季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 本日は「日本橋美人新聞」創刊50号の発行を記念して、松井建設株式会社の松井隆弘社長に、お話を伺います。
 御社は東京証券取引所に上場している企業の中で最も長い歴史を持ち、平成28(2016)年には創業430年、本年の令和元(2019)年に設立80年を迎えられました。まずは、その沿革についてお聞かせください。

松井 弊社は天正14(1586)年に初代・松井角右衛門が加賀藩第2代藩主・前田利長公の命を請け、越中守山城(富山県)の普請に従事したのを始まりとし、その後は同県の井波町(現・南砺市)に拠点を置き主に北陸・信越・北海道地方の社寺建築に従事していました。
 私の祖父である第15代・角平(第10代より角平を襲名)は、新橋演舞場の設計監理を任されていた大正12(1923)年に関東大震災に遭遇し、見渡す限りの瓦礫の山を目の当たりにしたと言います。この時に「首都の復興こそ建設業者の使命」と痛感し、松井組東京出張所を京橋区入船町(現・中央区入船)に開設するに及んだと聞いております。
 これを転機に東京へ進出した弊社は、一般建築へと業容を拡大し総合建設業の基盤を築きました。昭和47(1972)年には現在の地、中央区新川に新社屋を竣工し本社を移転いたしました。

 

山田 松井家の初代に遡れば、豊臣秀吉公の晩年の居城・伏見城の造営などに功績があった井波拝領地大工十人衆に名を連ねるほどの由来があります。脈々と受け継がれた伝統の中で17代目を承継されるにあたり、どのような研鑽を積まれたのでしょうか。

 

松井 私自身は、幸か不幸か16代目にあたる父から弊社の詳細を聞かされずに育ったので、跡取りという意識は希薄だったかもしれません。大学生になり初めて己の置かれた立場に向き合い、「逃げも隠れもできない」と覚悟したのです。
卒業後の昭和60(1985)年に、先代が懇意にしているご縁と会社の成り立ちが相似した戸田建設株式会社に就職し、一通りの勉強をさせていただきました。当時、通勤路にあった工事現場の仮囲いに「松井建設 創業400年」の文字を偶然にも目にし、たじろいだのは鮮明に記憶に残っています。もちろん、すぐに腹をくくりましたが(笑)。平成元(1989)年に弊社に入社し、ビジネスが厳しいといわれる大阪の支店に赴任するなど16年間にわたり大方の部門を経験したのち、平成17(2005)年に代表取締役社長に就任し現在に至っております。


山田 平成不況のさなかで大役を担われ、その後もリーマン・ショックなど日本経済の長期低迷が続く一方、IT技術の革新により社会が急激に変化しています。厳しい環境の中で、会社の舵取りを如何にされて来たのでしょうか。

松井 ご存じのようにGDPが右肩上がりの高度経済成長期とは異なり、厳しい時代に経営を引き継ぎました。
 弊社の歴史と「質素・堅実・地道」という社風を維持するために、先先代が提唱した「信用日本一」を社是とし、売り上げを追求するのではなくお客様に喜んでいただける仕事で信用を得ることがいちばん大切と言い続けています。
 また、おっしゃるとおり企業を取り巻く環境は常に変化していますので、予測が困難な今の時代には機敏な対応が重要であると考えます。品質の向上はもとより意思決定の迅速化や業務の効率化にBIM(ビルディング インフォメーション モデリング)、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)などのICT(情報通信技術)を積極的に活用しています。


山田 御社は社寺の建立・修復に数々の実績と信頼があり、高度な伝統技術を継承してきたことで「社寺の松井」と称えられ、宮大工や社寺建築技術者など後継者の育成にも力を注がれていらっしゃいます。

松井 おかげさまで弊社は明治時代以降で、全国各地で延べ2000件を超える社寺仏閣、文化財の建築や改修に携わらせていただきました。
 弊社には社寺建築の技術を守り伝承する創業以来の使命と、日本の風土に根付いた文化を絶えず進化させていく責務を果たし、社業を通じて社会に貢献してまいりたいと考えております。


山田 弊団体が主催している「EDO ART EXPO /東京都の児童生徒による〝江戸〟書道展」は、江戸から続く伝統や文化、芸術を身近に親しむ機会をご提供することで、それらを次世代へ継承できる一助になればとの思いで取り組んでおります。この事業には中央・千代田・港・墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など約60カ所がパビリオン(会場)になり協働しています。松井さんは弊団体の創立以後、理事を務め、ご助力くださっています。

松井 山田さんとは30年近いお付き合いになりますが、2つのイベントへのご尽力には頭が下がります。私は、初回の開催以来ご協力いただいているロイヤルパークホテルで浮世絵、東京シティエアターミナルで子どもたちの書を楽しみながら拝見しました。弊社と所縁のある増上寺様をはじめ神社仏閣がパビリオン(会場)としてご参画くださっているのも嬉しい限りです。今般の第12回(2019年9月20日~10月8日)は約130社の企業や団体から多種多様なご支援を頂戴し、書道展には72社のスポンサー企業により409名の子どもたちに賞を授与できました。お力添えを賜った関係各所の皆さま方に、感謝を申し上げたいと思います。


山田 どうもありがとうございます。
御社は築地本願寺様など区内での施工実績も多く、現在は日本橋兜町にある中央区立阪本小学校の改築工事を手掛けていらっしゃいます。特に、日本橋で思い入れのスポットはございますか。

 

松井 日本橋には江戸の食文化を堪能できる名店や日本各地の特産品が楽しめるアンテナショップがたくさんありますので、頻繁に食事や買い物に行きます。
 また、三井記念美術館が置かれた重要文化財の三井本館は新古典主義の意匠が施され、その荘厳な姿に魅力を感じています。

 

山田 私たちは〝心も身体も美しく〟をコンセプトに、江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」を通して多岐にわたるプロジェクトを展開しています。日本橋美人とは、どのような女性だと思われますか。

 

松井 近年、建設業では官民一体となり女性の技術職や技能者を増やすために多彩な取り組みを行い、活躍できる環境を整えています。日本橋美人は経済の中心としても発展してきた日本橋で働く中で、歴史や伝統に裏打ちされた教養をそなえ、謙虚さや気配りができる女性ではないでしょうか。

 


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林 さやか  ■衣裳協力:きもの工房 まつや

  ※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。
 
copyright 2004 Tokyo Chuo Bissiness Navi All Rights Reserved.