「新喜楽」は宣伝活動をしたことがありませんが、芥川賞・直木賞選考会の会場としてご存知の方がいらっしゃるかもしれません。明治8年創業、初代は伊藤きんという女性でした。以降、店主は代々「女将」が務めています。開店当時の築地〜新橋界隈には薩長の政府要人が集い、長州出身の伊藤博文公が「女将と同じ苗字だから」ということで当店をご愛顧下さったと聞いております。大正6(1917)年7月1日に祖母が二代目女将となり、昭和54(1979)年に母が三代目を引き継ぎ、ふたりの弟夫婦・姉・従兄弟を筆頭にそれぞれが各分野を担当して今日に至っています。料理長は大正6年から昭和5(1930)年まで「近代日本料理の祖」と言われた渋谷利喜太郎(しぶやりきたろう)が務め、昭和21(1946)年まで門下生に引き継がれ、その後、「星岡茶寮」で腕を揮った村島祥二郎を迎えて、関西料理の長所を取り入れた豪傑かつ繊細な献立を創り上げて、今日の当店の基本となっています。
幼少の頃から店で働く家族の姿を見てきましたので、自分が同じ仕事に就くことに抵抗はありませんでした。26歳から当店に勤め30年弱が経ちますが、現在の率直な心境は「維持は創造と同等の困難を伴う」ということです。既に完成された作品を演奏するために全神経を集中する演奏者のように、各自それぞれの役割を正しく務めて初めて変わらぬおもてなしを提供できるのだと思います。 |