季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 「日本橋美人新聞」の「創刊10周年」を記念した巻頭インタビューの第二弾は、設立時より当NPO法人東京中央ネットの役員としてご尽力くださっている、小網神社の服部匡記宮司にお話を伺います。まず、ご経歴についてお聞かせください。

服部 私は当社のある日本橋小網町で生まれ、旧東華小学校(現・日本橋小学校)が学舎でした。父である前宮司の姿を見ながら育ったものの、大学では法律を専攻していました。学生生活の中で海外の人たちと交流する機会に恵まれたのが切っ掛けで、自らのアイデンティティを強く意識するようになり、卒業後に改めて國學院大學の神道学専攻科に進み、神職の資格を取得するに至りました。
 その後、神社界で唯一の新聞社「神社新報社」で約20年ほど記者や編集長を務めておりました。神社本庁から伊勢神宮の「第62回式年遷宮」に向けて、広報力の強化を図るため広報課長の職を仰せつかったのを契機に奉職し、のちに渉外部の課長や「神道政治連盟」という外郭団体の次長も兼任致しました。平成21(2009)年に父が急逝し、小網神社の第二十一代宮司に就任させていただきました。

山田 私たちにとって小網神社は「強運厄除の神さま」として崇められています。また、かつて大田道灌公も御神徳を聞き付け折に触れ参拝し、土地を寄附して小網山稲荷院万福寿寺と名付けるなど崇敬が篤かったと伺っています。縁起についてご紹介いただけますか。

服部 当社の由来は文正元(1466)年にこの周辺で悪疫が流行した折に、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って訪れ、当時の宮司がそれを神前にお供えし日夜祈願したところ疫病が鎮静化したそうです。翁を「小網稲荷大明神」と称え、神社を創建したといわれています。慶長(1596~1615)年間には神社の名に因み、周辺が小網町と名付けられました。

山田 近年では財運向上の「東京銭洗い弁天」の社としても、人気を集めていらっしゃいますね。

服部 「万福舟乗弁財天像」の前にある「銭洗いの井」で金銭を清め、財布に収めておくと財運を授かるとされており、パワースポットとして観光情報誌に紹介される機会も増えました。この地域は東京証券取引所があるなど、金運に対する信仰が古くから根強い土地柄です。昨今ではニューヨーク株式市場ほかの海外マーケットの取引時間に左右されるのか、夜が更けてもご参拝にいらっしゃいますね(笑)。

山田 本年、平成28(2016)年は「御鎮座五五〇年」の佳節を迎えられます。「奉祝記念事業」や「五五〇年記念大祭」が斎行されましたが、如何でございましたでしょうか?

服部 今回の事業が盛大に滞りなく完遂できたのは、多くの方々のご協力の賜物と衷心より感謝申し上げております。記念事業の一環として、昭和4(1929)年建立の木造檜造りの社殿と神楽殿などの大規模修繕を行うにあたり、ご奉賛をお願いしたところ氏子区域をはじめ、国内やアメリカ、オーストラリア、シンガポールを含む大勢のお力添えがございました。5月27、28日には記念大祭も斎行し、10年ぶりの「神幸祭」では、多くの担ぎ手のご参加で大神輿が巡行致しました。五五〇年の佳節を拝し、神様と皆さまのご縁がより一層繋がり、改めて興隆を図れたのが一番の財産だと思っています。

山田 祭りは地域社会において最大のイベントであり、団結することで更なる絆が生まれますね。そこでの人の触れ合いは信頼関係を生み、育まれる価値も多いと思います。

服部 私はインターネットやSNSで簡単に知り合いになれる時代だからこそ、人と人が接するという大切さを今一度惟っています。当社に足を運んでくださった方と丁寧に対面する「生きた宗教」を実践し、我々の守ってきた昔ながらの繋がりを大事にしていきたいと考えております。

山田 来る「第9回 EDO ART EXPO(2016年9月23日~10月11日)」は「美は遺伝する江戸のDNA」をコンセプトに開催します。中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設の60カ所以上がパビリオン(会場)となり江戸から続く伝統や文化、歴史に関わる展示を行う予定です。前回の平成27(2015)年には、国内外を含め約40万9千人の方々が各会場を訪れてくださいました。 そして同時開催の「東京都の児童・生徒による 江戸 書道展」は、5回目の記念の年にあたります。

服部 子供たちの書道展はお手本がなく、自由な発想を発揮できるのが大変ユニークですね。本イベントでは作品を鑑賞するに留まらず、普段は機会のない老舗やホテル、寺院などのパビリオン(会場)を訪ずれ、新しいご縁が結ばれるのも素晴らしいでしょう。

山田 多くを日本橋で過ごされていらっしゃる服部さんにとって、特に思い入れのあるスポットはございますか?

服部 日本橋の魅力は、新旧の相反する佇まいが残っている面ですね。幼いころに路地裏を自転車で乗り回していた影響でしょうか(笑)。甘酒横丁を逸れた脇道や以前宮司を務めていた末廣神社の周辺のノスタルジックな雰囲気にも強く惹かれます。

山田 当団体が事業展開する、「日本橋美人」という江戸(東京)の地域ブランドがあります。「日本橋美人」とは、どのような女性像をお持ちですか。

服部 神社の行事には氏子の婦人部の手助けがなくては成り立ちません。ご協力していただく中で皆さんの懐の深さときめ細かな心遣いに、いつも敬服し「日本橋美人」の姿を見るような気がします。
 神道には包容性があり「客人(まれびと)」を大切にして、異文化との交流による変容を可能にする素地があります。日本橋は昔から来訪者の多い地域ですので、困っている人を助け、辿り着いた人をもてなす姿勢こそ「日本橋美人」だと感じています。

■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル

  ※本記事は2016年6月15日時点の内容です。
 
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