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■ 7月23日発行  このページの先頭へ
日本橋みゆき通りの調査まとまる
「6つの課題」を提案
 両国橋たもとから日本橋中学校の前、東日本橋交差点を経て常盤橋に至る通りを地元は「みゆき通り」と呼んで親しんできた。発端は震災後の昭和5年復興視察をされたとき、千代田尋常小学校に立ち寄られ、その時に通った道路に「御幸通り」の名称がついた。現在、日本橋中学校の校庭一角に記念碑が立つ。
  3年前、この通りの若者たちが「まちを活性化したい」の思いで集まり、「日本橋みゆき通り街づくり委員会」を発足させた。また全国都市再生モデル調査(内閣府都市再生本部)に公募したところ、見事に選ばれて東京理科大学の宇野研究室が調査に当たることになった。
  その研究成果の発表とシンポジュウムが11日、明治座センターホールで開催された。調査について郷金二郎氏が説明。まちづくり6つの課題をまとめ(別項)、これに沿って地元では。出来る所から具体化したい」との方向を進めたいとしている。引き続き、吉田副区長、三井不動産の山枡氏、久松小PTAの袖山貴美子さん、そしてみゆき通り街づくり委員会の吉田誠男会長により「日本橋の今後」について話し合った。

よみがえる常盤橋
  常盤橋を、その再興を視野に入れつつ、みゆき通りの起点として位置づけ、日本銀行新館を改築し、足元を開放することにより現在遮られている動線や視線を取り戻す。また地下道の連結で東京駅、大手町、丸の内地域の人の流れを呼び込む。

昭和通りの大改造
  仮に首都高速1号線を廃止し、高架部分を駐車場とし、昭和通りの歩道を拡幅、周囲のビルにまちのインフォメーション施設にして情報発信基地にする。最終的には高速道の高架は撤去する。
椙森神社の可能性
  1,000年以上の歴史がある椙森神社の新たな収入源への3つの可能性および場内整備について検討した(1)神社上空利用分容積の空中権移転(2)レンタル神社(屋上神社に神事の場を提供)(3)携帯利用のバーチャル富くじ。

久松小前に緑空間
  長屋を段階的に開発し、共有空間を連結して付加価値をあげる。久松小学校と前面道路、公園を一体的に整備することにより豊かな連続性ある景観を作り出し、30年かけ連続した緑の空間に整備していく。

交差点の地下活用
  活用されていない東日本橋交差点を、情報発信の場として、地下からのエントランスまたはランドマークにする。都営馬喰横山駅と東日本橋駅の地下道路をリトルみゆき通として、壁に建物シルエットをあしらい関心を促す。

中学と川の一体化
  隅田川へ御幸スロープを設ける。また日本橋中学校の前面に人口地盤をつくり、学校と隅田川を一体化することにより(宇宙グラウンド)、ブラスバンド演奏、ランニングなど学生の活力が川にあふれだし賑わいを創出する。

伊藤滋教授が提案
通りの再生努力を

  調査報告会には早稲田大学の特命教授、伊藤滋氏が列席して、山の手から見た「元祖下町・町人まち」日本橋のテーマで基調講演をした。
  日本橋の特長はヨーロッパでも見られる長屋づくりにあり、そこに住む人たちが大店を支えていた。明治以後、穀物取引所を中心にして下町は栄えた。従って「この町が日本のハートランド、肉で言えばヒレ肉中のヒレであることをまず再認識すべき」と提唱。
  さらに「町は街区ではなく通りで生きている」として、銀座の「みゆき通り」をひっくり返す作戦が必要だと指摘した。特にこの地域には震災復興後に出来た通りが多く入っているので、土日曜に車止めして山の手の人たちが見にくる作戦も必要と提案。
  スウェーデンのある町で高齢者の住宅を作ったら住むだけの町になったので、階下に若い人が働く店を出したところ多くのお年寄りが集まり、若い人との交流が生れたというエピソードを紹介。「遠方より来りて楽しからずや」の町を提案した。
 
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