季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 今回の巻頭インタビューは「日本橋美人新聞」の「創刊10周年」を記念して、当NPO法人東京中央ネットの活動に長きにわたってご尽力をいただいている、株式会社建設技術研究所の村田和夫社長にお話を伺います。まず、ご経歴についてお聞かせください。

村田 私は秋田市で生まれて幼少時代を弘前市、仙台市で過ごし、小学校六年生の時に家族で上京しました。大学では土木工学を専攻し、部活動の吹奏楽部ではホルンを吹いたり、余暇を利用してホール落語に通うなど顧みると学業と遊びを巧く両立できていたように思います。
 入社後は河川計画系の部署に配属になり、河川の洪水を防ぐ治水計画や水を有効活用する利水計画に携わりました。総務部や管理本部の事務方も経験したのち、現職を務めております。


山田 御社は、我が国で初の建設コンサルタント会社として誕生した経緯があります。平成25(2013)年には株式会社設立50周年を迎え、その節目の年に社長にご就任されましたが、どのような取り組みに力を注がれていらっしゃいますか。

村田 平成27(2015)年に10年後を目標年とするグループ中長期ビジョン「CLAVIS(クラヴィス)2025」を策定しました。CLAVISはラテン語で「鍵」を意味し、本ビジョンによって新たな未来を開くことを意図しています。掲げた3つのイノベーションは、幅広いインフラを対象にあらゆるニーズに対応する「マルチインフラ企業」への展開、世界に貢献するために「グローバル企業」として海外業務を更に拡大、技術者と技術を経営資源とする「アクティブ企業」を目指すというものです。取引先の多くが官公庁のためか残念ながら一般の方々には、弊社の仕事をご理解いただける機会が少ない現状があります。しかしながら技術へのたゆまぬチャレンジをもって「安全で潤いのある豊かな社会づくり」に向け貢献して行きたいと思っています。

山田 「インフラ大変革時代に力強く成長する」という指針を掲げ、社会基盤づくりを担っていらっしゃる御社にとって、「2020年東京オリンピック・パラリンピック」は良い契機ですね。

村田 東京オリンピックは、未来へ向けての立派な日本をつくるための良いきっかけです。大きなイベントでは祭りで神輿を担ぐのと同じように、参加しないと面白くありません。携わることでヤル気が生まれ、楽しみも増えますから、ビジネスであろうがなかろうが如何に積極的に関わるかが大切だと考えます。

山田 オリンピック開催が決まって以降、日本文化への関心が国内外で高まっていますが。

村田 江戸は人口が100万人を超えた大都市で、「熈代勝覧」絵巻からも江戸日本橋がいかに諸国の往来の賑わいに溢れていたのかが分かります。また世界に類のない清潔な都市であったのは、「Reduce(廃棄物の発生抑制)・Reuse(再利用)・Recycle(再生利用)」の循環型社会が確立されていた証しです。私は職業柄、上下水道の整備、五街道の整備や河川改修などのインフラ整備の重要性を理解し推進してきた江戸時代の人々の聡明さ「江戸のDNA」には学ぶべきものが多々あると感じています。

山田 お話を伺っていると「EDO ART EXPO」と相通じるものがあると思います。EDO ART EXPOも「美は遺伝する江戸のDNA」をコンセプトに開催し、中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など60カ所以上が会場となり江戸より続く伝統や文化、歴史に関わる展示を行っています。平成27(2015)年に8回目を迎え、国内外を含め約40万9千人の方々が各会場を訪れてくださいました。 御社からは環境に優しい電気ボートで運航する「大人の社会科見学 江戸東京 川のなぜなぜ舟めぐり」や「お江戸日本橋舟めぐり 特別便」でご協力いただいています。
 舟めぐりは、当団体が代表を務める「江戸東京再発見コンソーシアム」事業の一環でもあり、10人乗りの小さなエコボートですが、平成27(2015)年8月には累積の乗船者数が1万人を達成し記念式典も行い、確実な成果を上げています。今後は外国人観光客にも、水辺の歴史と魅力をお伝えしていきたいですね。

村田 平成23(2011)年に日本橋に観光船着場が開設され、かつて水の都として栄えた江戸(東京)を舟運で楽しむ機運が一層高まりました。弊社としても、その一翼を担えるのは大変に嬉しい限りです。

山田 御社には、他にも当団体が地域活性化のために行っている「日本橋美人推進協議会」事業内の「江戸日本橋観光めぐり事業」の事務局を担当されるなど、CSR(企業の社会的責任)活動の一環として多岐にわたる活動に参画し、ご支援をいただいています。

村田 暮らしを支える公共事業への理解と土木技術の重要性を含め、今後も技術者(シビルエンジニア)の視点を生かしながら、社会に貢献できる事業を考えていく所存です。ぜひ、宜しくお願いします。

山田 こちらこそ有難うございます。ところで村田社長にとって、思い入れのある日本橋のスポットは多いと推察いたしますが如何でしょうか。

村田 時々ですが、通勤途中で神田駅から日本橋浜町の社屋まで、中央通りや江戸通りを歩くようにしています。その折には、日本橋小網町まで足を延ばし、「強運の神さま」で崇められる小網神社に立ち寄り、会社・社員などの強運・厄除けなどを祈願することもあります。また、清洲橋をはじめ隅田川に架かる個性豊かな橋梁を眺めていると、改めて日本橋地域の豊かな魅力を実感します。

山田 ご存じのように当団体は、江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」というネーミングでも多角的な事業を展開しております。「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。

村田 落語や時代小説に登場する、明るくお茶目で芯が強く、情に厚く涙脆いが決してベタベタしない江戸の女性たちは、「日本橋美人」に通じている気がします。個人的には颯爽として活動的であり、時に辛口な物言いであってもウィットに富んだ女性というイメージです。何より一緒に居て話が楽しく、「はっ」と膝を打つような利発さを、ときおり垣間見ることができる、それが「日本橋美人」でしょうか(笑)。

■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル

  ※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。
 
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