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遠藤 彬
座右の銘 念ずる

 
遠藤波津子グループ社長 遠藤 彬
略歴
昭和18年 東京生まれ
昭和43年3月 慶応義塾大学商学部卒業
同 年4月 札幌テレビ放送本部入社
昭和48年 同社退社
同 年 株式会社遠藤波津子美容室入社 同時に常務取締役就任
昭和52年 同 社   専務取締役就任
  株式会社遠藤波津子きものさろん(現 ハツコエンドウ ウェディングス 副社長就任
昭和57年 遠藤商事株式会社社長就任
昭和62年 株式会社遠藤波津子美容室代表取締役就任
平成5年 株式会社遠藤波津子美容室・株式会社ハツコエンドウ ウェディングス 代表取締役社長就任、現在に至る

役職 
銀座通連合会第9代理事長、全銀座会会長、東京銀座ロータリークラブ副会長、社団法人慶應倶楽部常務理事
趣味は、ゴルフ、陶芸、囲碁ほか

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 今回の「今月の顔」は、遠藤波津子グループ社長であり、銀座通連合会理事長並びに全銀座会の会長でもある遠藤彬さんです。幼少の頃より銀座と関わり、地域に対する思い入れはことのほか。現在は地元の代表として「人にやさしい街」づくりに、日夜ご尽力されています。長い歴史の中で育まれた銀座ならではの「おもてなし」の心、安全で綺麗な街、洗練された文化の薫り高い街、銀座の数々の魅力と、それを実現可能にしている地域団体の活動、街づくりの展望など、織り交ぜてお話いただきました。
明治38年、京橋区竹川町で創業ということですが、その経緯、また中央区との関りをお聞かせ下さい。
 父の祖母が初代の遠藤波津子で、美容・美顔や着付けの技術を学び、帝国ホテルなどで婚礼業務をしていました。当時のことですから、お得意さまのお宅に伺って美容や着付けの支度をすることも多かったようですが、お客様が出向いてくださるのに便利の良い場所、時代の先端を行く場所として、銀座(現在のヤマハの裏)に美容と美顔の専門店「理容館」を開業しました。株式会社としての設立は戦後の昭和22年、銀座七丁目で「遠藤波津子理容館」がスタートしています。現在は美容室とエステティックサロンの銀座店、婚礼衣装のウエディングス銀座店がともに銀座一丁目にあり、着物着付け教室のアートアカデミーが七丁目(有賀写真館ビル)にあります。中央区では、日本橋の高島屋にも美容室、エステティックサロンを出店しています。
 
社長ご自身と銀座との関り、街の移り変わり、思い出などをお聞かせ下さい。
 生まれは聖路加病院で、その頃家族の住まいは田園調布の方に移っていましたが、母方の祖母(3代目遠藤波津子)が竹川町の店に住んでいましたので、幼稚園の頃から良く銀座には来ていました。戦後間もない頃で、アセチレンの街路灯の下で賑わう夜店は物めずらしい光景でしたし、お菓子やおもちゃを買ってもらったり、裏通りで紙芝居をみたり、楽しい記憶がたくさんあります。子供の頃、母(現4代目遠藤波津子)もすでに仕事を始めていましたので、徹夜営業で忙しい年末などには、家で夜食のお弁当を作って店に届けることもよくありました。また学生時代になってからは、「銀座で遊ぶ」ということがとても大人のしるしのような気がして、六大学野球の早慶戦の後などには、仲間たちとよく銀座に繰り出しました。昭和40年頃には、すでに道路幅も現在と同じ状態でしたし、街並みもさほど変わっていませんね。ウエスタンを聴かせてくれる「テネシー」やカフェ「白馬車」など、仲間たちとよく集まっていました。
 
放送局勤務後、1993(平成5)年に社長就任され、会社として受け継がれている精神、また、お仕事のうえでとくに力を注いでこられたことはどのようなことでしょうか。
 家業ではありますが、美容の仕事はやはり女性が表に立つものという意識が強く、正直に言えば抵抗がありました。今ほど美容に対する社会の評価もありませんでしたし、友人の前で、親の仕事を聞かれるのが嫌でした。一度は外に出て働いてみたい思いがありましたが、父母が情熱を注ぎ育ててきた事業ですから、やはり継ぐべきだと納得してもどったわけです。代々受け継がれていることは、「文化の香りを導き、伝統を重んじる・・・」などありますが、「その日出会う人を心より美しく」ということがすべてです。
 社長就任以降は、一般の美容(ヘアとメイク)、衣装(和装、洋装)、ブライダルの3部門をほぼ同規模に、バランスの取れた状態で発展させてきたことに加え、エステティック部門にも力を入れています。現在、「スローライフ」という言葉で生活が見直されつつありますが、「リフレッシュのためのゆったりとした時間」、そこにエステの価値が生まれてくると思います。現代はキャリアを持った女性が増えてきていますし、仕事がハードで皆さん疲れていらっしゃいます。銀座でもエステティックサロンの出店数は急速に伸びていますが、内容、レベルは様々です。弊社では、創業時より「美顔術」として、長年エステティックを手がけてきた実績と経験から、信用ある、安心して来て頂けるサロンとして、お客様から信頼を頂いています。是非一度体験なさってください 。
 
2003年5月から、銀座通連合会の9代目理事長、全銀座会2代目会長に就かれ、地域の活性化のためにご尽力されていますが、具体的な活動などをお聞かせ下さい。
 銀座通連合会は大正8年に設立された、銀座通り、晴海通りに面した企業とお店(会員数245名)で成り立ち、80年以上の歴史あるしっかりした地元組織です。街の美化、安全を保つと同時に行政と関わりつつ、将来を踏まえた街づくりの活動を推し進めています。細かい委員会に分化され、それぞれの部門ごとに、問題解消の方策や提案を考えています。また、銀座には、「銀実会」という若手経営者の会もあり、防災訓練やお祭りなどのイベントには、実働部隊として活躍していただいています。
 80周年の事業として一昨年「街づくりビジョン」を発表しましたが、現在はそのビジョンをベースにしたグランドデザインといいますか、基本的なコンセプトづくりに取り掛かっています。現状の道路に整備されてからすでに40年ほどたっており、国土交通省の道路改修計画も徐々に始められていますので、平行して、我々の提案である「人にやさしい街づくり」の考えが反映されるよう折衝しています。現在は「車輪梅」が撤去され花壇になっている植栽の問題や、将来的には公共交通機関の問題など、対処しなければならないことは多々ありますが、地元での意見交換を十分に行い、より良いものにまとめていこうと思っています。また、ここ数年海外ブランドの進出が顕著ですが、連合会では海外ブランドの専門委員会を作り、街全体に対する意識の啓発や協力体制を働きかけ、徐々に良い方向に進んで来ています 。
 
今年は江戸開府400年ということで、銀座のお祭り「銀座アキュイユ」(今年で3回目、毎年10月中旬開催)が盛会のうちに終わったようですが、アキュイユの紹介と今年のご感想をお願いいたします。
 「銀座アキュイユ」は、町会や通り会、百貨店会、料理飲食業組合など全銀座の35の団体が合同で行っている銀座最大のイベントで、今年で3回目になりました。銀座ならではのスタイルで、地域一丸となって「おもてなし」をしようという気持ちを込めて、さまざまなイベントが8日間にわたり開催されました。日本随一の商業地として歴史のなかで育まれたおもてなしの心を、形に表したものです。アキュイユ開催を契機に、各組織、団体の情報交換や連絡がスムーズになるよう全銀座会が昨年設立されました。銀座通連合会の理事長が当面は全銀座会の会長を兼務するということで、そちらのお役も引き受けています。
先日、2003「銀座アキュイユ」が無事終了したところで、ほっとしています。今年の話題を拾ってみると、フラワーエキジビションは、「ガーベラ」をテーマの花に、12の華道家、フラワーデザイナーたちが制作デモンストレーションを行い、銀座通りの12箇所に作品展示を行いました。恒例の銀茶会も、「アキュイユ」のイベントとして定着し、野点のお茶席で日本古来の文化を披露し好評を博していました。また、パレードは中央区主催で日本橋室町4丁目から銀座8丁目まで、「江戸東京"華"パレード」と称して市川猿之助氏の監修による時代絵巻が繰り広げられ、銀座からは日枝神社と鉄砲洲神社の神輿が出てパレードを盛り上げました。来年も秋の恒例行事を楽しみに、たくさんの方々が銀座にいらしていただきたいと思います。
 
銀座通連合会の理事長として、銀座の魅力はどのように感じておられますか。またこれからの銀座の展望をお聞かせ下さい。
 銀座は歴史のある街です。本来そこで生活する人たちがいて、生活するのに必要な店ができ、発展してきた街で、いつの頃からか住む人が減りました。しかしながら、最近は中央区の住人口が増え、銀座にも高層マンションができ、都心回帰の現象が起こっていることは喜ばしいことと思っています。ストリートには店が立ち並び、裏通りや中通りには住宅があるというのがパリやロンドンの商業地の一般的な姿です。住むのに困らない街であるには、やはり「人にやさしい街」でなくてはならないでしょう。住む人、訪れる人、仕事場としている人、街と関わるあらゆる人にとって「やさしい街」とは、具体的に何が必要か、どのようなプランを持てば良いかなど我々の持つノウハウを結集し、さまざまな観点から模索中です。
 また銀座の魅力として、洗練された大人の街という雰囲気や文化的要素も大きいでしょう。銀座はいつの時代も常に先進性をもってきました。これからも銀座が魅力ある「銀座」であり続けるためには、先進性の追及と同時に、開かれた銀座であることが大事だと思っています。地道な文化的活動や、情報の積極的な発信、トライアルの姿勢をもって活動していらっしゃる方々など、銀座には豊富な人材がいます。そうした方たちの活動を皆さんに広く知っていただくことも必要だと思っています。
 
これまでの人生で心に残る出来事、出会いがございましたら、お聞かせ下さい。
 とくに個人ということではありませんが、ロータリークラブの集まりですとか、学校の集まりとか、仕事の上でもプライベートでも、銀座という地域で活動していること自体が、私にとっては非常にcomfortable (快適) な状態であると言えます。周囲に同じような考えを持つ仲間や先輩が多く、仕事の上でも心強い思いです。最近は、なんでも大衆化といいますか、広いマーケットでの競争が盛んですが、焦点をしぼった商売があってもいいと思います。多少コストは高くても、それに見合うものとサービスの提供をして行こうというのが、銀座のお店の特色であり、今後もこれを忘れずに頑張っていきたいと思います。
 
最後に、中央区の次世代を担う若者たちに、メッセージをお願いいたします。
 地域の仕事をする中で、銀座の若い人たちと接する機会も多いのですが、銀座の中で育ち、教育を受けて来られた人たちが、時にいささか既成概念に捕われ過ぎているといいますか、保守的に感じることがあります。問題に対処する時など、経験をつんだ大先輩、年配の方々の方がより柔軟で、先進的な意見をもっておられる。若い人たちは、もっとチャレンジ精神を発揮して欲しいですね。失敗を恐れないで、どんどん冒険してください。そうした経験から、学び取ることはまだまだ多いはずです。守りを固めるのではなく、柔軟な攻めの姿勢、これからの銀座に必要なのはこうした若い人たちのエネルギーではないでしょうか。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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