ここは昔は海だったこと、徳川幕府が出来、商業の街を作ったこと、銀座(銀貨の鋳造所)があったこと、幕府の崩壊後、無血開城の功績で西郷隆盛がここに屋敷を拝領していたこと、米穀の取引所が出来、日本のウォール街と言われたことなど、写真や自身の子供の頃の話を交え面白おかしく歴史の話をします。「学級崩壊」などが叫ばれていた頃などは、子供たちが話を聞いてくれなかったらどうしよう、と不安に思ったこともありましたが、みんな目を輝かせて熱心に聞いてくれました。「初めて聞く話で、とても面白かった」と感想を書いてくれる子供たちがたくさんいて、こういう活動をやっていて、本当に良かったと思いました。


 学校の歴史教育では、詳細な地域のことまでは伝えられません。昔は家族の中には、物知りのおじいさんやおばあさんがいて、それぞれの家庭で子に孫にと語り継いだような話です。現在の核家族の時代には、話をする人間がいませんし、ご両親でさえ知らないことでしょう。自分の住む地域のことを正しく知り、愛着を持って欲しいと思います。
 地名を例にとっても、人形町、箱崎、中洲(なかず)といった発音のアクセントが昔からのものとは違ってきています。江戸の言葉は平坦で、アクセントは付きません。違った発音が流布し、いつの間にかそれが正しいことになってしまうのは、困りますね。しかしながら、だれも注意しないし、教えてもくれません。私たちが少しづつでも知らせ後世に語り継いでいかなければ、江戸から明治、大正、昭和と延々と受け継がれてきたものが途絶え、変質して行ってしまうのです。変わるべきものは変わって結構なのですが、変わるべきではないものもあります。


 昭和28年頃に、写真屋さんが近くに出来たので、界隈の写真愛好家が集まり「中央銀影会」というサークルをつくりました。

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                                                          2003年12月掲載記事
                                                ※内容は、掲載当時のものとなります