昨年(2002年)は、ちょうど初代の100回忌、2代目の33回忌という節目の年でもあり、1年半かけて全国11箇所で「追善舞踊会」を催してまいりました。準備に6年ほどかかりましたが、花柳流の踊りを、若い世代に正しく継承してもらう上で大きな成果をあげたと思っております。完全な形で継承するために、2代目の作品27曲の振り付け著作権の公表登録を文化庁にお願い致しました。今後は、古いものを正しく伝承するとともに、「花柳流舞踊研究会」をべースにした新しい創作活動にも力を注いで参りたいと思っております。
また流派をあげての長年にわたる地道な取り組みとして、踊り、長唄や清元など日本の伝統的なものを、とくに若い世代に伝える活動をしています。「日本の子供に、日本の着物で、日本の踊りを」というキャッチフレーズで、全国の幼稚園・小学校に働きかけ、子供たちが日本の古典芸能に触れる機会を少しでも多く作っています。浴衣を着て、やさしい童謡にあわせ、一振りでも自ら踊ってみることが大切だと思います。直接触れるささやかな実践体験が、日本の伝統文化を知り、より深く理解する情操教育の一助になれば幸いと思っております。
 
木挽町でお生まれになられて以来、中央区にお住いということですが、町の移り変わり、中央区の素晴らしさなど、印象をお聞かせ下さい。
 木挽町から銀座界隈は、たいへん川の多い美しい地域でした。生家は築地川、三十間掘に沿って建っており、当時はどこの家でも路地の階段から直接川に降りられるようになっていました。ざりがにやだぼはぜをとったり、小船で東京湾に出たり、2階のベランダから竿をおろせば小魚が釣れたり、川遊びは楽しい思い出です。また、神田の幼稚園や、渋谷の学校には都電に乗って通っていました。今は懐かしい情景となってしまいました。
 戦災で木挽町の家が焼け、戦後この築地に移りました。昔は家に居ながらにしてお月見や大川の花火が見えましたが、いつの間にかビルが増えて、お月見も出来なくなってしまいました。この界隈はずいぶん変わりましたが、本願寺さんや魚市場のあたりはまだ昔の風情が残っています。異国情緒があり、緑の多い聖路加の教会のあたりをとても気に入っていて、若い時はよく行きました。
 
「中央区古典芸能の会」の会長をされていらっしゃいますが、会の趣旨とイベントなどをご紹介ください。
 中央区には踊りをはじめ、鼓、清元、常磐津や長唄などの一流のお師匠さんたちが本当にたくさんいらっしゃいます。かつては新橋の芸者衆が人力車で通える範囲にお稽古場が必要ということもあったのでしょう。また、明治座、歌舞伎座や新橋演舞場などを、仕事場として中央区と関わりを持っていらっしゃる方たちも多く、地域のためになにか私どもで出来ることがあるのではと考え、平成11(1999)年、区の公会堂ホール「日本橋劇場」のオープンを機に「中央区古典芸能の会」を発足いたしました。
年に一度の古典芸能鑑賞会をはじめ、学校を対象とした鑑賞会なども行っております。古典芸能と聞いただけで敷居の高さを感じていらっしゃる方が多いのが現実ですが、その敷居の高さを取り払うことが目的のひとつです。さまざまなジャンルで一流の、本当に良いものを、たくさんの方々に”生“で気軽に見たり聞いたりしていただこうという趣旨です。中央区関係者のご理解も深く、本花道と小迫りを設置し、日本舞踊の定式道具を37番常備した立派なホールもございますし、私たちの活動の励みにもなっております。
 2003(平成15)年は、江戸開府400年を記念して、6月14日に午前と午後2回の鑑賞会を開催いたしました。木遣り、講演、舞踊や演奏などバラエティーにとんだ演目の構成で、みなさん十分にお楽しみいただけたようです。毎年行っていますので、ぜひ機会を見つけて一度ご覧になってください。
 
これまでの人生で、心に残っている出来事、出会いなどがございましたら、お聞かせ下さい。
 その時その時、どなたとの出会いも私にとって大切なものとして残っております。その中で若い頃、円地文子先生、田中澄江先生、井上靖先生など作家の先生がたに親しくして頂いたことは思い出深いことでございます。日常の些細な触れあいの中で、素晴らしいことをたくさん教えていただきました。
 以前、小説の「楼蘭」を舞踊劇にした時に、井上先生が観に来られて、「小説にはほこりがあるが、詩にはほこりがない。僕は詩が好きなのだが、踊りもほこりがないからこんなに美しいのだなあ」とおっしゃってくださいました。その時、ほこりのないほんとうに美しいものを創っていくことが踊り手の使命ではないかと、しっかりとした自覚を持てたような気が致しました。
 
最後に、中央区の次世代を担う若い人たちにメッセージをお願いいたします。
 若い方たちの踊りを見ていて思うのですが、お稽古には熱心で、技術も格段に進歩しています。しかし、没頭する純粋さというか、何かが足りない。これは現代の若者、一般の方たちにも言えることで、趣味でも仕事でも、寝食を忘れ没頭する“熱い心”を見失っているのではないかと思います。物や情報が豊富になった分、自身の中で掘り下げていくことが希薄になっているのではないでしょうか。人生を賭けるほど熱い心を傾けられるものを、どうかひとりひとりが見つけてください。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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