このコラムは書籍『私の芸能生活六十五年』を、数回に分けて掲載いたします。
語り: 藤間 小紫鶴  聞き書き: 笠原 陽子

 

■いじめられても、のほほん

 

 

 あたしってさ、さっき言ったように、ポジションとしては、これでも幹部級なのよ。苦労しないで、幹部まで来ちゃったから有難味が判らないけどね。
 幹部になると、ちゃんと、看板に名前も出るし、部屋も大部屋ではないのよ。暖簾もあるしね、衣裳の人がわざわざ部屋に来てくれて「お疲れ様でした」って言ってくれるんだから。二人か三人の部屋だけどね。
 東宝歌舞伎なんかでも、お客様に前列で手ぬぐい撒くのよ。手ぬぐいを撒くのは、前列に並んでいる幹部しか撒けないのよ。だから、舞台やる人は、みんな手ぬぐい撒くのに憧れてるの。
 それほど、苦労しないで、幹部になっちゃったんだから、あたしは、随分いじめられていたみたい。周りの人が心配してくれていたのね。あたしは、のほほんとしていたからね。
でもさ、いじめられても、しかたがなかったのよ。
 だって、私はわがままで自分の意に沿わないと、もういやだとか言ってさ、帰ってしまうしね。「もう二度と出してもらえないよ」って言われても、いいんです、二度と出ませんからって。
 みんな下積みして、這い上がってくるのにね。うらやましかったでしょうね。苦労している人からすれば、くやしいのよね。どこの馬の骨かわからない娘が、好き勝手な振る舞いをしていたのだからさ。
 とにかく、あたしは、誰にもお行儀やルールを教えて頂いていなかったから、何も判らずにいたのね。舞台に出ている人はみんなプライドもあるし、お行儀もいい。変なこと出来ないしね。
 それをあたしはさ、いつ辞めても平気、ダメで元々よって感じだったし、身をわきまえずに、スターのような振る舞いをしていたのね。
 それと、あたしは言い訳したりするのが嫌な性格だったから、色々、あること無いこと言われても、言い訳もしないし、のんびり構えていたの。
 今思えば、あたしも若かったし、いじめはともかく、踊りも芝居も、気楽にやってしまった事を、もったいなかったと思っているのよ。
 不真面目に踊っていたわけじゃないけどさ、もっときちんとした心構えで真剣に踊りたかった。
 それと、もっと若い時に芝居の訓練をしていれば、あたしの人生も、随分変わったかな、なんてことも思うこともあるのよ。あたしの場合、いろいろなチャンスにも恵まれていたしね。
 下積みがなかったから全く欲が無かったのね。いい女優になろうとか、スターになろうとか、ハングリー精神が無かったわね。
 大体、日舞の人は、お嬢さんが多いから「そんなところには出ません」って、オファーが来ても断るのが多かったの。だから、そういった役は宝塚やSKDの卒業生に行っちゃうの。
 でもね、踊りだけの人ってね、その人達と違って特殊ないいもの持っているのよ。東宝歌舞伎の場合は、その日舞出身が凄く多かったの。その中の何人かが明治座に行ったりして舞台に出ていたのね。
 いずれにしても、「あんたは、度胸だけでやってるのね」ってよく言われるけど、ほんと、自慢じゃないけど度胸だけはあったから、どこにいっても動じなかったわね。

 

つづく…
(次回 『三越劇場のこけら落としに抜擢される』 11月15日にアップします。お楽しみに)

 

  
 
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