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■ 7月26日発行  このページの先頭へ
「水辺からの都市再生」シンポ開催
NPO法人「都市環境研究会」主催
  NPO法人「都市環境研究会」の主催によるシンポジウム「水辺からの都市再生」が15日、銀座ブロッサム(旧中央会館)の大ホールで開催された。午後1時半から六時半までの長丁場にもかかわらず会場は人で埋まった。日本橋川・亀島川流域連絡会と水の都・中央区を作る会が協賛した。韓国ソウルの清渓川(チョンゲチョン)の再生は、日本橋川と似た状況にあった川の水辺を再生させるものとして注目された。パネルディスカッションは、「取り戻そう川沿いの環境と賑わい」がテーマ。主催団体の三浦裕二会長をコーディネーターに次のパネラーが出席。立石晴康都議(水の都・中央区を作る会会長)金光鎰(アジア工学会連合協議会会長)鳥越けい子(聖心女子大学教授)白仁田君代(船宿鈴木屋女将)の各氏。パネラーの主な発言をまとめた。

観光や歌の心で意見交換

  立石都議 亀島川と日本橋川の交差する所の巨大な水門は今の東京の川を象徴している。水害を防ぐ目的はわかるが機能一点ばりに過ぎる。同じ川の上を走る高速道路は、東京オリンピックめざして昭和39年に完成したもので戦後復興の象徴であった。いま耐用年を迎え、皆さんの知恵で新しい川べりの復元をすすめている。
  鳥越教授 「花」の歌が作られた時代の隅田川には確かに「船人たちのさんざめき」があったが、高速道路の騒音は川にはミスマッチだ。「春の小川」の渋谷川も、歌碑の近くがごみ置き場同然になっている現実は「もとの川をとり戻してほしい」のメッセージに思える。
  白仁田女将 神田川から隅田川への屋形船は江戸情緒を今に残しているものと自負している。ただし、安全と景観のためにゴミ船は通さないでほしいし、水上バスも速度制限をお願いしたい。荒川ではずてに速度制限が実施されている。
  金会長 率直に言って大国日本として、本州と四国に三本も橋を渡すだけの金があるならば、その金で川をよび戻すことは十分に可能だ。
  立石都議 アメリカの始まりの都市ボストンでは高速道路を地下化して地上を公園にして、私も見に行ったが、その美しさと開放感に感激した。東京は高速環状線が未完成なために、高速道撤去が簡単にはいかない。さらに東京を観光都市にしていくことが重要と考える。自動車産業に匹敵するともいわれるが、東南アジアの優秀な人たちの心を癒せる都市にしたい。また、私は昨年、フランスのストラスブールに行って路面電車LRTを視察したが、人がモグラのごとく地下に出入りしている東京を残念に思った。
  鳥越教授 日本の風景を歌ったものに読みこまれている思いが大切で、教室だけで唱うものとしてほしくない。タイは川が道路という感じになっていて、エコツーリズムに参加した。ホタルの名所に行ったところ、クリスマスの豆電球のようにホタルが光っていた。ところが集まる船のモーターエンジンの音がうるさいというので、ホタルの集まる木が切られてしまった。地域のコンセンセスや状況を工夫していくことが必要なんだ、と痛感した。
  白仁田女将 今の状態をよりビジネス化するには橋のクリアランスや川の整備が必要だし、川の両岸には住んでいる人も多いので、そうした住民との共生も大切だ。


ソウルの再生記録
三浦 裕二教授

  韓国ソウルを流れる清渓川(チョンゲチョン)は、日本橋川・神田川・亀島川、隅田川と同じ「母なる川」であったが、東京都と同様に都市の変遷の犠牲になってきた。洪水と生活排水によ汚濁川に蓋(ふた)が架けられ、道路となり、さらに高速道路として都市機能集中の牽引になる。しかしこの川の水が再生することになって、ソウルは東京よりも先にその事業を具体化させた。シンポ主催のNPO会長をつとめる三浦裕二・日本大学名誉教授はその経済を次のように説明している。
  現市長の李 明博氏は、2002年4月の市長選挙への立候補に当たって、人口一千万人を超える大都市ソウルを環境に優しく、人中心の都市空間とし、600年の伝統とモダニズムが調和する北東アジアの中心的都市とするため清渓川の復元を公約の一つに掲げた。この復元構想は、大学および民間レベルで約10年前から研究が積み重ねられていたものだ。川の復元は4車線の高速道路の撤去のみならず、8車線の一般道も4車線に縮小されることを意味する。枝線とはいえ高架道路の日交通量は10万2千台、一般道の日交通量は6万6千台である。これらの交通量がプロジェクト完成後の4車線で対応できるよう、バスや地下鉄など新たな公共交通システムを再構築し交通管理の向上を図るとしている。公約では事業方式(3工区・プロポーザルコンペ方式)と工期(02年7月〜05年7月)はもとより事業費約3600億ウォン(約360億円。65%の235億円は構造物の撤去費用)を特別市で負担することも示された。老朽化した蓋とその構造体は危機的状況にあり、供用後30年を経た高架道路の維持修繕費を含め100億円を超える多額な予算を必要としていた。さらに撤去は何よりも都市の安全問題を根本的に解決することにつながっていた。
  市民の賛意を得て当選を果たした李氏は、02年11月市民委員会を立ち上げ事業に着手した。
  市民委員会は各界各層の市民代表と関係する専門家29名で構成された下部組織に歴史・文化、自然・環境、建設・安全、交通、都市計画および市民意見の6分科委員会(総勢85名)とそれを調整する企画調整委員会が14名の市職員によって編成された。委員は各界の専門家が59名(53%)を占め、市民団体と市民代表が35%(31%)、議員と担当部局の職員が18名(16名)で構成されている。
  同時にプロジェクトの執行機関として「ソウル市清渓川復元推進本部」が設けられ、建築と環境を専門とするソウル大学教授・梁統在博士が復元推進本部長を兼任する。
  特筆すべきは市長就任の日(02年7月1日)にこのプロジェクトが開始されたことと、その合意形成システムである。この年の年末には基本計画案が提示され、新年早々に市民委員会での審議が始まり、議会への報告と市民公聴会を経て、2月末には入札公告、6月に3工区に分けた事業者の決定を見る。この間、商店街による計画反対のデモも行われたが、1年後の03年7月1日に着工するというスピードである。準備が早ければ工事も早い。当初、高架道路部の撤去に3カ月を予定していたが、2カ月に短縮され、順次河川の復元事に着手されている。その過程で、高架道路の橋脚の数本は、都市の記憶のためのモニュメントとして川の中に残すという。細かい心づかいだ。
  市内長橋洞には広報館が置かれ、計画から完成までの行程と工事中の対策などが解説される。初期に蓋がかけられた状況下の清溪川探検ツアーも企画され人気を博し、国内外から来訪者は一万人を優に超えたという。こうした努力のためか、現在では市民の八割がこのブロジェクトに賛成している。
  技術面はさておき強力なリーダシップ、合理的な合意形成システムおよび行政の仕組みには学ぶべきことも多い。
 
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