このコラムは書籍『私の芸能生活六十五年』を、数回に分けて掲載いたします。
語り: 藤間 小紫鶴  聞き書き: 笠原 陽子

 

■三越のカルチャー講師に

 

 

 そうこうしているうちに、三越のカルチャーが始まったのよ。
三越と関わり合ったのは、まさに偶然だったの。
 これは、自分からアプローチしたわけでは無いのよ。たまたま、あたしが舞踊協会で「保名」を踊った時、招待したお客様が、三越の関係者と一緒に見て下さってね。
 ちょうど、その頃、三越で江戸幕府四〇〇年のパーティがあって、踊ってくれないかと要請されたの。勿論、踊ったわよ。
 その時に、今度、三越に新館が出来てカルチャーサロンも始めることを聞いたのね。
 「日本舞踊も入れたいが、やっていただけませんか」って。
 もう、びっくりしてね。エー、あたしでいいんですかって、思わず聞いたのね。
 普通だったら、有名な流派のトップの先生でしょう。
 だから、紫先生にって言ったら、三越さんは、「名前だけで、お稽古に出られない人は駄目」って。紫先生もお忙しかったし、結局、あたしが引き受けることになったの。
 このカルチャーも、かれこれ十一年目に入ったの。十年ひと昔って言うけど早いわね。

つづく…
(次回 『生涯、現役で踊りたい』 3月15日にアップします。お楽しみに)

 

  
 
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