中央区には事業所が約4万社あります。そこで働いている人は72万人に上ります。商売が上向きになればこの72万人の人が幸せになれます。私の役目は中央区の企業や働く人が幸せになるお手伝いをする事です。
起業、廃業、倒産、第2創業、バブル、事業承継、相続、これら全てを事業の現場で体験した屈指のコンサルタント「岩田剛三」が体験を通して感じた商売や生き方のコツを皆さんにお話しします。

ある日いつも通り出勤して、いつも通り喫茶店に行こうとすると、受付のIさん(この人美人だったなあ)が「岩田さん、朝から専務がお部屋でお待ちかねよ。」というのでそのまま専務室へ直行した。面接以来この部屋には入った事がないので緊張気味にノックすると、専務がにっこり笑いながら応接の椅子をすすめてくれた。この人は元々営業畑でどこか他社ら社長にスカウトされたらしい。すらっとした長身でいつもポケットチーフを胸に挿しスマートな人だった。同時に社長は新宿にアネックスなる広い部屋を借りご自身は執筆やら海外のデザイン事情の研究やらに専念し、実際に経営しているのはこの専務だと言う事であった。


「岩田君、最近仕事はどうだ。大分慣れてきたようだね。」
「はい、先輩諸氏のお陰です。」
なんて世間話の後に
「ところで、今見積もりを出している仕事は何と何がある?」
「ボートと自転車のカタログが各一点、これからカンプを出しますが。」
すると専務が
「そうか。その二つで幾ら位になる?」
私は記憶を辿り
「確かボートが85万位で自転車が40万位でしたから合わせて125万位ですかね。」
その後衝撃の発言が
「その125万を前金でもらう訳にはいかんかね。」
は?前金?だってまだ仕事何もしてないけど…。返答に困っていると
「とにかく聞いてみて。」と専務が仰いました。


デスクへ戻った僕は思い余って直属の上司に相談すると、上司のNさんはびっくりした顔で専務室へ飛んでいった。
暫くして戻ってくると
「岩田君、前金の交渉はこちらでやるから。決まったら集金に行ってくれ。」
入社1年足らずの僕に前金の交渉はさすがにさせられないと思ったのだろう。専務が交渉したのか上司が交渉したのかは判らないが話はまとまりその何日後から、後に浜松エクスプレスと呼ばれる東京⇔浜松日帰り集金便がスタートした。
午前中の新幹線に飛び乗りクライアントから手形を受け取り午後一で帰ってきて専務に手形を渡す。しかも見積もりの全額をくれる訳ではなく3回程度に分けて手形発行となり、その都度新幹線で浜松へ日帰り。その間に普通?の仕事でも行くから殆ど毎日新幹線に乗っていた。
そんな事を繰り返していると、さすがに周囲があいつ最近オカシイぞと。なんであんなに毎日のように浜松へ行っているんだ?制作部長やアートディレクターにも聞かれるのだが、何せ専務からは他言無用と言われているので言うに言えない。でも支払が遅れ気味になるから、やがて外部からも噂が入ってくるようになる。
この頃になると「うちの会社危ないかも?」と公然の噂になり私も各部から再三取り調べを受けるようになったが、手形を受け取りに行ってるから会社が危ないのは薄々感じてはいたが、じゃあどの程度危ないかは全く判らない。「岩田に聞いても埒が明かん!こうなったら専務に直接聞こう!」そこで個々に聞いても始まらないのでいわゆる団体交渉の形にしようと言う事になり、初の労働組合が結成された。設立手続きも終わり最初の総会の場に専務を呼んで事情を聴く段取りとなった訳だが…。

 

当日は社員の殆ど全員が会議室に集まり熱気にあふれていた。議事が進み組合委員長や幹事が決まり専務が来るのを今や遅しと全員待ち構えていた。予定時刻を30分、1時間過ぎても現れず、ただ社長がこちらへ向かっているという情報がありひたすら待っていた。
そこにドアがバタンと大きな音をして開き経理部長が興奮した表情で飛び込んできた。
「皆さん!たった今当社は2回目の不渡りを出し銀行取引停止となりました。間もなく取立屋が来るでしょう。その中には危ない筋の人も大勢いると思うので持ちだせるだけ資料を持ち出して今すぐ逃げて下さい。早く!」

そこで僕は両手両脇に沢山の荷物を持って銀座並木通りを走る事となった。後から聞いた話では会社はそんなに儲かっていた訳ではないらしいが、潰れるようなひどい事にはなっていなかったそうで功を焦った専務が投資話に引っかかったらしい。


その後組合は写真スタジオに立てこもり機材を売って未払給与にあてるべく随分頑張っていた。会社から持ちだした資料を持って浜松のクライアントに行ったらもう大歓迎された。その内の担当者の一人がライバル会社のB社に話を付けてくれて是非うちに来てくれ、と言われたが昨日まで悪口を言っていた相手の会社にはすぐに入る気にはなれず丁重にお断りした。
その後元の会社の仲間が新会社を作りそこに勤めたが、発起人の一人がお金を持って逃げてしまった。やはり給与がきちんと入らなくなるとやばいと身に沁みた。その後六本木の喫茶店で学校の先輩とばったり出会い、そこの会社に2年程お世話になった。そこでイベントの企画や飲食店のマーケティング、リゾートホテルの開業計画、はたまたサファリパークの開業企画まで携わった。大きな経験になった。あそこでその先輩に会ってなかったらと、今更ながら思う。


その後の消息は飲食店を始めた人もいれば、そのまま起業した人もいるし、フリーになった人や全然別の業界(経理ソフトの会社)で役員になった人も、変わり種では学校の用務員さんになった人もいる。この人は以前から用務員になりたいと言っていたので本望かも知れない。しかし、大半の人は消息が判らない。会社が倒産をする事は多くの人の人生を狂わせるのは間違いない。今の時代はM&Aや廃業や一部譲渡とか色々な選択肢があるので、もし貴方が行き詰ったら巧い投資話に乗るのではなく、専門家に相談をして欲しい。打つ手は無限大にある。

 

さて早い物でこのコラムを書き始めて2年になります。時が経つのは本当に早いです。どんなお金持ちでもどんなどん底の人でもこの「時」は平等に流れます。1秒は誰にも1秒の筈です。時の流れをどう感じるか人様々です。忙しく使うのもいいですし、時には休んでのんびりと時を使う事も幸せかも知れません。
今までご愛読有難うございました。私も一度お休み(もちろん有給休暇です)を頂いてのんびりした時の使い方をして見ようと思います。またいつかどこかでお会いできる日を楽しみにしています。
いつでもどこでも私はお祈りしています。貴方と貴方の大切な方に素敵な「時」が沢山流れますように、恋も仕事も絶好調でありますように…。感謝を込めて!

 


 

 

平成28年 皐月

 

  
 
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