このコラムは書籍『私の芸能生活六十五年』を、数回に分けて掲載いたします。
語り: 藤間 小紫鶴  聞き書き: 笠原 陽子

 

■山本富士子公演で十年間

 

 

 やがて明治座の、東映歌舞伎が無くなって、そのあと、明治座では山本富士子公演が一月に始まったの。
 毎年、一月公演の東映歌舞伎に出演していたので、引きつづき山本富士子公演に出させて頂いたのね。
 山本富士子公演は、この一月公演から五月の御園座、十一月の 新歌舞伎座と、恒例で出させて頂くようになったのよ。
ちょうど、二十代から三十代にかけての十年間も、出演させて頂いたのだから思い出深いわよ。
 この頃が一番、楽しかったな。毎日が楽しくて楽しくてね。
舞台の上で青春やってたって感じだった。最高に幸せだったわね。
富士子先生には、凄く可愛がられていたし。舞台は毎日が大入り満員で、当時、富士子先生の公演は、本当に人気があったわよ。補助席が毎日出ていたもの。
 あたしは、性格が男っぽいから、女の座長の方が受けが良かったみたい。
 それに、あたしが、元々、山本富士子さんのファンで、ブロマイドなんかも随分持っていたし、嬉しくて嬉しくてしかたない気持ちも、富士子先生には伝わっていたと思う。
 富士子先生の公演の合間に、あたしは、東宝歌舞伎や帝劇、三越劇場、美空ひばり公演、舟木一夫公演などにも出演、走り回っていたのね。
 若くて体力もあったから、何もつらいことなんかなかったわね。
 あの頃は、仕事も忙しく楽しかったけど、良く遊びもしたわ。
 御園座公演で、名古屋から新幹線に飛び込んで、東京に帰る時、新幹線が満員で席がとれないでしょう。
 だから、まずは、食堂車に行って、一番奥のカーテンで仕切られた個室みたいなところに入るのよ。ここで、料理やビールをチビチビ飲んだりしていると東京に着くのよ。これも結構楽しい習慣だったわ。
 大阪の帰りなんかは、あたし、京都が大好きだったから京都に必ず寄るの、知り合いに紹介された清水寺の近くの宿に泊まって、旨いものたべたり、お気に入りの場所を散策したり。
 ほんと、今思えば、贅沢もいっぱいさせて頂きましたわ。


【写真 山本富士子公演の楽屋で】

 

つづく…
(次回 『キラ星のスターに囲まれて』 7月14日にアップします。お楽しみに)

 

  
 
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