『江戸』のまちづくり


江戸の原風景<江戸の原風景>

江戸と言う地名の由来は諸説がありますが、海水が入り込むところを示す『江』と、その入り口という『戸』から『江の戸口』という意味のようです。江戸のまちの中心は、当時は日比谷入り江の奥に位置していました。今の中央区の中心は日比谷入り江を隔てた江戸前島という半島のような部分でした。
『江戸』の地名が歴史上に現れるのは12世紀末の鎌倉幕府が開かれた頃です。当時は坂東武者の棟梁江戸重長が支配していましたが、この棟梁は鎌倉幕府の成立時には大いに活躍したと伝えられています。ただ、当時の様子は江戸湊の背面は広大な大地で、全体は葦やススキの生い茂る原野だったようです。しかし、隅田川、溜池、千鳥ガ淵の名はすでに当時の地図に見えます。
江戸の原風景
江戸の原風景〔出典:「江戸の町(上)-巨大都市の誕生-」内藤昌 著/穂積和夫 画 草思社〕
NEXT CONTENTS
江戸は世界一の巨大都市 徳川家康の入城<江戸の第一次建設>
陰陽学がもとになる江戸のまちづくり<四神(しじん)相応の地形> 日本橋・京橋・八重洲の誕生−江戸湊の整備−<江戸湊の整備、江戸の第二次建設>


back