古今東京 府下第一の劇場新富座
三代広重 不明(中央区立京橋図書館所蔵)



現在の周辺環境

新富座跡(新富2−6−1)
江戸時代、歌舞伎は庶民に与える影響が大きいと幕府は芝居の興行を官許制としていました。江戸で興行を許可されていたのは中村座、市村座、森田座の三座。新富座は森田座の後身で1872年(明治5年)に新富町に移転した。

築地小劇場跡(築地2−11)
演出家土方与志が1924年(大正13年)開場した日本新劇運動の拠点。1945年(昭和20年)の空襲で焼失、その後再建されることはなかった。

活字発祥の碑(築地1−12)
1873年(明治6年)に平野富二が興した、長崎新塾出張活版製作所(後の東京築地活版製作所)がこの地にあった。ここでは活字だけでなく活版印刷機械や、その付属品も製作、日本印刷文化の源泉となった。

靴業発祥の地(入船3−2)
1870年(明治3年)、日本初の西洋靴の工場「伊勢勝・靴場」がこの地に創建された。創業者の西村勝造は陸軍の創始者大村益次郎の勧めと、佐賀藩主堀田正倫ならびに渋沢栄一の支援で靴工業を始め大成した。

桂川甫周屋敷跡(築地1−10)
桂川甫周は代々幕府医官で奥医師をつとめた桂川家の四代目。1774年(安永3年)に刊行された「解体新書」の翻訳事業に最年少で参加し、洋学普及に貢献した。

back