このコラムは書籍『私の芸能生活六十五年』を、数回に分けて掲載いたします。
語り: 藤間 小紫鶴  聞き書き: 笠原 陽子

 

■キラ星のスターに囲まれて

 

 

 とにかく、山本富士子公演では、富士子先生の相手役が山口崇さん、中山仁さん、当時の扇雀さん(人間国宝・藤十郎)、当時の片岡孝夫さん(人間国宝・仁左衛門)、玉三郎さん(人間国宝)、林与一さんなどでしょう。
 本当に、素敵なスターと共演させていただいたの。  「お雛様」では孝夫さんの相手役が玉三郎さん。あたしは五人囃子の小鼓役。孝夫さんの大ファンだったから、共演出来るなんて、もう天にも昇るような気分だったわ。  孝夫さんとは、現代劇「白鷺」でも共演させて頂いたのね。勿論、相手役は富士子先生だけど。あたしは会社社長の秘書役で、孝夫さんと絡んだの。踊りも、一緒に踊らせて頂いたし。孝夫さんは、とにかく素敵でカッコ良かった。今もいいけどさ。
 その時、玉三郎さんが十八歳でね。もう、そりゃきれいでさ。ほんと、きれいだった。あまりにも、お肌もきれいだから、どんな化粧品使っているの、なんて聞いたりしてね。玉三郎さんは孝夫さんのことを、「孝夫兄ちゃん、孝夫兄ちゃん」って慕っていたわ。  

 その翌年には「神田祭り」で、林与一さんと絡んで踊ったの。四人の女性が踊るんだけど、これって、特別な幹部だけが踊れるんだから嬉しかったわよ。あたし、幹部なのよ。本当よ。後で話すけど。
 林与一さんとは、縁があるというか、偶然なんだけど、同じ役で、美空ひばりの公演にも呼ばれたの。「何だ。またお前か」って。
与一さんにはそれ以来、親しくさせて頂いてね。六年前に、三越劇場で、あたしの会「藤壽会」を立ち上げた時も、ゲスト出演して下さって、「夕立」を一緒に踊って下さったの。与一さんには、公私ともに細やかにご指導頂き感謝しているわ。
 人間国宝の澤村田之助さんとも、富士子先生の時にご縁が出来て、今もお付合いさせていただいているの。あたしの文化庁芸術祭参加公演で、ゲスト出演して下さってね。「隅田川」を一緒に踊ることが出来て嬉しかったわ。五年前だったかしら。
 この山本富士子公演は十年もやっていたから、様々な素敵な、思い出深い方々に出会ったわ。
 その中で、今も親しくさせて頂いているのが、仁左衛門さんのお姉さんの片岡庸子さん。腰元役でご一緒させて頂いてね。それ以来、京都の家にも泊まらせて頂いたり、あたしの、うちに遊びに来て下さったり、長いお付合いをさせて頂いているの。
 忘れられないのは中村芳子さん。あたしとは親子ほど年が違うけど。よく、うちに泊まって下さったわ。女性で唯一、歌舞伎に出た人なのよ。先代・中村鴈治郎さんの妹で、中村玉緒さんの叔母さんに当たる方。踊りも芝居も素晴らしい名手で、大先輩でもあるけれど、お友達でもあったの。
 素敵でしょ、こんな、出会いが沢山あったんですもの。この世界では、とにかく、沢山の方々にお世話になったわ。とりわけ、それぞれのジャンルで、その名を馳せている師匠に、面倒を見て頂き、感謝、感謝。
 一時期「地方」になろうと思っていたことがあってね。
 「大和楽」で、家元の久満さんにもお世話になったわ。久満さんとは学生時代からのお付合いで楽しい人だったの。残念ながら早くに亡くなってしまってね。
 小唄は三升延師匠、常磐津は常磐津駒代師匠、長唄は杵屋師匠、小鼓と太鼓は仙波宏裕先生。思えばなつかしい先生方。本当にお世話になりましたってお礼を言いたい。
 太鼓はね、石井ふく子先生の芝居「女とみそ汁」で、急きょ、習うことになったの。石井先生が「大丈夫」って心配されたの。
 あたしは、バチも持ったこと無かったのに、任せてくださいと啖呵切って、仙波先生の所に飛び込んだのよ。舞台稽古では石井ふく子さんにも習ったけどね。


【写真上 「藤壽会」発足の時、ゲストの林与一さんと「夕立」】

【写真下 澤村田之助さんと「隅田川」の舞台】

つづく…
(次回 『面白かったTVの「百年目の恋」』 8月16日にアップします。お楽しみに)

 

  
 
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