季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 今回の巻頭インタビューは、「日本橋美人新聞」と共に発行の「日本橋都市観光マップ」創刊15周年を記念して、当初よりご尽力くださっている中央区ホテル・旅館組合の工藤哲夫組合長にお話を伺います。まずはご経歴についてお聞かせください。

工藤 私は現在の「ホテルかずさや」がある日本橋本町で生まれ、地元の区立常盤小学校に通い青山学院大学経営学部卒業後は、旅行会社の三井航空サービス株式会社(現:エムオーツーリスト株式会社)で海外旅行のセールスや企画の仕事に12年ほど従事いたしました。1989(平成元)年に家業を受け継ぐべく弊社に戻り、1993(平成5)年に代表取締役に就任し、現在に至っております。


山田 初代は信州の丸子(現:長野県上田市)のご出身で、もともとは蚕種の製造(蚕の卵を植え付けた紙の販売)を営んでいらしたと伺っています。

工藤 私の曽祖父・由郎は蚕種の商売に力を注いだのち東京進出を志して、1891(明治24)年に故郷の財産を処分し本石町(現:本町)にあった「上総屋旅館」を譲り受けました。この年を創業年としていますが、買収の経緯に関する詳細な記録は関東大震災などの影響で残っていません。旅館自体は江戸時代から続いていたらしく、屋号はそのまま引き継ぎました。
 父である三代目・誠太郎は高度成長期を迎えライフスタイルが大きく変化する中で、次代を担うべく旅館の建て替えを実施いたしました。1980(昭和55)年の新築ホテル開業に伴い、「ホテルかずさや」へと生まれ変わったのです。私の代ではCIによるブランド化やIT環境の充実を図り、近年は毎年のように設備投資を行い常に便利で快適な環境のご提供を心掛けております。また、将来を見据えてホテルのリニューアル工事も予定しています。


山田 ここ日本橋の江戸期における宿の歴史を辿ると、往来する旅人が利用した旅籠屋や関東郡代の屋敷 があったことから公事宿など、数多くの宿泊施設が点在していました。そして昨今では「東京2020大会」に向けて、ホテルの建設が相次いでいます。旅館業の変遷や貴団体の設立経緯についてご説明ください。

工藤 私が初代の組合長を務める3年前に発足した中央区ホテル・旅館組合は、「生衛法(生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律)」に基づき1958(昭和33)年に設立を認可された「東京都ホテル・旅館組合」の支部として35社が加盟しています。しかし遡れば生衛法発布の以前に日本橋には任意の組合が存在し、先代が1955(昭和30)年に組合長に就任した当時は60軒近くが加盟していたそうです。その後は地価の高騰で貸ビル業などに転じた旅館が多く、当時から旅館業を営んでいるのは数えるほどに減少してしまいました。業界にとって厳しい状況が続いた中で、2007(平成19)年に施行された観光立国推進基本法は新時代の幕開けでした。リーマンショックや東日本大震災などの深刻な状態を乗り越え、観光産業は日本経済を牽引し右肩上がりの成長を遂げています。今は都内の客室稼働率は好調ですが、私は開業ラッシュによる供給過剰の問題など、ホテルの基本理念である安全、安心、快適なサービスに支障を来たすのではないかと懸念しています。

山田 2021(平成33)年に貴ホテルは創業130周年を迎えられます。日本のホテル運営の根幹には、日本文化が育てた「もてなし」の精神があると言われています。お客様を迎える側として、どのような事柄を大切にされていらっしゃいますか。

工藤 我々の想定以上のインバウンド(訪日外国人旅行者)の数や高いリピート率という側面から見ても、日本的なサービスが既に浸透し定着しているのだと思います。私は常に新しいサービスのかたちを考え時代の要請に応えながら、旅館の伝統を守りつつ「もてなし」の質の向上に努めていく所存です。

山田 貴ホテルにも開催以来ご協力いただいている「EDO ART EXPO」は、皆さまのご支援のおかげで10回目が盛況のうちに幕を閉じ、本年は新たなスタートを迎えます(第11回は2018(平成30)年9月21日~10月9日を予定)。このイベントは中央・千代田・港・墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など約60カ所の建物がパビリオン(会場)になり「江戸の美意識」をテーマに伝統や文化、芸術に関わる展示を行っています。同時に催した「第6回東京都の児童・生徒による 江戸 書道展」では、約2000点以上の応募作品の中から62社のスポンサー企業が323点の入選作品を展覧いたしました。

工藤 幅広い世代の多くの方々に、江戸の伝統や文化の魅力を発信し続けることは意義深いですね。残念ながら日本橋には昔を偲ぶ遺跡が少ないですが、江戸の精神を連綿と継承する老舗や歴史上の舞台となった地があり、後世へと伝えていきたい財産です。

山田 それでは、史実に基づく工藤社長のお気に入りのスポットをご紹介いただけますか。

工藤 当ホテルの通り沿いには1626(寛永3)年に二代将軍・徳川秀忠公によって、江戸市民に時を知らせる「時の鐘」が最初に設けられたので、この道が「鐘つき新道(現:時の鐘通り)」と呼ばれるようになりました。
 また赤穂事件で名を上げた大石内蔵助ら9名の浪士は時の鐘近くの旅籠「小山屋」に宿泊し、そこから吉良邸へ討ち入ったと聞いています。小山屋の隣にあった本石町3丁目(現:室町4丁目)の「長崎屋」は、出島のオランダ商館長の江戸参府の定宿でした。一団にはドイツの医師・博物学者で有名なシーボルトたちが随行していたので、平賀源内や杉田玄白らも訪れ、交流が行われていました。歴史的な史実のみならず、計り知れない偉人がこの道を行き交っていたのかと想像すると、夢が広がりますね。

山田 葛飾北斎の「画本東都遊」に、オランダ使節団や彼らに興味を抱く江戸の人々の姿が描かれた長崎屋の情景があります。シーボルトも北斎に絵を依頼したようですから、二人が歓談していたと想像するとドラマを感じますし話が尽きませんね。私たちは江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」というネーミングでも、多岐にわたる事業を展開しております。「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。

工藤 日本橋美人のたたずまいの中には、日本橋で育くまれた伝統や文化の薫りが醸し出されていると想察します。女性の真の美しさは、仕草や立ち居振る舞いに見られるように内面が自ずと現れるものと感じております。


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林さやか  ■ヘアアレンジ・着付:衣裳らくや

  ※本記事は2018年3月15日時点の内容です。
 
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