中央区には事業所が約4万社あります。そこで働いている人は72万人に上ります。商売が上向きになればこの72万人の人が幸せになれます。私の役目は中央区の企業や働く人が幸せになるお手伝いをする事です。
起業、廃業、倒産、第2創業、バブル、事業承継、相続、これら全てを事業の現場で体験した屈指のコンサルタント「岩田剛三」が体験を通して感じた商売や生き方のコツを皆さんにお話しします。

 

 さて、前回は2回目の不渡りを出して会社が事実上倒産、山のような資料を持って銀座並木通りを走って逃げたお話をしましたね。その日から遡る事1年半前に私はその会社に入りました。何故どうしてそこに入ったのかというと…。

 

 大学で勉強はしたけれど若干21歳、自分の望む物には何にでもなれると思っていて、でも何になっていいか判らない当時はそんな年頃でした。バイト先で知り合った先輩がたまたま宣伝部にいて、何回か一緒に飲むうち、こっちの水は甘いぞではないけれど「広告の仕事は面白いぞ。」「青木は文章かけるから向いてるよ。」とおだてられ「よし広告業界で一旗あげよう!」と仲の良い姉(本当の姉です。)に相談したら「内の会社(何と姉はモデルエージェンシーに勤めていたのです。もちろんモデルではありません。)の社長の知り合いの広告代理店が欠員の募集をしているわよ!」という訳で面接を受け、銀座の広告代理店に営業として晴れて就職いたしました。

 入社後に知ったのですが、この会社は日本で最初に出来たグラフィックデザインの会社で友人に話したらよく入れたなと言われました。確か朝9時半からの勤務でしたが、9時半に行くと殆ど誰も会社におらず、行き先を記入する黒板に喫茶店の名前がだ~っと書いてありました。打合せアマンド、打合せウェスト、風月堂、シドとかです。その喫茶店での打合せが終わり昼前からデザインワークが始まる訳です。



前任者から引き継ぎを受け担当したのが静岡にある某自動車メーカーでした。週の半分は新幹線で静岡詣となりました。ほぼ作っている製品ごとに販促物が発生するので、まずは依頼を受けると先方の担当者と大体のアウトラインを決めて、東京へ帰ってデザイナーとコピーライターを交えて打合せ、ラフなカンプを仕上げて静岡にて打合せ、何回か往復をして稟議をもらうと今度は撮影やモデル、小道具や時には大道具、スタジオの手配等々目まぐるしく日々が過ぎていきます。

 

 当時の担当者の中に一人、中々決める事が出来ないというか決められない人がいました。上司の顔色を伺い、責任はこちらに取らせたい、あるカタログで小さなカット写真をA、Bと2種類撮影したのですが選んでもらおうと思ったらこの人、選ばないんです。選ぶと自分の責任になってしまうから。私も堪忍袋の緒が切れて思わず「この卑怯者!」とクライアントの会社で叫んでしまったのです。ああ、大変な事を言ってしまった!だってその瞬間何百人といるフロアが静まり返りましたから。もうおしまいだ~!と思った瞬間、私と担当者の顔つきが面白かったのでしょうか、どこからかくすくすと笑い声が起きそれが連鎖して何とフロア中大爆笑の波が。それからは「今度銀座に面白いやつが入った!」と評判になり沢山仕事をもらいました。瓢箪から駒とはこのことです。この事件はライバル会社にも知れ渡りそんな面白いやつだったら是非にと会社倒産の際、ライバル会社から静岡支店長を打診されました。

 

 そんな中で最初の大仕事はカレンダーの作成でした。月代わりの12枚物、前年に初めて作ってその作品がどこぞの広告大賞を取ったらしく2年続けて賞を取るべくクライアントも車内も燃えていました。新人の僕がこんな仕事を担当していいのだろうかとも思いましたが今年の内容は「ヌードカレンダー」と聞いた時に私も燃えました。

 このカレンダーはコンペだったのですが前年の実績もあり、何よりも「銀座の広告会社」に制作を頼みたいと言うクライアントの変な潜在願望がありすんなり受注できました。最初のヤマはモデル選びです。12枚あるので12名使うか、著名なモデル1名で12枚行くか、その間で数名でやるか、オーディションを繰り返しながら侃侃諤諤進んでいきました。なかには「この娘ならお客さんの部屋に夜行かせます!」と僕の耳にささやいたマネージャーもいました。結果はメインが1名、サブが2名で決まりました。このメインは日活の女優さんでした。

 

 次はスケジュールとロケ地の選定です。海外という話も出たのですが予算とスケジュールが合わずに真夏に北海道の納沙布岬と決まり、3泊4日の撮影旅行となりました。朝日を受けての撮影やら夕陽をバックにしての撮影やら順調に進み最終日前日の夜、私の部屋をコンコンとノックする音、ドアを開けるとヘアメークのおかまのSちゃんがウィスキーの瓶をぶら下げて「岩ちゃん、お疲れ!最後だから一杯のもっ!」断れば良かったのにね~。いいウィスキーだったから。酒が進みSちゃんが「そうだモデルのM子ちゃんも呼ぼうっと!」てな訳でモデルさんも交えてとても楽しく宴会となりました。

 

 その翌朝最後のワンカットの撮影です。ファインダーを覗いたカメラマンが「M子ちゃん、なんか顔が腫れぼったいけど寝不足かしら?」これが響いてその年は賞が取れませんでした。
 次の大仕事は新製品の販売カタログです。この会社は自転車も製造していて当時画期的な製品を作ったのです。そこで有名モデルを使っての撮影となり当時売出し中の女優が選ばれました。浜名湖での撮影が決まりその女優を駅まで迎えに行くと挨拶もそこそこに開口一番「どこかに薬局ないかしら。私生理なの!」と仰いました。生まれて初めて女性と一緒に生理用品を買いに行きました。この女優さんは今でも活躍しているFJさんです。


その他にも色々な仕事があり同僚や先輩にも恵まれお金が無い以外楽しくやっていましたが、そんな中にも会社の危機は着々と進んでいたようです。ある日専務室に呼ばれたのです。

TO BE CONTINUED

 

平成28年 卯月

 

  
 
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