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松木安太郎
座右の銘 自分の実力を嘆くより、自分の努力を哀しめ

 
松木氏
略歴
1957(昭和32) 年 東京・日本橋生まれ
暁星小・中・高等学校―堀越高校―、日本体育大学に進む
1967年 小学校4年で読売サッカークラブ入部
高校時代GKからDFにポジション変更、ユース代表に選ばれる
1973年 16歳で読売サッカークラブのトップチームのメンバーに最年少で登録され、以後12年間日本リーグ1部に登録(208試合7得点9アシスト)、トップレベルの選手として活躍
1983
〜1987年
日本代表として、ロスアンジェルス、ソウル五輪予選、メキシコ・ワールドカップ予選など、数々の試合に出場
1990年 現役選手引退と同時に読売サッカークラブ・ユースチーム監督く
1991年   読売サッカークラブ・トップチームヘッドコーチに就任
1993年
〜1995年
  読売日本サッカークラブ(ヴェルディ川崎)トップチーム監督
1998年   大阪サッカークラブ(セレッソ大阪)トップチーム監督
2001年   日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ1969)トップチーム監督
2003年   堀越学園堀越高等学校スペシャルアドバイザー、関西国際大学客員教授に就任

現在、全国各地でサッカー教室を展開、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌でのサッカー解説、講演、セミナーなどで活躍中。「サッカーの戦術」「サッカー上達講座・松木塾」など著書多数。

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 今回の「今月の顔」は、テレビでもおなじみのサッカー解説者、松木安太郎さんです。小学校からサッカーを初め、長い選手生活、引退後はJリーグのコーチ・監督を務め、昨今は少年サッカーから、高等学校、大学サッカー部まで世代を超えたサッカー指導、フットサルコートのプロデュースなど、サッカーの振興、発展のために多彩でパワフルな活動を展開していらっしゃいます。生まれ育った日本橋・小伝馬町界隈の懐かしい思い出や、ご自身のサッカー人生を、熱く語っていただきました。
中央区・日本橋のお生まれと伺っていますが、生い立ちや当時の街の印象などをお聞かせ下さい。
  実家は、日本橋・小伝馬町で「近三(きんさん)」という明治から続く鰻屋を営んでおり、私はそこで生まれました。3歳頃までは店の裏の狭い4畳半に両親とともに暮らしていました。その後、住まいは現在住んでいる市川に移り、浅草橋にあった聖パウロ幼稚園、市ヶ谷の幼稚園を経て、小学校からは九段の暁星に入りました。
市川の家は寝に帰るところという感じで、昼間は、幼稚園や学校から小伝馬町の店へ帰っていました。それなので、幼少時代から青年期まで、牢屋敷跡のある十思公園や、小伝馬町、人形町、箱崎界隈が生活や遊びの場でした。水あめをなめながら紙芝居をみたり、近所の駄菓子屋でお赤飯のおにぎりを買って食べたりするのが、子供の頃のいちばんの楽しみでした。店の手伝いもしましたが、出前をひっくり返して父親にこっぴどく叱られたり・・・、懐かしい思い出です。当時のあの界隈は、まだ昔の下町の風情が色濃く残っていて、木造の商家が多く、隣近所の付き合いも気さくで、非常にアットホームな温かみのある町でした。近所の年配のおばさんの家の前を通りかかると、香ばしいトーストとバターの香りがし、「トースト食べて行くかい!」なんて声をかけてくれる。お年寄りでもいつも綺麗な身づくろいをして、ちょっと粋でハイカラな人もたくさんいらした様に思います 。
 
当時は、現在ほどメジャーなスポーツではなかったサッカーを始められたきっかけは何でしょうか。
 幼稚園の頃から小学校の2年までは、影絵作家の藤城清治さんが主宰していた「木馬座」という人形劇団に入っていて、子役として活動していたのですが、暁星小学校に入学し、そこでサッカーというスポーツにはじめて触れました。当時は、「男の子のスポーツは野球」という時代で、小学校にサッカー部があるのは珍しかったですね。友達の楽しそうな姿を見て、"どうしてもやりたい"という思いが募り、劇団を止め、小学校3年の時に入部しました。ボールを蹴り、グランドを走り回る、ともかく楽しくて面白い・・・、サッカーに夢中になりました。
 小学校4年の時に、友達に誘われて、現東京ヴェルディ1969の前々身にあたる「読売サッカークラブ」に入りました。将来のプロになる選手を育成しようと、立ち上げたばかりのクラブで、芝のコートが4面もあり、設備は当時としては破格、コーチや監督の気合いも十分で、僕たちは 「ただただ一生懸命なサッカー少年」でした 。
 
16歳(高校2年)の時、読売サッカークラブのトップチームに最年少で登録されてから、17年間の選手生活の中で、サッカーを通して学ばれたこと、身につけられたこと、についてお話下さい。
 「たかがスポーツ、されどスポーツ」ではないですが、私にとっては、「生きていく上で大切なこと全て」といって良いでしょう。人と人との交流や、楽しいこと、辛いこと、我慢しなくてはいけないこと、ありとあらゆることを、サッカーを通して学んだといえるでしょう。今年47歳になりますが、私の考え方、生き方のベースになっているのは、全てサッカーによって身につけ学んできたことです。
 16歳でトップチームに登録されたのは、今ほど人数が多くなかったことや、サッカー界の"若い人材を育成しよう"という機運の熟した頃に、ちょうどその年代だったことなど、時期が良かったという面もあったと思います。ただ、意識としては「プロとしてやっていく」という強いものがありました。まだプロとして選手が活躍できる環境はなく、私よりもっと上手な人たちが、サッカーを止めざるを得ない状況を数多く見てきましたので、自分のおかれた環境を幸せなことだと思い、厳しい練習にもめげず、必死の努力を重ねました 。
 
選手引退後は、サッカーに関わる幅広い活動をされていますが、お仕事をされる上での信条についてお聞かせ下さい。
 「昨日より今日、今日より明日」というのが私の信条です。16歳でトップチームに登録された時から、「必要ない」と言われればいつ止めてもおかしくない状況であることは十分覚悟していましたので、おかれた環境の中で、常に前向きに取り組んできました。当時の目標は日本代表選手になることでしたが、16歳からほぼ10年かかりました。人生は上手くいかないことの方が多いもので、もちろん、私自身も、挫折やスランプを幾度となく経験しました。だからと言って、他人のせいにしたり、後ろを振り返っていても始まらない。どんなことでもポジティブに受け止め、前に向かって一歩を踏み出す、選手時代もそうでしたが、今後もそのように心がけていきたいと思います。
 
幅広いご活躍をされていらっしゃいますが、現在、とくに力を注いでいらっしゃるお仕事や、今後の展望などについてお聞かせ下さい。

 一蹴入魂、何をやっても精いっぱいやる、というのが松木のポリシーですので、「とくに力を注いでいること」と言われると困るのですが・・・。Jリーグがスタートして10年、2002年の日韓合同主催ワールドカップの熱狂ぶりは皆さんも記憶に新しいことでしょう。日本のサッカーがやっとここまで来たという感慨深いものがあります。今後は、これまで以上に難しい課題も増えてくると思いますが、サッカーは本当に面白いスポーツで、奥の深い世界だとあらためて思っています。サッカーという一スポーツではありますが、その振興発展のために、私に出来ることはなんでもやっていきたいと思っています。

今年(2004年)1月には、私自身が企画から関わったフットサルのコート「汐止FC.ガーデニア」が、埼玉県の八潮市にオープンし、フットサルの大会やスクール、イベント開催の計画が進行中です。人工芝のコートが4面あり、どなたでも気軽にフットサルを楽しめます。多くの方々に、グリーンの上でおもいっきり身体を動かす爽快感を味わっていただきたいですね。また、サッカーの指導では「少年サッカースクール・松木塾」と称して、所沢の埼玉スポーツセンターをはじめ全国各地で開催しています。子供たちにとって、出来るだけいい環境を提供していきたい。私自身の記憶でも、日本の代表選手と同じコートにたち、ボールを蹴らせてもらったというささやかな経験が、励みになり、自分のやる気に繋がったからです。
昨年から、東京の堀越高等学校、関西国際大学サッカー部のアドバイザリースタッフも務めています。本業はやはり監督業と考えていますので、私自身も「監督として日本代表を率いてワールドカップに・・・」という夢を持ち続け、頑張って行きたいと思っています。
著述に関しては、全くサッカーを知らない人でも読めるもの、初心者向き、技術編など、様々なカテゴリーに合わせたものがあります。「サッカーの戦術」(新星出版社刊)は、技術的な戦術のコアな部分だけでなく、人間性の重要さや、方法論など盛りだくさんの内容で、大人の読み物としても楽しめるものだと思います。また、Jリーガーの写真を多く使った技術解説書をこの春に刊行予定ですので、乞うご期待を。活動については、松木安太郎オフィシャルサイト(http://www.yasutaro.com/)から詳しい情報を発信していますので、一度ご覧下さい。Webによるサッカーアドバイス講座もあります。

 
最近の日本橋小伝馬町界隈の印象や、中央区の中で気に入っている場所などがございますか。
 日本橋は、実家の鰻屋がありますので行く機会が多く、今でも大好きな街です。表通りの印象はビルが多くなって、ビジネス街になりつつある感じですね。やはり昔と比べると、人と人との交流が希薄になってきているのは否めませんが、幸いサッカーで見知って下さっている方たちは、気軽に声をかけて下さる。いつまでも、"人の温かさのある町"であって欲しいですね。
 
これまでの人生で、心に残る出会いや出来事などがございましたら、お聞かせ下さい。
 両親によってこの世に生を受け、祖父に叱られ、祖母に可愛がられ、学校の先生にいろいろ教えられ、その全てが私の人生にとって大切な出会いであり、出来事なのですが、やはり中でも、サッカーとの出会いが最も大きな要素といえるでしょうね。スポーツをやってきて一番学んだことは、まず"自分自身がしっかりする"ことでした。母が「子供でありながら、ある意味で冷たい部分を持ち合わせている子だった」とよく言っていますが、厳しい練習中、また、試合中でも、サッカーと向き合っている時は、「おい、松木しっかりしろよ!」と、常に自分で自分を駆り立てながらやってきたところがあります。一人っ子で甘えん坊の子供ではありましたが、サッカーというスポーツが、"自立"を促してくれたのは紛れもない事実です。
 
最後になりますが、次世代を担う若者たちにひと言メッセージをお願いします。
 振り返れば、サッカーを始め、選手になり、優勝の経験をしたりと、いろいろな出来事がありましたが、サッカーが大好きだったこと、あきらめずにやってきたことが、現在の自分がある最大の要因だと思います。現代のスピーディな世の流れ、複雑な社会の中で生きていくことは、私たちがやってきた以上に大変なことだと思います。大きな波のうねりが次々とやってきて、上手くいくことよりもつまずき、悩み、立ち止まることの方が多いかもしれません。悩み、立ち止まった時こそが、節目となる大切な機会なのです。自身を掻き立てる動機を何かひとつもって、何事も"あきらめずに"頑張って欲しいですね。「継続と努力」が必ず道を切り拓いてくれると信じています。
 
取材協力:日本料理 さくら

2004年2月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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