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略歴
1924年 東京・京橋生まれ
1946年 慶応義塾大学経済学部卒業
同  年 株式会社金鳳堂入社
1980年 同社 代表取締役社長就任
  現在に至る

その他役職
東京商工会議所常議員、東京商工会議所中央支部副会長、社団法人日本専門店協会相談役、全日本眼鏡連盟名誉顧問、東京販売士協会会長、東京中央大通会名誉会長、学校法人東京オプトメトリックカレッジ理事、日本小売業協会監事

趣味は、油絵

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 今回の「今月の顔」は、明治20年創業、日本の草分け的な眼鏡専門店「金鳳堂」の4代目社長小柳重隆さんです。「正しい眼鏡をつくる」というお仕事にかけてこられた信条と情熱、専門店協会や東京中央大通会会長としてのお立場での地域活性化活動など。京橋に生まれ、大正、昭和、平成という時の流れをつぶさにご覧になった小柳さんならではの、エネルギッシュで興味深いお話を伺いました。
明治20(1887)年創業ということですが、その経緯や、京橋を本拠地とされた理由などについて、お聞かせ下さい。

 私の祖父(栄一)は、九州の出身ですが広島や大阪でいろいろ苦労をし、明治時代に東京に出てきました。文明開化の気運をとらえ、輸入貿易の仕事で店を起こしました。はじめはいろいろ新しい商品を扱っていたようですが、その中でも特に「眼鏡」に興味をもったようです。それで、二人の息子をヨーロッパとアメリカに送り、眼鏡専門店としての知識と技術を取り入れました。まず伯父をヨーロッパに出し商店のあり方を学ばせ、さらにアメリカに4年間留学した父には、眼鏡学の学科と実地の勉強をさせました。そのため戦前から最新の機材を揃えた店として、非常に繁盛したそうです。
 初めの店は八重洲通り付近にありましたが、八重洲通りを広げる行政区画で、大正時代に京橋に移りました。当時日本橋と京橋は同じ町続きで、日本橋は河岸を中心に食料品を扱う店が多く、この京橋近辺は、輸入品、貿易品を取り扱う洋品店や靴屋や雑貨店などが多かったと聞いています。私の生まれた頃にも、まだ昔の商家の形態が残っていました。当時は間口の広さで税金がかけられていたので、間口が3〜4間、奥行きが20間という細長い店構えでした。戦争で銀座の店は空襲で焼け、京橋は強制疎開となりましたが、機材は、幸いにも鎌倉に移してありましたので、昭和20年末には高島屋と伊勢丹にショーケースをおいてスタート、まもなく京橋の店も復興しました。戦後復興時は供給が追いつかないほどの活況でした。

 
子供の頃、また、戦後間もない昭和21(1946)年、入社当時の京橋界隈の様子をお聞かせ下さい。
 昔は店と住まいが一緒で、私が生まれたのはこの場所です。中学2年位まで、ここで過ごしました。子供の頃は、通りには既に市電が走っていましたが、トラックなどは珍しく、荷車をつけた馬車の往来が多かったですね。地方から、野菜や食料を運んで来ていました。建物は大体が木造で、明治屋と千代田生命は、当時から稀少なビル建築でした。当社も木造でしたが、ドイツから戻った伯父(2代目社長)の提案で、昭和の初めにはファサードを取り入れたモダンな3階建ての店になっていました。八重洲の駅舎も木造で、近くの操車場から汽車の入れ替えを何時間でも飽きずに見ているような少年時代でした。
 正式入社は大学卒業後ですが、学生時代から店の仕事には興味があり、アルバイトと称して始終店に出ていました。住み込みの店員もいなくなっていたので、休みの日などは、一人で店を開け午前中に注文を受け、午後2時頃に一度店を閉めて製作作業に取りかかり、出来上がったものを夕方お渡しするというようなこともしていました。眼鏡専門店の仕事は、フレームとレンズを組み合わせて眼鏡そのものをつくることと、ひとりひとりの方に合わせるフィッティングの作業とがあり、いくらやっても楽しく尽きない面白い仕事です。
 戦後は、このあたりは焼け野原で荒れていましたが、徐々に商店も戻って来ました。しかしバブル期には銀行や証券会社が進出し、表通りに間口を大きく取り、京橋はすっかりオフィス街と化し商店が少なくなってしまいました。
 
昭和55(1980)年に4代目の社長になられ、とくに力を注いで来られたことはどのようなことでしょうか。
 眼鏡店は製造業と販売業とを兼ね備えていますので、普通の小売店とは少しニュアンスが違い、専門技術と知識が必要です。海外では眼鏡技術者の資格があり、我国に於いてもその必要性を感じ、いろいろと働きかけを行ってきましたが、残念ながら日本ではまだ確立されていません。業界の向上のために、われわれ販売店やレンズメーカーの有志が集まり、本格的な眼鏡技術者養成を目的とする東京オプトメトリックカレッジ(学校法人)を作りました。3年制で専門技術者のレベルアップを図っていこうとするものです。
 また、時代のニーズに対応するべく、眼鏡のファッションコーディネーターを導入してきました。フレームに関しては海外ブランドが強かったのですが、昨今では我国のデザイナーも育成されつつあり、ファッション性を取り入れ、日本独自のブランドが育ちつつあります。私自身絵を描くことが趣味ですので、デザインにも興味があり、新しいデザインを起こすことも試みて来ました。

 
会社として受け継がれている精神、お仕事をされている上での信条についてお聞かせ下さい。
 父から受け継いだ金鳳堂の精神は「正しい眼鏡を作る」ことです。技術はもちろんのこと、自分自身の精神や哲学を確立しないと「正しい眼鏡」は作れません。それに私が付け加えたことは「目を大切に」ということです。人間の五感のひとつ、視覚を補う眼鏡には、道具としての役割にプラスαの要素が絡んできます。幸い眼鏡づくりには科学や物理学とも関連があり、ここ数年「ナノテクノロジー」の勉強をはじめたところです。フレームは素材の点で、レンズも開発の余地があるということが、おぼろげではありますが分かってきました。「過去のことを習い、未来に学ぶ」というのが、私の座右の銘ですが、いくつになっても日々勉強を怠ってはならないと思っています。
 
中央区で長くお仕事をされてきて、この京橋・日本橋地域の良さや今後の発展のあり方などのご意見をお聞かせ下さい。
 日本の中心として東京駅にも近く、これほどの良い立地条件はないでしょう。いささか残念なことは、オフィス街化して商店が少なくなってしまったことです。ただ、オフィスと商店街の共存は十分可能で、再開発の構想も進んでいるようですが、今後はニューヨークの五番街に匹敵するような地域にして行きたいというのが私の夢です。地域の開発はソフト面からの開発が重要で、綿密なソフト作りがあって、それに見合ったハードを整えるという方向性が大事だと思います。八重洲地下街から、日本橋・京橋が一体となった新しい地域づくり、そこに居ることが充足感をもたらしてくれる、そんな街づくりをみなさんと一緒に考えていきたいですね。
 
 
東京中央大通会の会長もされて、京橋地域活性化のためにご尽力されていますが、具体的な活動内容をご紹介下さい。
 1946年(昭和21)年に発足された東京中央大通会は、中央通りの日本橋から京橋の間、八重洲通りを東京駅前から昭和通り手前までに面している通りの商店連合です。「東京箱根間往復大学駅伝競走」への協力、4月の「日本橋まつり」や10月の「中央区観光商業まつり」への参加・協力など、商業振興を図る活動を続けています。私は1999(平成11)年10月より会長としてお手伝いをしております。
 また、今年は江戸開府400年を記念して、行政からの働きかけもあり、銀座地域と合同で10月25日に「華パレード」が行われます。江戸から現在に至るまでを6つの時代区分に分け、華麗な時代絵巻のようなパレードが中央通りに展開される予定です。わたくしどもでは、このお祭りにちなんで「大江戸ロック」というCDを作りました。中央区に限らず、日本が元気になることを願った応援歌です。銀座の山野楽器や、新星堂書店で販売(定価600円)しておりますので、ぜひお聴きになって下さい。
 現在の大通会は表通りだけですが、今後は骨董通りなど、裏通りの方たちとも協力し、地域ぐるみの活動をさらに盛り上げていきたいと思っております。
 
これまでの人生で、心に残る出来事、出会いなどがございましたら、お聞かせ下さい。
 父の後を継いで商工会議所のメンバーに加えていただいたことが、私の人生での大きな力となっています。行政や政治との関わり、政財界の方々との交情をとおして、様々なことを学ばせていただきました。一介の商人と言えども、死ぬまで勉強は必要だということ。一業界にとどまらず、広く社会をみつめ、未来を模索することの大切さを実感しています。
 
最後に、中央区の次世代を担う若者たちに、メッセージをお願いいたします。
 貪欲にいろいろなことに挑戦して欲しいと思います。仕事でも、単に上司の命令だからやるというのではなく、自ら考え、進んで取り組んで欲しい。年を重ねると、想いはあっても残念ながら体が動かなくなります。体力的にも、精神的にも、バリバリ元気なうちに、思う存分自分の力を傾注し頑張ってください。新しい時代、新しい未来を築き上げていくのは若い人たちです。こんな面白いことはないはずです。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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