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■ 1月1日発行  このページの先頭へ
亀島川の川辺を再生して国際交流拠点の街づくり
千葉大の学生たちと新春座談会

  中央区内の「まちづくり」は各地域の特性で推移してきた。広大な敷地では晴海や浜町のような大規模開発を実現し、人口回復への起爆剤の役割を担ってきた。また東京駅前では都心区としてのプライドにかなう構想が描かれ、国も応援の姿勢を示しながら、地元の地権が複雑なことなどがからんで停滞を余儀なくされている例もある。中央区は江戸開府と共に商業発祥の地であり、そのことは同時に、当時の交通主体が船便であったところから堀と運河が張りめぐらされた水の都でもあった。このことから水辺の回復が最近のまちづくりのキーワードのひとつになっている。そして多くの学生が都心の水辺に関心を持って取り組む傾向が近年つよまっている。名橋・日本橋をまたぐ高速道路の問題についても大学生がコンペに応じたり、多摩美大のように橋台地の活用を提案したりと多彩。そうしたなか、日本橋、神田川に接続している亀島川に着目して研究しているのが、千葉大学の都市環境システム学科の学生たち。茅場町、八丁堀、湊、新川といった川沿いの町の成り立ちを研究するとともに、現場に入って町に住んで商売している人、他から通って働いている人たちと話をして取材して土地の動向を把握。そうした中から「水上交通ターミナル」「新しい国際観光システムの構築」などの提案をするに至っている。新しい年を迎えるにあたり、研究にたずさわった師弟とこの提案に助言を与えてきた立石都議と共に新春座談会を企画した。川に寄せる若者の意気ごみが肌で感じられ、豊かな発想も胸を打った。この座談会が今後のまちづくりに参考となれば幸いです。

生稲 博子さん
千葉大学工学部・都市環境システム学科3年次。22歳。長野県出身。いくいね・ひろこ。
阿部 彰氏
千葉大学工学部都市環境システム学科講師。A+A総合計画事務所代表取締役。新川に居住。あべ・あきら。
岡本 篤佳氏
千葉大学工学部・都市環境システム学科3年次。千葉県四街道市。おかもと・あつよし。
立石 晴康氏
都議会議員7期目。水の中央区をつくる会の会長。区内まちづくりにとり組んでいる。たていし・はるやす。

住宅があるのを知ってびっくり
「川の入り組み方」がおもしろい

  中央区へ研究のために入られて、第一印象として、どんな感応をもたれたか教えてください。
  生 稲 中央区の亀島川周辺を研究課題として扱うことが決まったのは今年の4月でした。銀座や日本橋、東京駅には来たことあるんですけど、隅田川の方っていうのは足を踏み入れたことのない地区だったんですね。単純に業務地区っていう印象があったんですけど。ところが入ってみて、亀島川周辺の新川などに住宅があるので、びっくりしました。調べるうちに、新しい住民が増えているデータもあったりして、そういうところの驚きが第一印象でした、はい。
  岡 本 中央区という名前から、日本の中心の東京のその中心にある中央区って物凄いポテンシャルになっているというのが、名前からの印象でした。最初に茅場町で降りて周辺を見渡して、川の入り組み方というのが地図で見て面白いなと思ったんだけど、実際に見ても印象に残りました。あとは、人の多さに驚きましたね。
  いまは学生さん、何人ぐらいで研究しているんですか。
  生 稲 都市環境システム学科で一緒に課題に取り組んだのは30人弱です。最初の2〜3か月は現場に入らないとわからないので、お肉屋さんとかに入ってお話を聞いた学生もいます。私がスケッチしていると、オィフィスワーカーの人たちが気にしていて「この橋、名前なんていうんですか」と聞かれたりして、住んでいる人だけでなく、働いている人も川とか橋、環境に興味をもっているのかなっていうこと感じました。
  亀島川や隅田川でも、パリのセーヌ川に比べてもカミソリ堤防になっていることに抵抗感じますよね。
  岡 本 昔住んでいた千葉の松戸にも川があって、やはりコンクリトで、そういう川を見ても使われてないっていう印象がすごく強くて、それにすごく汚かったけど、でもその上に鯉のぼりを張ったりして、活性化させたいという印象は受けるんですね。だから川を皆んな嫌いになったとかではないんですが、川は使われてないっていう印象で、亀島川に来ても、やはりそうでした。
  生 稲 私は生れが長野で、川というと河原というか、石があって土があって、その上に流れているのが川だと思っていました。東京や千葉に出てきて、「川だよ」って言われたものが全部コンクリートで、私はそこを用水路だと思っていたんですよ。川っていう名前がついているのは、びっくりしたんですよ。
  岡 本 昔は川のほうに正面向いてたっていう話を聞いて、今は完全に裏ですよね。
  生 稲 人が立つ位置から川の水面までの距離が、もっとぐっと近かったってことですよね。
  立 石 終戦後の昭和23年、小津安二郎の映画でね。老夫婦が両国橋を背景に堤防に足をおろしている、浴衣でね、実に見事な風景でしたね。僕はその頃、子どもでしたから、川にはゴカイがいて、それを餌に魚を釣りました。それからキティ台風があって、浜町一帯が水浸しになってカミソリ堤防をしたんですよ。元の川に戻して、花火大会も楽しめて、三味の音が響いて、魚も釣れる、そういう川に戻すこと、これが僕の政治の原点になったんです。
  阿 部 建築めざして大学に入って、東京ってどうやると見えるんだろうって思ったんですね。昭和35年、1961年ですが、山手線からも見えない。東京タワーからだと見える、なるほど、こういうことかと思いました。当時の景色はほとんど黒っぽい、ある意味では暗黒の時代ですね。においもひどかった。大学を出てから霞ヶ関ビルに関って、高層ビルを作るいろんな工夫があったんですが、その中にケヤキを植えることがありました。それは、工事屋さんから猛反対を受けましたが、こうやればできるって説得しながら植えました。ごく自然な状態に、それが霞ヶ関ビルから新宿三井ビルへと続いていくんです。私は、町づくりの原点があそこの中にあると思っています。人が集まるには自然と生活をミックスさせなきゃいけないところに原点があると思うんです。
  生 稲 調査で町の方のお話の最初に桜の話が出て「この辺の桜はいちばん最初に咲くのよ、東京では」って言われて、「何でですか」といったら、地下があったかいからって言ってました場所は茅場町から東京駅へ続いている通りです。

水上交通を活用
国際化へ努力を

  この中央区で川の研究をしているんですが、今はどのような研究をしているんでしょうか。
  阿 部 亀島川でも、町が川に背を向けている。隅田川がきれいになったけど、生活との関りの中での提案は何もない。そこで亀島川をテーマに研究をして3年目になりますが、立石先生の「水の都・中央区をつくる会」で発表をさせていただきました。さらに分析してみると、水上交通は日の出・竹芝・浜離宮から浅草を結んでいるけど、あくまでも観光ルート。日常的なところはない。茅場町と周辺で30万人の乗降客があるのだから、水上交通とリンクできないか、と提案しました。研究しているうちに、亀島川は川の幅の広い所と狭い所の機能がはっきりしている。広い所は水上を入れて、狭い所は別のシステムか歩くでよいだろうと。もうひとつは、日本橋川には神田川から浜町の公園へ回遊する小さなボートを提案しました。さらに加えて周辺の新川・八丁堀と茅場町をどうするか、2007年問題で八重洲が整備されると、空室オフィスの問題が生じてくると、茅場町・兜町がそれでいいのか。そうなるとキーワードは国際観光。空港を大きくすればよいということではなく、日本の観光システムを組み替えないと、それだけの人が楽しみで集まってこない。世界の都市の中で、水上交通をきっちり整備していないのは東京だけなんですね。国際観光と水上交通をリンクすることをテーマに研究を展開しているところです。
  立 石 ニューヨークだってパリだって、地下鉄を降りて上がったら、そこに船着場がある。朝潮運河の再開発で、小型船の係留場を移すことになり、地下鉄とのつながりを話したら、都の港湾局が苦笑いしながら「そこは建設局河川部の所管なので、そこには持っていけません」と言うんだよ。このあいだナイル川に行ってきたけど、板っ切れで船をこいでビールを売ったりしている。こういう日常があって川は生きているんだと関心しましたね。今は日常というコンセプトがなくなっているので、観光と水上ルートを結びつける先生の発想は素晴しいと思う。

水辺活用すれば
顔は水に向かう

  阿 部 やっぱり世界の人たちが日本の何を見たいかといったら、日常なんだと思うんですよ。日本って非常に謎の国ですから。毎日、着物を着て生活して刀を下げているのかと思っているんですから。それと、立石先生のおっしゃった亀島川でいうと、その活用に反対する人は、あの川は狭いからって言うんですね。いろいろな船に乗ってみると、日本橋川も神田川も、波もなくて大人しいですから小さい船、隅田川に出ると風も波もあるから、乗り換えられるようにしたらいい。その乗り換えの拠点が朝潮運河のトリトン前とか築地にできるとかのネットがあって、それがさらに浦安と横浜のベイブリッジなんかへ行くには、風と共にガードされた大型船が動く、というふうに船を換える。川から見る景色の変化、一番最初に町を見るにはやっぱり川から見る、海からアプローチする、というのは日本は海の国だから、訪問客も海から川から入ってくるっていうのは、非常に自然なアクセスの仕方だと思うんですね。さらに反対する人たちは何でも反対で、雨の時どうするのか、風の時はどうするのか、ということになりますが、そういう時はそういう時で、違う代替交通があったりするわけですから、あまり気にすることはない…。
  立 石 反対する人の理由ってね。個人的には皆んなわかっている。反対する理由を探っていくとね、みんな、ある意味で誰かのせいにする…極端に言うと役所のせいにする。そして放置してしまう。ゴミを捨てるように自転車を置いていってしまう。それはやっぱり、その川を管理し、責任を負わされる立場の人たちから見ると非常に恐いんですね。そういうことが、ものを消極的にさせているように思いますね。利用する人が、やっぱり誰かのせいにしないで、自己責任で整理して楽しみ、使うっていう発想がないと開いていかないですね。
  どうですか。いま先生方のおっしゃっていることについては。
  生 稲 日常性っていうのはすごく大事だと思っていて、私はいつも何か提案する時に、必ず真ん中に人っていうのを軸に置くんですよ。今回の場合は、最初のファストインプレッション(第一印象)にあった生活者、住んでいる人がいたのと、茅場町っていうので就業者、働いている人がいっぱいいて、提案である観光。観光客はどちらかといえば、非日常的な属性ではあるんですが、あとの2つはすごく日常的な属性なので、彼らを川の近くでどうやって動いてもらうかっていうのを、すごく考えました。ふだん、住んでたり、働いている人は何となく川を見たり、見ながら休むとか、そういうこと日常的にしている。川を使うということでは、してないし、わからない。だから使い方をハードな部分で一緒にしてあげて、それを使ってもらう。そういうのを考えるようにしました。
  岡 本 提案をするなかで、水のことを語るのであれば、自分も体験しなければいけないなと思って、隅田川を今ある交通で上ってみたり、日本橋川と神田川をある所にお願いして船に乗せてもらって首都高の下をくぐってみたりして、いろいろ感じたんですよ。においとかもほとんどなくて、何せ楽しいんですよ。昔、小さい頃、プールとかで遊んでたのと同じ感覚で、水辺は楽しめるんですよ。理屈抜きで楽しい所で、皆んなそれは思っているので、水辺に今近づけていないからちょっと消極的だったりするんですけど、実際に近づけるようになったら、皆さん楽しいと思うんですよ。この間、大阪に行ってきて、道頓堀の所を水辺開発してデッキができている所を見たんですけど、人がいて休んでいて、あの状況は亀島川と似ていて、何んで亀島川が先にやらないんだ、という悔しい部分がありましたけど(笑)。

歌舞伎座を水辺に移す構想
  生 稲 デッキを作るとだんだんお店が工事を始めているよね。私も悔しいと思いました。
  岡 本 お店が川の側を向くんですよ、それは本当にびっくりしました。
  生 稲 大きい企業はイメージもあるから。小さいお店はまだまだ背を向けたままだったんです。大阪は。だけど、大きいよく知っている名前のお店はぶち抜いていました、裏側を。道頓堀以外でも水辺の再生をやっているグループがあって、そこでは、仮設でブース(展示場)を作ったり。水の上に浮かべてイベントを行ったり、あとは川下りをしょっちゅうやっていたり、皆んなで近くのオフィスワーカーが集まって「水辺でランチ」という感じでご飯を食べたりするイベントがあったり。そういう媒体って何にでもあると思うんです。多分、きっかけがないし、方法も多分、わからない…。
  阿 部 いやァ、東京はさらに遅れた感じがするんですよね。立石先生が都議会で水門のことを質問なさってましたね。そういう課題を出すと、学生たちは、あれはそういうもんだろう、橋の上道路があるのはそういうもんだろうっていうことで、実に素直にね、その町の装置をあるがまま認めているんですよ。それで、「あれを批判しなさい」と、散ざん言って、「違う目でみろ」「違う目でみろ」って言い続けて、こういう発言になってくるところが、もちろん若者の素晴らしさだと思うんですが、それに気づいて何かを提案する辺りがね、今ね、立石先生が目指している方向にからめばと思うんですがね。もう1つの問題は、水門。水門というのは、ややもすると町の景色を切ってる。防災のためには大へん大切な物なんですけど…。
  立 石 水門はね、ちょうどお風呂のふたみたいで、使う時は向こう側がよく見えるだけれども、使ってない垂直の時は大きな壁になっていますね。これを何とか出来ないかと調べたら、世界の水門にはいろんなのがあるんですね。ふだんは壁にしないで、向こう側が見えるようにするために川の底に沈めてしまって、水を止める時は浮き上がる、とかね。日本橋川の水門も耐用年数が来るので、あれを直す時にひと苦労して下さい、と当局に言ってるんですが、予算がないみたいでね。東京のど真ン中の茅場町駅の隣に50メートルから壁が出来てしまっているのは勿体ないね、浜離宮や朝潮運河のように観音開きでしょ。ただ、上げ下げだと簡単で安くて効果があるんだね。
  阿 部 いま、岡本君が水門をテーマに研究をしているんですよ。
  岡 本 円形にして、開閉式なんですけど、常に開いているのが素晴しい。あるいは水門を高層化して視界をずっと上に上げちゃう。ただ上げるだけだと威圧感がありすぎるので、観光がテーマなので、茅場町はここだという、水辺からのアクセスにランドマーク的なもの必要だと思ったので、ランドマーク化してそのままくっつけるようという発想だったんですけど。
  阿 部 東京はランドマークが少ないんですよね。ランドマークの水門が本当に高く上がっていくと、南高橋のすごくきれいな橋が、こちらから見えるようになるわけですよ。南高橋は隅田川ふくめてベスト5に入るきれいな橋で、ホルムとね、あの薄さ、あの路盤がこれでいけるのかというくらい、きれいな非常に端正な表情しているんですよね。(橋を)くぐる時しかわからない。そういう町に本来あった景色みたいなもの、日本の土木デザインにも素晴らしいものあるんだ、ということをね、やっぱり知らしめなきゃいけない。その一方で、霊岸橋とか、ほとんどデザインされていない橋もいっぱいあるんだから。
  今まで研究されていて、水門の他にこうなれば良いなァというアイデア、ありますか。
  岡 本 水で人は集まると言っても、最初はなにか起爆剤がないと人は集まってこないと思うんですね。で、銀座にある歌舞伎座が老朽化で建て替えると聞いたんで、水辺に近づけて、水辺からアクセスできるようにしたらと思ったんです。そういった状況を作って水辺へ目を向けさせる、そこに交流も生れるし、観光地にもなるし、ということで、茅場町の提案ではそういうこと考えていたんです。
  歌舞伎座を水辺に、ということは、隅田川へもっていくっていうこと?
  岡 本 場所としては、亀島川の南高橋の前の部分が開けていて、唯一、水辺でアクセスできる部分なんですよ。今、他の部分は護岸があって近づけないんですけど、あそこはなぜか知らないけど、下に降りられるようになっているので、そういった所に持ってきたら、水上交通と合わせて観光ルートになると思いました。
  阿 部 こういういろんな仕掛けが必要なんですよ。日本の文化の大半は江戸に完成したんですが、点在していたんではわからない、「日本のお神輿って、どこに行けば見れるんですか」「日本舞踊の踊りって、どこに行くと見れるんですか」っていうと、ないんですよ、そういうものがきちんと集約されていて、あと本式に詳しく見たい人はそういう所に行けばいいんですから。六本木には外国人が集まるパブがあって健康的なんで、そういう中に日本人が交わっていく。本当の意味の国際化って、そういう所にあるような気がするんですよね。
  立 石 じゃあ、亀島川を中心にそういうふうにしちゃおうか(笑)。日本橋門からあの亀島川水門に至る空間を、本当に水もきれいにしてね、周りにはミズサンショウ植えてね。開閉式水門にして水位を調整しながらね。落っこったって水位一メートルぐらいなら大丈夫、溺れはしないんだから。
  阿 部 何か施設を作ろうとすると、大きな敷地があって、大きな広がりがないといけないっていう気持になりがちなので、そうじゃないんだと。言うなれば、人間的スケール感、これが整っていることが、新しい町づくりの中にすごく必要だと思うんですね。よく再生っていうけど、継続ですからね。人間のスケールをあんまり逸脱してはいけない、ということはあると思うんですよね。

「道路」と「高さ」の起点は中央区に
  立 石 スケールということ、大事ですよね。銀座通りの幅が27メートル、昭和通りが36メートルで、やっぱり信号でちょっと渡ってみたいような空間になる。あゝいうのって大事ですよね。あんまり広いと、向こうに渡るのを躊躇するんですよ。やっぱりスケールのことでいうと、亀島川の身近な空間っていうのはすごく良い。せっかく水門があるんだから、水位を普段は調節して下げておくといいんですよ。
  阿 部 30年以上前に行ったデンマークのアムステルダムにソロイエっていう商店街があるんです。昔からの商店街。その幅は六メートルちょっとなんですよ。こっち側とこっち側を往き来するに非常に好都合で。それで、亀島川のように途中ですーっと湾曲していて、そうすると距離感が届くんですね。で、さらにまた展開していく。だいたい500メートルくらいある商店街なんです、飽きずに歩ける。やっぱりそれが、スケールを越えると、あそこまで行くのはやめようという距離になってしまう。
  立 石 日本橋を起点にして川を下っていくと、日本橋の水門をくぐって亀島川を通って隅田川に至るでしょ。そこの所でそういう空間つったら本当に良い町づくりの基本になりますよ。
  阿 部 そうですよ、道路の原標は日本橋にあって、高さの原標(日本水準原点)はここにあるんですから。
  立 石 友達にね、「富士山の高さ知ってるか?」って、「もちろん知ってる。3330」「どこから測ってるか知ってる?」「ええと、どこだっけ」ってね。亀島川の隅田川に出る所にある三角形の水準が基準点。このことは意外に人は知らないでね、もちろん道路の起点は日本橋でしょ。そういう歴史的に価値ある町がね、再評価したら面白いですよ。中央区で生れ育った作家や学者とセットにして紹介していくといいんですよね。

日本のヘソだから行政はもっと冒険を
  最後に、もういろいろ出ているんですが、中央区をこうしたい、亀島川をこうしたい、といった夢でもいいんですが、どうでしょうか。
  生 稲 そうですね夢。亀島川の水辺を歩けるようになったら、千葉に住んでいるんですけど、毎週来ます。歩けるようになって、川や施設が川に向くようになって、そして地下鉄を乗ってるように今度は水上バスで水の上を移動できるようになったら、そういう空間を中央区で実現したら、毎週来ます。遊びに来ます。
  岡 本 僕は昔、松戸に住んでいたんですけど、その時は江戸川が近くにあって、生れが兵庫県の尼崎で、そこには武庫川という大きい川があって、そういった所で過ごしてきたんで、川の近くに住みたいなって常に思っています。今住んでいる四街道には川がなくて、すごいもどかしい気分になっています。今後は東京に住みたいと思っているので、やっぱり亀島川だとか、日本橋川とか神田川とかコンクリートで固められていますけど、川が魅力的になって賑わいが出ている状態をぜひ作ってもらいたいし、作っていきたいです。
  阿 部 中央区って行政そのものがそんなに困ってることないんですね。地方の都市みたいに人が集まらないで困ってることないし、だから緩やかに現状維持主義みたいな所がある。そう言いながら、どんどん居心地は増えて変わっていく。やっぱり行政も、そういうものに対して、先に手を打つところが打ちながら、誘導していくといいなと思ってますけど。
  立 石 僕は、亀島川など身近な水辺をもっともっと利用できるように具体的にやっていきたいですね。せっかく、あちこちに船着場が出来て常磐橋にできているのに、条件つけないと利用することができない。不思議な国ですね。こういうことしていると今度の姉歯の事件みたいに失敗してしまう。いわゆる勘が働かなくなる。要するにデジタルなテクノロジーに頼りすぎる。天気予報は空を見てわかるんだよ。テクノロジーに頼りすぎないで、テクノロジーを使うことです。官僚の素晴しさと信用を使いこなすのが民の責任だから、責任は民が負うんだよということ。民が幸せにならなきゃ何の意味もない。官が民間から攻撃を受けるうちに、どんどん委縮していって、規則・ルールにしていくそういう世の中を打破していかないといけない。
  阿 部 やっぱり中央区って、日本のへそですよね。今のまんまで中央区がいると、おそらく品川に持っていかれるんじゃないかな、起点を。品川ルネッサンスの方が先に来ているし、動きも鋭くなっているものですから。やはり基本的なへそからものが出発して、それが品川の方へ展開していくようになっていかないと。やっぱり日本のために中央区は貢献すべきでしょ。せっかくオリンピックをまた誘致したいとしているわけですから。オリンピックまでにぜひ日本橋川の高速道路がなくなって、水上交通が新たな展開になってほしい。絶好のチャンスのような気がしますけどね。
  立 石 新たな目標ができましたんでね。こんど平成19年に大東京マラソンね。勝どきや人形町も通りますから。
  いろいろな知恵をいただいてありがとうございます。このあたりをまとめとします。

 
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