季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 今回の巻頭インタビューは、昭和西川株式会社の西川惠会長にお話を伺います。弊団体のホームページ企画「今月の顔」でインタビューさせていただいてから、早いもので20年近く経ちました。
 御社は2年後には設立80周年を迎えられますが、その起源は1566(永禄9)年に遡り、450年以上の歴史を有していらっしゃいます。 まずは、沿革についてお聞かせください。

西川 おっしゃるように、初代・西川仁右衛門が19歳で蚊帳や畳表の商いを近江国蒲生郡(現・滋賀県近江八幡市)で始めた年をもって創業年にしております。江戸幕府の江戸開発・整備にあたって技術者や商人を誘致したのに伴い、二代・甚五郎は1615(元和元)年に日本橋通一丁目(現・日本橋一丁目)に店を構え、江戸進出の第一歩となりました。萌黄色に染めた蚊帳「近江蚊帳」を考案したことで経営基盤を盤石にし、日本橋を本拠地に京都や大阪にも出店しました。弊社は寝具メーカーとして皆さまにご愛顧いただいておりますが、季節物の蚊帳に加えてそれまで各家庭で仕立てていた布団を商品化し、取り扱ったのは十一代・甚五郎で1887(明治20)年以降です。 十三代目の弟で私の義父・西川五郎は企業整備令に基づき、1942(昭和17)年に西川商店(現・西川株式会社)の製造部門にあたる昭和寝具工業株式会社(現・昭和西川株式会社)を立ち上げました。

 

山田 御社のように代を重ね歴史を刻まれてきた企業は、さまざまな環境の変化を乗り越え改革に着手しています。とりわけ七代目は中興の祖と称され、積立金制度「除銀」、日本で初めてのボーナス制度といわれる利益を店員に配分した「三ツ割銀制度」の導入や別家制度を確立するなどの経営改革、また、創業以来の史料を整理し明文化されました。
 西川さんのご経歴についてお聞かせください。

 

西川 私自身は、1959(昭和34)年に慶應義塾大学法学部を卒業後、株式会社電通に入社した頃は、テレビ放送がスタートし一般家庭にテレビが普及され始めた時期でしたので、ラジオテレビ局で七年ほど営業職に携わっていました。その後、西川産業株式会社(現・西川株式会社)で三十年以上にわたり取締役を務め、1999年(平成11)年に弊社の創業から経営手腕を振るった先代の後を継いで昭和西川株式会社の代表取締役社長に、2014年(平成26)年には会長に就任し現在に至っています。
 2009(平成21)年に第三次オイルショックの影響で経営難に陥った、家具・ファッション小売・卸商社の泰道リビング株式会社を私がM&Aした結果、寝具の販売のみならずライセンスビジネスへ展開し、関東中心だった販路も全国に広がり弊社の事業を発展させたと自負しております。


山田 御社の主力商品「ムアツふとん」は1971(昭和46)年の販売以後、約50年の間に累計500万台を販売するロングセラー商品です。宇宙ロケットのたまご型をヒントに科学的な根拠のもと開発され、床ずれ防止用に全国100カ所以上の医療機関が使用したのち、一般の消費者の方々への幅広いご愛用につながりました。高齢化社会を迎え寝床環境はとても大切ですし、良質な睡眠は予防医学に欠かせないといわれています。
 また、三年前には日本将棋連盟とのコラボ商品で、ムアツを使用した対局用の座布団を開発されたそうですね。

西川 弊社は製造業を生業にしておりますので高品質なのは勿論、「モノづくり」へのプライドとこだわりを大切にしています。その根幹をなすのは「良質な眠り」を通して、皆さまの「健康」をサポートし健やかで充実した日々の暮らしと、豊かな社会の創造に貢献していくことです。これは、代々受け継がれた家訓「誠実 親切 共栄」に繋がります。


山田 近江商人の思想に、売り手と買い手が満足できるビジネスを行い、商いを通じて地域社会へ貢献する「三方よし」の考え方があります。
 御社は東日本大震災、熊本地震の被災地に寝具類のご支援や、バスケットボールチームへのサポーターをされていらっしゃいます。
 弊団体の活動にも創立時よりご協力をいただき、おかげさまで地域の活性化に寄与し、江戸から続く伝統や文化、芸術を身近に親しむ機会をご提供する「第13回EDO ART EXPO/第9回東京都の児童・生徒による〝江戸〟書道展」の本年の開催は2020年9月25日(金)~10月13日(火)に決まっております。

西川 歴史に学ぶというのは大事であり、文化や芸術は人間の生き方に大きな影響を与え生活をより豊かにしてくれますので、江戸時代に培われた伝統を継承されている事業は素晴らしい取り組みだと思っています。
 書といえば「剣 禅 書」を極めた達人・山岡鉄舟を思い起こしますが、私自身は人生哲学の師・中村天風に教えを受け座禅を組んで30年近く経ちます。私なりに習得した「正しい姿勢と呼吸」や「プラスの気持ちを持つ」ことは質の良い睡眠に結びつき、子どもたちが正しく書を学び、常に確かな性根で人間性を育くむのにも大切な要素だと考えます。


山田 西川さんにお会いすると、いつも穏やかな笑顔をしていらっしゃるのは、健やかな睡眠の賜物なのですね。 日本橋で50年にわたり過ごされた中で、お気に入りのスポットはございますか。

西川 情緒溢れる日本橋の移り変わる街並みの様子を眺めながら、仕事の合間に散歩を楽しみリフレッシュしています。特に日本橋を挟んだ三越本店と髙島屋間の雰囲気が気にいっていますが、2009年に本社の機能を日本橋浜町に移して以後は、明治座の付辺や甘酒横丁などを散策しカフェで一休みする時もあります。


山田 私たちは〝心も身体も美しく〟をコンセプトに、江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」を通して多岐にわたるプロジェクトを展開しており、皆さまのお力添えのもと15年が経過しました。
 日本橋美人とは、どのような女性だと思われますか。

 

西川 政府は一億総活躍社会の実現に向け女性が輝く社会をつくるとおっしゃっていますが、女性の社会進出度は諸外国が着実に増加しているのに比べ我が国では、まだまだ低く課題も山積しています。しかし GAFA(Google・Apple・Facebook・Amazon)と呼ばれる米国IT企業が台頭し、ビジネス革新が産業や社会のあり方に変化を与えているように、時代は変わっていくのです。課題はあるでしょうが、商業・経済・文化の中心地として発展してきた日本橋における日本橋美人は、何事にも前向きで独立した強さと優しさを兼ね備えた女性であってほしいと考えます。山田さんみたいにね(笑)

 


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林 さやか  ■衣裳協力:きもの工房 まつや

  ※本記事は2020年3月15日時点の内容です。
 
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