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■ 8月21日発行  このページの先頭へ
「日本橋」揮毫の裏話

 名橋日本橋の橋洗いが今年も7月23日の日曜日、盛大に開催された。地元の子どもたちがタワシを手に1年間の汚れを洗いながしている橋名板の文字が、最後の将軍徳川慶喜公の揮毫によることは地元では知られている。この揮毫にまつわるエピソードが慶喜公直系の曾孫・徳川慶朝さんの著作『徳川慶喜家にようこそ』で紹介されている。この著作のサブタイトルは、「わが家に伝わる愛すべき「最後の将軍」の横顔」となっている。この本で紹介されている「日本橋」揮毫にまつわるエピソードをそのまま掲載しました。
 羨しいといえば、徳川慶喜という人は、非常に字の上手な人だった。字は人間を表すと思われていた時代だから、慶喜が子どもの頃から、あまりにも雄渾な文字を書いたためその人間性を大いに期待されたのだそうだ。
 その慶喜の字は、いまでも簡単に見ることができる。東京の日本橋。この欄干に「日本橋」という文字が刻まれているが、あの文字は慶喜が書いたものである。
 なんでも、この日本橋を明治44(1911)年に改造するとき、維新の際に戦火を免れることができたのは、慶喜の決断があったおかげだというので、旧幕臣の技師から揮毫を頼まれたのだという。
 すでに目立つことを嫌っていた慶喜は、何度かの依頼を断ったのだが、やむを得ず引き受けることになり、漢字と平仮名の2種類の字を書いて渡した。
 ところが、この字が、橋に刻まれるより先に、新聞発表されたところ、慶喜が書いた「日本橋」の「本」の字が、「夲」の字になっていた。  どちらも「ほん」と読むのだが、新聞の読者から、この2つの字は異なるものだという抗議があった。
 すると、慶喜は、 「誤りを末代に残すのは本意ではない」
 と言って、これをもう一度書き直した。それが、現在も残る「日本橋」という文字なのである。
 〈「本」の意味は、物事の「はじめ」「ねもと」などを言う。夲は「奔」がもとで、「はしる、はやくはしる、はやい」の意味=白川静「常用字解」より〉

 
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