東京中央ネットロゴ NPO(特定非営利活動)法人東京中央ネット 東京中央ネットは中央区のポータルサイトです。
東京中央ビジネスナビ参加企業について
HOME > 特集 > 今月の顔




略歴
昭和4年5月16日   熊本県菊池市に生まれる。
  龍谷大学研究科を修了。
    熊本善龍寺16代目住職。
昭和49年   宗会議員を7期勤め、宗門の発展に寄与。その間、浄土真宗本願寺派総務を3回、宗門関係学校理事長等の役職を歴任。
平成12年10月   本願寺築地別院輪番、東京出張所長、東京首都圏都市開教対策本部長に就任。
平成6年7月   築地別院輪番を勤めているため、今回の輪番就任は2度目にあたる。


*世間虚仮・唯仏是真
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」親鸞聖人『歎異抄』より
※このストリーミンング映像をご覧頂くにはリアルネットワークス社Real Playerが必要です。
Real Playerはこちらより無料でダウンロードできます。
※このストリーミング映像はブロードバンドを推奨いたします。


 今回の「今月の顔」は、築地本願寺のご輪番をお勤めになっていらっしゃる柱松青巒(はしらまつせいらん)師です。火の国・熊本に生まれ、京都で学生時代を過ごした師は、活気と情緒が同居する築地の町と呼吸が合うようです。肥後もっこす(熊本の方言で、頑固者の意)らしい朴訥で力強い口調で、ご輪番のお仕事や築地本願寺の歴史について魅力たっぷりにお話くださいました。

どのようなきっかけで、仏門に入られたのですか。
 父が浄土真宗本願寺派・善龍寺の15代目住職を勤めていました。本来なら静巒と称していた長兄が寺を継ぐはずだったのですが私が生まれる前に亡くなり、次に生まれた私が青巒の名を託され16代目の住職となりました。私の名は大内青巒という名士から戴いたと父は言いますが、「らん」という字で小さいときから苦労しました。善龍寺は現在、私の息子(17代)が継いでいます。
 
ご輪番のお仕事について、お聞かせください。
 築地本願寺は正しくは浄土真宗本願寺派(西本願寺)本願寺築地別院と言います。私達の教団である浄土真宗本願寺派の運営は、宗会という76名の僧俗(僧侶と門徒)による一院制の議会によって営まれています。そこには総局(執行部)がおかれ、その延長線上に25の別院があり、それに北海道から鹿児島まで全国1万余りの寺を管轄しています。築地別院輪番は門主(本願寺住職)から任命されるわけです。住居は本願寺の境内にあり、毎朝5時に起き、約1時間の晨朝勤行(じんちょうごんぎょう)から午後4時の日没勤行まで、日々様々なお勤めをとり行っています。
 
築地本願寺と中央区との関わりに関して、お聞かせください。
 私達の別院は江戸時代当初、日本橋横山町あたりにありました。振り袖火事で焼失し、当時は殆ど海辺だった当地に移ることになりました。この時に佃島の門徒衆が中心になり、多くの門徒が土や砂を運んで、本堂建立のための土地を築きました。これが、「築地」の名の由来になったようです。こうして建てられた本堂は現在の市場の方向を向いており、場外市場のあたりが門前町となっていたそうです。  この別院が関東大震災で再び焼け、昭和10年に東京帝国大学の伊東忠太教授の設計で現在の寺院が建てられました。この建築にたずさわった現門主の先々代にあたる22代大谷光瑞(こうずい)師は、シルクロードに調査探検隊を派遣したことで知られています。またその影響で、日本では珍しいインド様式の寺院となりました。当時は日本橋白木屋などでさえ下足を脱いで上がる時代ですから、「本堂に土足で上がるとは何ごとか」と大変な疑論があったようです(先見の明)。  私個人としても、中央区は肌に合うというか、住み易く居心地の良い土地です。私は、京都で学生時代を過ごしたことがありますが、落ち着いた雰囲気が非常に似ていますね。
 
現在の築地本願寺と地域との関わりには、どのようなものがありますか。
 毎年除夜の鐘の時には、本堂に入れないくらいに多くの人達が集まります。また、4月の花祭りも子供さんと親御さんで賑わい、5月の親鸞聖人の誕生祝いも盛大です。夏は盆踊りですね。8月初旬の3日間ですが、奉讃会をはじめ築地商店会や各町会の御協力もあり、大江戸助六太鼓も加わって、非常に賑やかです。もちろん、私も踊りますよ。  その他にも、ボーイスカウト、ガールスカウトの日本連盟の本願寺団としての活動や毎月最終土曜日に開かれる仏教文化講座、毎日行われている常例布教などにも、地域の方々に積極的に参加して戴いております。
 
今後の活動の目標にしていることはありますか。
 今は、人間不信の時代だと思います。何が本当であるか、真実が見えない、聞こえない。だから、みんな迷っています。そして毎日、人の命が奪われています。それも、直接、加害者に関係のない人までが殺されています。これは、戦後、教育の現場で、宗教を教えることがなくなってしまったことに起因すると思います。昔は、おじいちゃん、おばあちゃんが仏心を教えてくれたんですが、今はそれすらも望めません。  hideという若者が亡くなった時に、この築地本願寺に5万人の若い人達が焼香のために訪れたことがあります。若い人達は機会さえあれば、真実を学ぶ器を持っているのです。その機会を探るのが、私たち宗教人の勤めだと思っています。
 
若い人たちにお言葉はございますか。
 人間はいつの時代でも、生まれて、年を取り、死んでいくという本質に変わりはありません。しかし、そうした中でも、真実と出会うことで心の豊かさを得ることができれば、仏になることができるのです。このようなことを若い人達なりに掴むことができたら、素晴らしいと思います。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
 
copyright2004 Tokyochuo.net All Rights Reserved.
東京中央ネットについて 東京中央ビジネスナビについて このサイトについて プライバシーポリシー