“年齢やその人を取り巻く(結婚・出産・介護)環境に関係なく、本人の持つスキルや人間力、仕事に対する意欲があれば、良い仕事が出来る”それがエイジフリーのコンセプトです。働く場面で活躍したいという希望を持つすべての女性に向けて、私の経験も含めてお伝えできればと思います。

 

 ここ数年、安倍内閣が女性活躍推進を成長戦略の3本の矢の1本にと発表してから、各企業では、女性役員、女性管理職の育成に着手し始めました。
 国は、保育園を増やし待機児童をなくす努力をしています。でも現実は厳しく、保母さんの数も少なく苦戦しています。私にとっては、やっと動き出したという感じですが、うれしいです。
 

 30年前に37歳で1歳の娘を育てながら再就職に挑戦した際には、履歴書は全部戻って来てしまい、何十社も断られました。
 私は美大を卒業してグラフィックデザイナーとして数年のあいだ、広告代理店で働いた経験もあったのですが、作品を見てもらえず、すべて履歴書で落とされたのです。37歳という年齢、1歳の子供がいる、女性である、というこの3つの理由でです。その後“とらばーゆ”に載っていた広告代理店の企画営業の募集広告では、当時で10時~16時の時短勤務、そしてなんと保育費を2万円負担してくれると書いてあったのです。すぐに応募をし採用されました。仕事はデザイナーでなく営業でしたが、広告代理店だったので、すぐ馴染めました。30年前にそんな会社があったのです。


 私が入社した事業部は、皆ママさんばかりでした。飛び込み営業で、私は京橋2丁目がテリトリーで毎日、朝礼が終わるとすぐに外勤に出て行きました。初めは断られてばかりで自信をなくし、辞めようかと思いましたが、私を受け入れてくれた会社に恩返しをしてからと思い、続けていくうちに契約が入り始め、だんだん楽しくなってきました。「一生懸命やっていたら必ず結果が出る」と先輩に教えられ、「早く人の上に行きたかったら、人と同じ事をしていてはダメで人の何十倍も努力しないと」とも云われました。
オフィスには“スーパー営業ウーマンの条件は、もっとも断られた数の多い人”という文字が貼ってありました。初めは意味がわかりませんでしたが、「それだけ沢山アプローチしている事なのだ」と理解し、とにかく人より沢山アプローチしようと思いました。「やるべき事をやっていれば必ず結果は後からついてくる」という事も学びました。ここの事業部はママさんばかりですが、実績を上げた人は、きちんと評価され収入も増えていき、昇格もしましたからやりがいがありました。

 

 おかげ様で25年の間で、私は、すべての役職を経て社長になることができました。「日本は起業して社長になる女性は沢山いるが、あなたのように、階段を昇って社長になる女性は少ない」と日経新聞の記者が云ってくれました。
 この様な経験が、私が“女性がいくつになっても仕事で輝ける社会の実現”を目指そうと活動を始めたきっかけになった事は、間違いありません。

 

 

 

 

 

  
 

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