季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 今回の巻頭インタビューは「NPO法人東京中央ネット」の「創立15周年」を記念して、当団体の事業にご尽力いただいている株式会社伊場仙の十四代目・吉田誠男社長にお話を伺います。まずはご経歴についてお聞かせください。

吉田 私は1948(昭和23)年に現在の社屋がある日本橋小舟町で生まれ育ち、早稲田大学理工学部を卒業した後は、ミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)で光学ガラスの溶融の研究に従事していました。次男の私が家業を継ぐきっかけになったのは、兄が継承を辞退したために先代だった父の要請を受けたことと私自身が「代々にわたり守り継がれた暖簾を自分の代で絶やすわけにはいかない」という思いからです。1976(昭和51)年に入社し、1983(昭和58)年には代表取締役社長に就任いたし、現在に至っております。

山田 御社は初代・伊場屋勘左衛門の誕生年を創業年としていらっしゃいますが、沿革と事業の概要についてご説明いただけますか。

吉田 もともと先祖は三河国岡崎(現:愛知県東部)で、治水工事などの職人をしていたようです。徳川家康公が浜松城に入城したおりに連れてこられて、遠州国敷知郡伊場村(現:静岡県浜松市伊場町)に赴き、その後、江戸入府の際には伴われて上京し、江戸湾の埋め立て工事に携わっていました。整備が一段落した後も帰郷せず、慶長年間に当地の日本橋堀江町(現:小舟町)で初代が和紙や竹製品などの商いを始め、江戸後期に十代目が「伊場仙」に改名するまで出身地の伊場村にちなみ「伊場屋」という屋号を使っておりました。江戸後期に和紙や竹の相場が不安定になったこともあり、その素材を生かし「団扇」や「扇子」を手掛けたのが、現在の事業のきっかけです。当時はこのあたり一帯には十数軒ほどの団扇問屋が軒を連ね「団扇河岸」とも呼ばれていましたが、現存しているのは私どもだけです。また、浮世絵の人気の高まりに乗じて、団扇に付加価値をつけるために施す木版技術を利用し、浮世絵の出版も手掛けるようになりました。

山田 日本橋には当代一流と呼ばれた浮世絵師も居を構え、御社では浮世絵界で最も大きな派閥、初代豊国、広重や国芳を抱えた版元だったと伺っております。現在、伊場仙版の浮世絵は国内外でも高く評価され、国内の美術館をはじめ大英博物館やボストン美術館、メトロポリタン美術館にも収蔵されています。
 2012(平成24)年には「中央区まちかど展示館」の一環として「伊場仙浮世絵ミュージアム」が店舗の横に開館し、文化資源の発信にも力を注がれていますが、他にはどのような取り組みがございますでしょうか。

吉田 ミュージアムは社屋の1階の通路に沿った長いショーウィンドウに設置し、江戸時代の浮世絵、団扇絵とその版木などから、現代アートの作品までを月替わりでご紹介しています。
 私の代で販路の見直しを図り、店舗を構えて小売りやインターネットを利用した通信販売を始めました。常に時代に合わせた新しいものづくりを目指し、新進の作家とオリジナルデザインの開発を行ったり、歌舞伎座との商品開発や浮世絵とキャラクター「ドラえもん」とのコラボ商品なども制作しております。
 古来、日本では平安時代に扇(扇子)に想い(和歌)を綴り相手に伝える風習があり、扇(扇子)は恋愛の小道具にもなっていました。「源氏物語」では女性が光源氏に扇を贈ったという話から、我々の業界では恋「こ(5)」「い(1)」の語呂合わせで5月1日を「扇の日」と呼んでいます。これをイベントとして復活したいと考えています。
 また、貴団体が主催している「EDO ART EXPO」のような、浮世絵を鑑賞しながら街を巡るイベントは江戸の魅力を味わえる「江戸のもてなし」の一環であり、大変に素晴らしい事業だと思います。

山田 有難うございます。御社でも「浮世絵展示会場」として江戸時代の浮世絵の展示を行い、例年ご協力をいただいています。今年の第10回は、2017年9月22日~10月10日に開催することが決定いたしました。「第9回EDO ART EXPO/第5回 児童・生徒による“江戸”書道展」(2016(平成28)年9月23日~10月11日)」では、中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など60カ所以上が会場となり、国内外を含め約43万4000人の方々が各会場を訪れてくださいました。今年は記念すべき年ですので、更に多くの方々に江戸の伝統や文化、芸術に触れる機会をプロデュースしていきたいと思っております。

吉田 私は浮世絵の街として、ここ日本橋をもっともっと周知していきたいと考えています。ですから「EDO ART EXPO」にご協力するのはもちろん、多方面の皆さんのお知恵を拝借して是非、一緒に取り組んで参りましょう。

山田 まさに事業のコンセプトである「江戸の美意識」と相通じますね。ところで吉田社長にとって、お気に入りの日本橋のスポットはございますでしょうか。

吉田 子どもの頃の日本橋はまだ空が広くて凧揚げをしたり、日本橋川ではハゼを釣って遊ぶことができ、家の物干し台に上ると富士山や両国の花火も見えました。三越の屋上遊園地にはディズニーランドのようなアミューズメントパークがあり、もちろん今では様変わりしてしまいましたが、幼心をかき立てた懐かしい思い出の場所なので、時折ひとりで出かけてはノスタルジーに浸っています。
 日本橋には江戸の四代名物食といわれた、すし、天ぷら、蕎麦、うなぎの美味しい店が多いので、訪れられた方々にはお勧めしたいと思います。

山田 私たちは江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」というネーミングでも、多岐にわたる事業を展開しております。「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。

吉田 着物が似合い団扇や扇子などの和装小物を美しく添え、文化的な薫りのする淑やかでありながら芯が強い方でしょうか。この街の空気の中で美しく年を重ねている女性は、心から素晴らしいと思います。そんな女性が「日本橋美人」でしょう。



■撮影:山上 忠  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林さやか  ■ヘアアレンジ・着付:衣裳らくや

  ※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。
 
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