季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 元号が令和になった新しい年に1894(明治27)年の創業から125年目を迎え、新社屋も完成された株式会社タナチョーの田中社長にお話を伺います。まずは御社の沿革やご自身の経歴についてお聞かせください。

田中 弊社の社名タナチョーの由来になっている初代・田中長一が長崎で田中商店を立ち上げた当初は、主に畳や木製建具の製造・販売をしていました。私は祖父の二代目・正行が1950(昭和25)年に本社を移転した地、日本橋室町で生まれ育ち中央区立常盤小学校に通いました。慶應義塾大学経済学部在学中は経済の専門家を目指しておりましたが、卒業後は日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)で国内融資や海外支店の勘定係システムに従事し、ニューヨーク駐在も経験いたしました。その後、三代目の父の早世により4代目を継いだ母の要望に応えるかたちで1992(平成4)年に弊社に入り、1999(平成11)年には代表取締役社長に就任し現在に至っております。弊社は一般の消費者の方に馴染みがない業種であり、事業内容を一言で申し上げれば窓を中心とした板ガラスやサッシなどの建材販売から施工までを展開しています。

 

山田 江戸時代の日本橋で伊勢や近江出身の商人が活躍する中で、長崎出身の長崎屋源右衛門により営まれた本石町3丁目(現・室町4丁目)の「長崎屋」は、出島に駐在していたオランダ商館長らの江戸参府の滞在場所でした。幕府が公認し諸外国に開かれた唯一の港があった長崎は、国際貿易都市として栄え向上心に溢れた人々が集った地です。御社は、どのような経緯で日本橋に拠点を構えられたのでしょうか?

 

田中 当時のガラスは高級品であったため一般での需要は少ないながらも、長崎貿易での貴重な輸入品を商業都市・日本橋に運ぶ必然的な流れがありました。明治時代になると建築物にガラス窓やガラス戸が取り入れられるようになり、弊社は取引先との関係や既に上京している長崎出身の経済人とのご縁で、日本橋に進出させていただきました。


山田 1967年(昭和42)年に本社ビルを建設され、その地で5年前に「日本橋室町3丁目地区市街地再開発」が認可されました。田中さんは再開発組合の理事長もお務めになられ、ご苦労も多かったと推察いたします。

田中 もともと日本橋室町3丁目地区の建物は、高度経済成長期に建設されたこともあり耐震やバリアフリー化が遅れており、1990年代前半に再開発の検討を三井不動産株式会社と始めました。バブル崩壊やリーマンショックの影響で延期を余儀なくされていましたが、2007(平成19)年以降に再び開発の機運が高まり賛同者も増え、2年後には街全体の計画へと発展したのです。その経緯の中で理事長のご指名をいただき、街に貢献すべきとの思いでお引き受けいたしました。案件としては関係者が協力して取り組んで参りましたので、順調に推移したと考えております。


山田 御社は4月に地上26階地下3階建ての大規模な複合ビル「日本橋室町三井タワー」内の新社屋に入居されました。最先端の技術が備えられていると伺っていますが、どのような環境でしょうか。

田中 本タワーにはバリアフリーや多言語表示、ダイバーシティなどを考慮した機能を備えるのはもちろん、特に安全・安心を維持するにあたり、国内初の取り組みになる既存ビルを含めた周辺エリアに電気と熱を供給できるエネルギープラントを設置しています。また、最新の耐震装置の整備、災害時の帰宅困難者を受け入れる施設も確保しました。


山田 今秋にタワーの低層階に商業施設「コレド室町テラス」がグランドオープンし、国内外の多彩なテナントが出店されますので楽しみにしています。

田中 そうですね。日本に初進出する台湾の暮らしと創造のカルチャー・ワンダーランドと言われる「誠品生活日本橋」を含む約30の店舗が揃います。オフィスフロアにもさまざまな業種の企業が入りますので、地域がますます繁栄するでしょう。


山田 新たな賑わいの創出に伴い、日本橋のグローバル化もより一層に促進すると期待しています。東京中央ネットでは年3回発行している「日本橋都市観光マップ」に加えて、既に増加する訪日外国人向けに英語版「Nihonbashi Area Official Guide Map」を3月に誕生させ好評を博しております。
 また、田中さんは創立時から弊団体の理事を務められ、御社はメイン事業「EDO ART EXPO/東京都の児童生徒による〝江戸〟書道展」にお力添えくださっています。本年の開催は9月20日~10月8日の19日間に決まり、中央・千代田・港・墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など約60カ所の建物がパビリオン(会場)になり協働して地域の活性化に寄与します。

 

田中 二つのイベントは最初からお手伝いしていますので、いよいよ地域活性化の一翼を担える事業に育ってきたという感慨深い思いがあります。また、前回の江戸書道展では応募総数が4000点以上におよび、72社のスポンサー企業のご協力で381点の企業賞を子供たちに授与できたのは大変に嬉しいかぎりです。私としても賞をご提供することで、奮起した子供たちが伝統や文化に触れる一助となれば幸いです。

 

山田 多くの時間を日本橋で過ごされた中で、特に思い入れのあるスポットはございますか。

 

田中 私は、子供の頃から歴史と風格を感じさせる日本橋の建造物に憧憬の念を抱いていましたので、川岸で凧揚げをしながら威厳のある姿を眺めていた名橋「日本橋」を筆頭に挙げたいと思います。その頃は大変におおらかな時代で、重厚な佇まいで重要文化財の指定を受けた三井本館などには探検と称して出入りをさせていただきました。今では、叱られてしまいますね(笑)。幼心に歴史的な重みを感じていたのは、江戸時代の金座の跡地にある日本銀行の旧館(本館)です。

 

山田 私たちは〝心も身体も美しく〟をコンセプトに、江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」を通して多岐にわたるプロジェクトを展開しています。日本橋美人とは、どのような女性だと思われますか。

 

田中 日本橋は老舗に代表される連綿と続く伝統と、最先端の創造性が融合している魅力に溢れた街だと自負しております。山田さんもよくご存知のように、ここにいらっしゃる諸先輩がたは粋なのですが粋がりません。それは日本橋美人にも当てはまるでしょうし、さらに、奥ゆかしく品性がありながらも気っ風のよい女性であってほしいと願っています。

 


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:薬真寺 香  ■衣裳協力:竺仙

  ※本記事は2019年6月15日時点の内容です。
 
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