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■ 1月1日発行  このページの先頭へ
東京オリンピックで新春座談会
 石原知事の発議した2016年オリンピックの日本候補地東京は、8月30日のJOC総会で正式に決まり、いよいよ候補地をめぐって国際都市間の競争が始まる。すでに東京都は基本方針を明らかにしている。大会コンセプトを次の5点にまとめている (1)世界一コンパクトな大会、(2)先端技術を駆使した大会、(3)環境を最優先した大会、(4)もてなしの精神に溢れ、(5)オリンピック運動を大きく前進させ、有形無形の財産を次代に継承する大会。このなかで注目を集めたものが「コンパクトな大会」で、臨海部の半径10キロ圏内に、サッカーのグループリーグ及びセーリングを除くすべての競技(28競技中26競技)が可能な施設や選手村、メディアセンターを配置するという。しかもメーンスタジアムを晴海に、メディアセンターを築地市場の跡地に、そしてトライアスロンは浜離宮で行うという計画だ。中央区の反応はしかし複雑であった。築地市場の跡地と地下から地上化に変更された環状2号線については論議があり、都との話し合いも具体化されていない。都の先行計画として反発の強いことは事実。とはいっても日本代表に決まった以上は、2つの広大な敷地を有する中央区の将来まちづくりは大きな影響を受けざるを得ない。そこで本紙は東京オリンピックをテーマに新春座談会を企画した。都の担当者と立石都義に、まちづくりに詳しい臼田氏、建築業界の若手ホープ、西尾さんをまじえて忌憚のない意見交換をした。

西坂 啓之氏
  昭和41年12月1日生まれ、40歳。早稲田大学政経学部卒。平成元年4月、東京都。10月からオリンピック招致本部計画課。
立石 晴康氏
  都議会議員7期目。水の都中央区をつくる会の会長。日本橋ルネッサンス100年委員会など、区内まちづくりに関る。
臼井 鉄男氏
  昭和22年生まれ。法政大学工学部建築学術科。設計事務所勤務を経て建築雑誌の編集。現在はフリーの編集。
西尾 和子さん
  昭和53年生まれ。千葉大学工学部デザイン科卒。東京工業大学大学院、ミラノ工科大学に留学。山下設計。


都職員の反応、最初は驚きから
新しい都市のリユースに期待感

  石原都知事が2006年のオリンピックを東京でと発議をして、8月30日のJOCで日本の候補地が東京と決まったわけですが、まず石原知事が再び東京オリンピックをと言い出したことにどう思い、反応したかについてお聞きしたいと思います。西坂さんは立場もありますが、都職員の共通した反応でもよろしいですが、いががでしょう。
  西 坂  知事が昨年秋に「東京オリンピックやるんだ」という話を聞いたときは、ちがう部署にいたんですけど、都の職員は殆どの人が「ええ!」これ、正直な感想で、私もそう思いました。実は振り返ってみると、ディーゼル車のこととか実際に成果をあげているというのが実態でしたが、今回は特に「ええ!」が大きかったですね。そのあと、知事の発言とか、都議会の応援をいただいたりという中で、これはいいんじゃないかとなってきました。
  西 尾  いちど、東京で昔あったと聞いたんで、同じ所でありうるんだろうかと思ったんですけど、計画を聞いたとき、既存の都有地を活用して、東京全体をオリンピックの町にするんじゃないというんで、これは違うと思いました。建築をやっていて、今の時代というのはただ建てるというんじゃなくて、既存の建物をうまく活かして改修したり、現在に合わせて使っていくということがよく行われているんですね。それが都市の規模のレベルで、オリンピックという国際的なお祭りで実行され、都市のリサイクルというかリユーズというか、なんかそんな印象を受けました。
  臼 田 私は最初、オリンピックで興味をもっていたのは、磯崎さんが博多で以前から関っていて、九州の建築関係の指導的な立場にいられて、地域社会に根ざした活動をされている方なので、博多のプロジェクトをどういうグランドデザインでするか興味をもっていたんですね。急に都知事が立候補ということになりまして、そこのところで今度は安藤さんのグランドデザインということになってきて、むしろ石原都知事が発表されたということよりも、むしろ安藤さん、礒崎さん、それぞれどのようなグランドデザインをするかということに興味をもったということが最初の印象でした。
  立 石 戦前のオリンピックは晴海でやる計画があって戦争で中止になっています。戦後のオリンピックは自分が大学生の頃で非常に感動しました。こうして東京のオリンピックは成功しました。昭和39年から戻ること、いつごろ発議したとなると、おおむね10年、昭和39年、講和条約の発効は28年4月28日、東京の焼野原を知ってますから、感動しましたね。同時に、長い間の経済成長で夢も希望も沈んでしまって、物はあり余るほどあるけれども、ないのは夢だけという時代になった。西坂氏と同じに「ええ!」と驚いたと同時に戸惑うのではなくて嬉しかった。平和がいかに大事であるのかと本当に思いました。そして都市間の競争がどういう結果をもたらすか、戦争が終ってから61年、戦争のなかった国の都市の発展がどれだけのものになっているか。平和目的のため、驚きから喜びに変わったというのが、知事から聞いた時の所感です。

誰も見たことない大会をめざす
  石原知事の発議を受けて東京都は次の東京オリンピックの概要をまとめたんですが、そのコンセプトなどを説明してください。
  西 坂 東京でやることの基本的な理念は3つあります。成熟した都市東京でオリンピックを開いて、都市と地域の未来につなげていく。それから2番目に、これは知事もよく言ってるんですけど、日本の持っている力、これは世界に非常に評価されているのに、なかなか日本人は言えない、それは技術であって、それ以外に持っている特有な意識ですね、そういうものを新しい形のオリンピックが作れる。それから少し視点はちがうんですけど、実際にオリンピックが開かれて、それに子どもたちが日々参加するとか、そういうことで夢がつながっていく。未来につながっていく。こういうような3つの理念です。ではどういうことをコンセプトにしていくかというと、一つは、晴海のメーンスタジアムを中心に、選手村、メディアセンターなど半径10キロにコンパクトにまとめて開催できる都市は、成熟した都市の東京以外にはない。それからいろいろな技術を利用して観客も参加者もテレビを見ている方も初めて楽しめる技術を駆使した大会。さらにオリンピックの競技だけでなく環境も大事にしていく。4番目は日本が持っている礼儀、これは海外から来る人たちのもてなしであり、競技の中でも生かしていく。5番目はアジア、世界につなげていく。一言で言うとつなぐオリンピックで、誰も見たことのないオリンピック、未来と過去、昭和39年のオリンピックと今、人と人をつなぐオリンピック、心と心をつなぐオリンピック、夢と夢をつなぐオリンピック。ではどういうふうにやっていくのか最近、知事が申しあげているのは、誰も見たことない、北京でもない、ヨーロッパでもない、アメリカでもない、日本ならではの、先ほど言ったもてなしだとか、礼儀とか、他でもやっているけど、さらにすぐれた環境だとか、子供たちのこと取り入れながら、誰もが見たことのないオリンピックを実現するこういうのがテーマです。
  都の描く構想も都民代表の都議会が一枚岩にならないと、ころがっていかないと思いますが、都議会の現状はどうなんでしょうか。
  立 石 最初はね、いろいろ思いがあったけど今は、共産党を除けばオリンピックという都市の発展、東京の良さを訴えていく気持に変っているんじゃないか。オリンピック・イコール大型開発というのは自然の摂理から考えてみてもそうはならないよ。そうなってはいけない。されど、石原さんが言うように、都市工学的に言って前進の中に環境との共生とか、権力闘争でなく都市間のいい意味のコンベンションによって、そこに住む人びとが暮しやすいようになる道を考えなきゃならない。そういう意味でどう熟成したまちを作っていくか。そしてまた西坂さんが言うようにスポーツというものを通して、文句なしに肉体的にすぐれた人が勝つわけですから、そのすばらしい感動を、やれば出来るんだ。ちょっと背中を押してあげれば、スポーツ好きの子ども達が育てば将来に向って素晴しい脳力を発揮していくだろう。そのために都市の政治が、都市の行政が背中をちょっと押してあげると、すごい才能が芽生える可能性が十分ある。その大きな最大のチャンスを、その時代に生きた人たちが享受できることは素晴しいことだと思う。ぼくの知る範囲では大方は都議会ではその方向に向っている。されどいつも言うように皆んな右に向いたら、やっぱり誰かが「本当に方向まちがってないか」と言うのは必要で、共産党にコビを売るわけでもないけど、耳を傾け、説明することも大事ですね。

東京五輪は戦後復興の証だった
  昭和39年の東京オリンピックの時代的な意義は何かについて、自らの体験をふまえて、いかがでしょう。
  立 石  ちょうど大学院生のころでした。新幹線に乗って神戸に行ったり、オリンピック見ながら「すげえな」と当時、感動しましたよ。だって、焼野原だったんですからね、ぼくの生まれた家から富士山と国会議事堂しか見えないで、あとは原っぱですから、という状況の中ですごいなと子ども心に思いました。たとえば、中学生になって家に帰ったら電気洗濯機と蛍光灯がついたと、そのうちにテレビが入ってどんどん電化されていった。学校を卒業するころは1万3千円の初任給だったんですからね。というような時代の背景のなかで、もちろん海外旅行なんて出来なかった時代ですから。どんどん進んでいく、まさに汗かきながら峠を登っていく、その頂点として東京オリンピックがあった、という実感ですね。
  臼 田  私は東京オリンピックの時はバスケットボールに凝り固っていて、オリンピックの選手になりたいな、なんて思っていた。その後、建築を学んで雑誌社をやめて早稲田の武先生の研究室の記録を編集させていただいて、その中で幻のオリンピックと言われた戦前のベルリンオリンピックを知って、戦前の暗い時代だったと思うんですが、学生たちが建築の創作の場、夢を託していたことを知り、オリンピックを見直してみました。戦後復興の証(あかし)みたいな東京オリンピック、そして今回の熟成都市のオリンピック、日本橋の首都高速が東京オリンピックと同時に出来たこと、さらに長野の冬季オリンピック中央区でまちづくりに関る中で、このあたりに非常に大きな意味があるのではないかという気がしています。

先人の都市の復興に学びたい
  東京オリンピックの会場になる築地市場と晴海については以前からまちづくりをめぐる問題をかかえている。特に環状2号線は一方的に地上化で推移しているし、市場については中央区は独自にビジョンを提案しているのに進展していない。オリンピックへ全体が動いていく時、まちづくりをこれからどう展開していけばいいのか、この点について都はどう考えているのでしょうか。
  西 坂 全体にいい形にもっていくことは絶対に必要なことで、それをやらないと思っている人は誰もいないと思うんです。オリンピックのためのメディアセンターではあるんですが、情報提供だとか、そのへんはきちんとしていって、将来、そのあといい形ができれば…
  ところが中央区の提案した「築地ビジョン」についてはテーブルにつこうとしないんですよね。
  西 坂 管轄外ですが、その話は存じあげていますよ。築地の市場の部分は、あの時点ではどうすると決めたわけじゃなかったもんですから、テーブルにつくというよりも地元の皆さんの声は承知しています。
  立 石 世の中のことっていうのは、一つの大きな潮流というのがありますよね。その潮流が全く無風ということはありません、いつの時代を切っても。そういうふうに考えていくと、8月30日に東京と決定して、メーン会場は晴海に、選手村は有明に、東京湾を中心にして水辺の環境でオリンピックをエントリして都市を熟成していこうという流れの中で、環状2号線は地下がいいに決まっている。しかし、潮流の流れの中に、フォーカスの意味での自分たちの町を見ながら、その流れにのりながらいいものにもっていく、それはやっぱり政治と行政の力だと思いますよね。動きの中でいいものにもっていく、時速40キロのときもあれば60・70になっているときは70キロの判断していかなきゃいけない。しかし、それが振り回されることで都民が幸せでなくなることでは、それはいけません。しっかりチェックしていくことも必要で、流されるのではなくて、速さにのって幸せになる道を選ばなきゃいけない。抽象的ですが、ぼくはそのように考えます。
  勝どきに住んでいて市場や環状2号線に関わっている立場でいかがですか。
  臼 田 オリンピックを歴史的なもの含めて位置づけて考えていくと、2016年はまだ先という見方、これはあまりいい見方ではないと思うんです。幸か不幸か、築地と晴海がメインの施設計画の場所として選ばれた。私は勝どきに居ますから築地と晴海の真ん真ん中、それで環状2号線の当事者に他ならなくて、地元としては騒ぎがありますが、逆に私が考えているのは、中央区の2016年、石原知事のおっしゃる16年の東京のビジョンもありますが、2016年の中央区のビジョンということで、築地のメディアセンター用地と晴海のメーンスタジアム用地を使って考えてしまうことはいちばん危険じゃないか。もうちょっと中央区としては、いろいろなことがあるんじゃないか。立石先生が区民新聞に答えているんですけど、中央区というのは関東大震災で壊滅し、空襲でも壊滅状態になったことをふくめ考えると、メーンスタジアム・メディアセンターが作られることは、中央区こそ東京都の中の熟成した都市という位置づけがされているんだと思うんです。また、浜町公園は帝都復興公園の一つだし、昭和通りも帝都復興で出来たし、新大橋通りもそうなんですね。中央区の再整備やこれからの開発というものを考えていくと、逆に震災や戦災の復興を支えてきた中央区の先人たちのことを念頭におくことも必要ではないかと、今度のオリンピックということで気づかせていただきましたね。

前進だけでなく見直す機会にも
  西尾さんは東京工業大学からミラノなど他の都市を見ていますが、これから東京を変えていくということについて、どんなお考えをおもちですか。
  西 尾 東京に住んでいると、都市に対する認識をふかめていく必要があると思うんです。イタリアに住んでいて思ったのは、お祭りがあるとハコ物や建物の中でイベントが行われるのではなくて、映画祭というと映画館がちらほらあって、ミラノは中庭形式の建物がいっぱいあるんですが、その壁面を利用して映画をうつしたり、街中にお祭りの要素があふれているんですね。イタリア人は都市をうまく使っている。建物自体はすごく古いものなんですけど、何かやるときにイタリア人は都市全体をほんとにうまく使っているんですよ。日本も、ヨーロッパのものがいいから取り入れていくんではなくて、今あるものを再認識して、それをうまく使っていくことが必要なんじゃないかなと思います。で、このオリンピックで石原知事がおっしゃったみたいに既存の埋立てた街を使うというのは、オリンピックの新しい形でもあるし、東京都にとっても都市の新しい使い方になるんじゃないかな、と思っています。で、私は建築の設計の仕事しているんですけど、もしオリンピックが開催されて、東京の都市に対する認識が変わったら、建物自体の造り方も変わっていくんじゃないかと思っています。
  東京というのは、耐用年数があるのにすぐに壊してしまいますからね。
  西 尾 そうなんですね。今まで日本人というのは前へ前へと進んできたと思うんですけど、もう前に進むのではなくて振り返ってもいい時期なんではないかな、と思います。ヨーロッパの人が観光に来ると、首都高とか満員電車とか、そういうところ、すごく喜ぶんですよ。日本人にはないんじゃないかと思って、そういう今あるカオスというか、いろんな歴史をふくんでいる日本を、もういちど見直す機会になればいいんじゃないかと思います。
  立 石 すごくいいね。満員電車を楽しむ、楽しむというと誤解されそうだけど、そのエネルギーを楽しむ、そして静かにホタルが飛びかう郊外の栃木県の茂出木のあの風景を楽しむ、そういうのと同時であっていいよね。ほんとに6月ごろになるとホタル飛びますからね。それを満員電車のように便利にしても何の意味もないよね。そういう都市を熟成とはいわない。いま西尾さんが話されたような意味で、街中が祭りになる、お客さま来るというんで急ごしらえでペンキなんか塗るんじゃなくて、その場で大掃除をしながら、見せながら良さを表していくということ、すごくいいですね。無理にハリボテにしないで、電線を地中化して、路地の文化、引き戸の文化をウェルカムして、どうぞいらっしゃい。ただ無遠慮に敷居をまたいではいけないよって、そこらへんケジメをつける日本人は素晴しい。江戸っ子の江戸しぐさ、そういうものをね今、ふたたび、彼女が言うように見直してみて再発見する、2016年のオリンピックという視点から見直していく。若い西尾さんが気づかれたように連綿とした年輪を重ねているわけですから。日本人のよさ、東洋のよさ、アジアの良さに気づく、そしてそれをスポーツによって表現していく、そういうようになると期待したいよね。
  今度の東京オリンピックをコーディネートしている安藤さんも、そのような視点なんでしょうか。
  臼 田 その点になるとよくわからないんですが、テレビなどで話されていることは、ひとつには環境ということ、それから東京の特性というものですが、そういうものが今、臨海に向かっている、そういう意識というものに非常に興味が持たれます。先ほどから市場の問題とか出ていますが、そういう問題よりむしろ、何らかの形で安藤的な発想が出てくると、そのあたりのこと今後どういうふうになっていくのかな、と興味ぶかく思っています。安藤さんは、これは本に書いてあったことなんですけれどひとつは共有都市、都市というのは共有する場である、それからグリーン、緑の帯をつくり、これをつなげていく、もうひとつは余白都市、都市には余白が必要なんじゃないか、最後、これは先ほど申しあげたんですけど、技術力、日本の文化の特徴として世界に誇れるものだと。これからの都市、これからのビジョンとして位置づけていくと話されていますので、2016年オリンピックの東京像というのは、私は期待できるんじゃないかと思っています。私が中央区に住んで驚いたことは、連合町会があって、さらに小さな地域社会が共同しながら全体の中央区を作りあげているんですね、外国の方に見ていただいていいものが沢山ありますので、そういう所を東京都のほうで評価していただいて、中央区から地域社会づくりに向かう形になってくれれば、いいですね。
  西尾さん、都のつくったパンフレットの表紙になっているメーンスタジアムを見て何か思うことありますか。
  西 尾 晴海、近くに築地があって月島に向かって食の文化があって、海があって緑と自然と…正直言うと、最初これ見たとき不格好かなと思ったんですけど、緑に囲まれて丘のようなイメージ、あまりハコ物のスタジアムとして誇張するのではなくて、自然になじませるような形にしたのはいいなと思いました。
  このあたりの評判について東京都ではどのように考えています。
  西 坂 緑は、ふつうスタジアムにはないですから、かなりインパクトありましたですね。しかもこれ(緑)、つながっている印象になります、緑の帯ですね。
  西 尾 内側から見たこの円がすごいきれいで、オリンピックの丸を象徴しているのかなと思いました。

次の世代がよくなる大会にしたい
  2016年の東京オリンピックの思いというものについて、それぞれ語っていただき閉めたいと思います。
  西 坂 オリンピックは17日間の競技だけでなく、あとの期間があると思います。昭和39年のオリンピックを経た人たちが次の日本を背負っていったんじゃないか、ということは、今回のオリンピックは、さっき言われたカオスの日本の中で、皆んながこれに向っていけば、多分、オリンピックの次の世代がとてもよくなるんじゃないか、それがアジアとか世界に広がっていくんじゃないか、そういう夢に向ってやっていくというのが非常に強い思いとしてあります。いろいろ新聞に書かれている、北京の8年後はむずかしいとか、いろんな声があるんですが、私たちは絶対に成功させるんだ、それが日本のためであり、アジアや世界のためであると思い取り組んでいますし、都議会の先生方も知事もそう思っています。みんな、頑張ろうとなっています。
  臼 田 私は、さっきの続きとなってしまうと思うんですが、中央区は昔からいろんな施設があった、西尾さんがおっしゃってたように、いろいろな歴史的なものが中央区にありますので、そういうものをもう一度、中央区民自体が見直してみる、そういった意味では非常にいい機会ですね。築地の居留地にしても、そういったものがいち早く中央区に入ってきた、そういうものを見直す、中央区にとっては非常にいい機会だと思っています。
  西 尾 私は多分、このオリンピックには委員会とかたずさわることは今のところ予定はないんですけど、この10年ごしの大きな世界的なお祭りをすごい楽しみにしているのと、昔あった東京オリンピックが東京ではひとつの節目だと思うんですよ。それで今回は、前の東京オリンピックは私が生まれる前だったんですけど、今回のオリンピックは10年後ですから、私が働き盛りに(笑)なっている時に大きなイベントを体感できるのと、新しい東京みたいなのを経験できることが、すごい楽しみです。もし何らの形で参加できるんだったら、是非参加したいと思います。
  立 石 今ぼくは中央区のスポーツ少年団の団長をやっていて、夏休みには皆んなに冗談半分で「みんな、オリンピック選手になるんだよ」と呼びかけているんだけど、10歳の子は20に、それを考たとき、はっと思ったことあります。同時に、団塊の世代から停年を迎える世代の皆さんも、皆んなで元気で長生きして、自分の目で見とどけよう、おれたちの子どもがここまで大きくなった。希望していた戦争しないことが、どれほど価値あることか、戦争することが馬鹿々々しい、すぐ迷える森に入ってしまう。世界中の人に、未来の人たちのためにもやらなければならない、そのきっかけになればものすごく素晴しい。しかし共産党の方が反対している意味も、1%、10%でも、それなりにしっかり耳を傾け、ある意味の啓示だと思うんですね。何故かっていえば、北米プレートと太平洋、フィリピンプレートの上にあって全滅するほどの衝撃を受ける、ミュンヘンの保険会社のホームページを見れば、東京の危険度は720、ロスは100で突出して危険な都市であることを自覚したときに、ちょっと待てよという警戒心と、ノー天気に皆んな一緒に向いちゃいけないよ、左も見てから進んでいこう、ということは大事だなとおもいますね。
  貴重なご意見ありがとうございました。


 
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