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■ 3月7日発行  このページの先頭へ
「蛎殻町銀座」と「口入宿」の説明板
人形町「冨士鉱油ビル」に、有田氏が解説

  人形町通りから穀物取引所に至る通りに名称はついていない。この通りの中ほどにガソリンスタンドがあり、1月27日の午前零時すぎに大きな爆発音がおこり近隣を驚かせたが、この事件のあった冨士鉱油ビルの通り側の壁に江戸時代、このあたりがどういう町であったのか「いわく因縁」を記した説明板が掲示され人目をひいている。
  「このあたりの歴史を多くの人に知っていただきたい」と冨士鉱油の願いを受けて、横丁の郷土史家で知られている地元の有田芳男さんがしたためたもの。蛎殻町銀座と口入宿にしぼって説明し、古地図や絵図を併載して次のようにわかりやすい解説をしている。目線の高さに掲示されているので読みやすい。いちど、是非ご高覧を。
  <蛎殻町銀座〜銀座ここにあり〜>銀座といえば、江戸のごく初期の慶長17年(1612)に、銀貨と禁制品である銀のことを一切を取り扱う銀座役所が現在の銀座にありました。松平定信の寛政12年(1800)に銀座鋳造所で、銀貨改鋳の不正事件が発覚して、銀座役人が処罰され島流しの刑に服する役人もいました。その結果銀座は日本橋の蛎殻町に移転を命ぜられるという事になって、享和元年(1801)七月に蛎殻町に3560坪の敷地をもらって、役所がそっくり銀座から移転してきて、以後この地を蛎殻銀座と呼ぶようになりました。因みに、冨士ビルのあるこの界隈は蛎殻銀座の一角でした。
  <口入宿(くちいれやど)>人形町から日本橋に通じる道に親父橋と呼ぶ橋が架っていました。この周辺の芳町には江戸の頃から口入宿が軒をつらねるようにありました。以前は職業安定所、いまのハローワークには大勢の人が集り、就職(奉公)先をえらぶ姿が各々の店で見られたのが早朝の風景でした。
  江戸はもちろん近県から集ってきて、生業に付きたい雇われを望む人、つまり職を求める人の希望を次から次と帖面に書きとめる帖付けの役は、えんまと呼ばれている番頭でした。午前七時頃になると、一同に集まった広間で帖付けのえんまが、何處の何屋または何商売の飯炊き、あるいは出前持ちはどうか、と言うように職を斡旋するのが口入宿でした。明治になって早々から人形町通りが確立し、各店が並び繁昌したのは江戸時代からここ一ヶ所に在った口入宿街に、毎日のように大勢の人が集まってきたのも、人形町繁栄の一助であったはずです。

 
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