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■ 1月1日発行  このページの先頭へ
住んで実感できるよさ もっとほしい出会いの場
「住む」をテーマに新春座談会
 中央区の人口が10万を達成して以来、町のあちこちで子づれ親子のほほえましい光景をよく目にするようになった。登下校の小学生も以前より増えている。このことは昨年実施された雪まつりで歴然とした。会場にあふれんばかりの子どもたちは、往年のイベントを知る人をびっくりさせたものだ。そこで本紙は「住む」をテーマに新春座談会を企画。参加者は、住んで2年目の声楽家の女性、中央区で交響楽団を発足させた青年、且つて実業団野球でショートを守ったエース、曽祖父の代から浜町に住み、今はマンション暮らしの女性とコーディネート役に立石都議も加わり意見交換をした。中央区に住んでの感想は全員、「安全」で一致した。安全が故の安心感は何にも代えがたいと強調。さらに「隣は何をする人」ではなく、思いのほか隣人が優しいことに感動したとも語っていた。たしかに自治会の高齢化は認めつつも、文化やイベントなど場を設けることで新たな交流が生まれてくるのではないかと提案。それぞれ体験にもとづくものだけに意議ある座談会となった。

仕事や便利さから居住始まる
 平成20年の新年に当たり、中央区に住むことについて皆さんと話し合いたいと思います。皆さんは親の代から住み続けている方、住んで10年、あるいは2、3年とその年数は様ざまですが、住むことになったきっかけについてお聞かせ下さい。
 宇 薄(うすずき) 私は2年前から中央区に住んでます。それ以前は国立に住んでいたんですね。仕事の関係もあって便利な所に引越したいということで、どこでもよかったんです。引越したのが東日本橋でした。ベランダから隅田川が見えて、とても静かだし、とっても安全な感じが私はしています。どこに行くにもタクシーはワンメーターで行けるしそういう意味で、静岡にいる父も母もとても安心しています。
 堀 内 私は14年前に引越してきました。長野の高校を卒業して上京、松戸に住みました。私は中央区交響楽団というアマチュアオーケストラの団長を仰せつかっているんですが、当時は23区で中央区だけなかったんで、作ろうということになり、作ったんなら住まなくてはというんで、いろいろ物件をさがしましたら勝どきにありました。下町の雰囲気と意気ごみに魅了され、すっかり気に入って住むようになりました。勝どきから8年前に今の晴海に結婚を期に少し広いトリトンの住宅に越しました。今は中央区というか、ここから離れたくないという思いです。勝どきに非常に面倒見のいい方がいまして、行きつけのお店のおやじさんなんですけど、何かにつけ堀内君、堀内君で、困っていると何でも探してきたり、面倒見てくれるおやっさんで、妻も鹿児島出身でお互い実家が遠いので仲人もお願いして、こっちのお父さん、お母さんみたいな感じで、もうすっかり離れなくなって、それで14年たっている、そういう状況です。
 中 臺(なかだい) 曽祖父が明治の初めに日本橋に出てきて京呉服の店を開き、お店で販売するのではなく大名の屋敷を回って売ったようです。そこで生れ育って、チャキチャキの江戸っ子で、喋りだしたら早口だし義理人情に固いし世話やきすぎちゃう下町そのものの性格。曲がったこと大嫌い。父は亡くなりましたけど、勤め人だったけれども声は大きい、歌舞伎役者の真似をして、大きな会社にいた割りには白黒はっきりして、嫌なものはイヤという性格でした。私ほんと、この町が大好きです。浜町1丁目にずっと住んでたんですけど、2年前に周りが倒産していって隣のビルから土地を売ってください、大きなマンション建つからと言われ、母と二人暮らしで、これ以上居ると二十年以上の家はガタガタになってしまうので土地を売却しました。売却した所に戻ろうと思ったんですけど拒否されまして、東日本橋にいい物件あるから、そちらに移りませんかということで、87になる母と住んでいます。
 堀 尾 私は中央区に2000年から引越してきました。以前は早稲田におりまして、社宅だったんですけど、その社宅を出される形で、前職が建築会社だったものですから、中央区については、たまたま仕事で聖路加病院でお世話になったとき、1階ロビーの所から隅田川が望めて非常に景色がよくて、私、スポーツをやっているものですから、ここはランニングコースにいいなと思ったりしました。そして今の所が建築会社の施工している物件というラッキーが重なりましてね、昭和通りからこちら(東側)に来たことなかったんですけれども、現在中央区にお世話になっているという次第です。

中臺 京子さん
東日本橋に居住。浜町1丁目で曽祖父が京呉服の販売店。
宇薄亜希子さん
昭和54年生れ。国立音大声学科卒。東日本橋に居住。
堀尾 昭典氏
昭和39年生れ。インテリアの江口。八丁堀に居住
堀内 周氏
36歳。中央区交響楽団団長。ITコンサルタント。晴海に居住。
立石 晴康氏
都議会議員7期。昭和10年生れ。明治大学大学院修了。


安全で安心、隣人の優しさに感激
 江戸っ子の中臺さんと立石さんを除くと皆さん仕事などの都合で中央区に住んだわけですが、住んでみていいなと思ったことはどんなことがありますか。
 中 臺 大きな病院が沢山あるということですね。何か大きな病気した時でも運んでいただける感じで、たまたまサークルやってた時に脳梗塞おこした方が聖路加に救急で入れていただいて、そういう意味ではものすごいですね。うちの近くに消防署ありますし、警察がそばにありますし、地元っ子だから言うわけじゃありませんけど治安がいいんですよ。
 宇 薄 ほんとにいいです。私、郊外に住んでいたんで駅からおうちまで十分くらいまでなんですが、なんども恐い思いをしました。女の子が一人で歩くってほんとに恐いんです。それで、うちの家族が「郊外に住むのはやめなさい。心配で寝れない」(笑)それでこちらに引越してきて、2年たつけど、夜酔っぱらって帰っても一度も恐い思いしたことありません。
 中 臺 私たちの町では何かあったとき、皆さん絶対に顔出します。
 宇 薄 近所に知っている人もいますし、帰り道歩いていて、誰それの家だなと見ると灯りがついているだけで、すごく安心できるんです。私の友人、女の子なんですが私の近所に住んでいるんですけど、同じこと言ってますね。
 堀 内 結婚を決めた時にですね、バス停で待っていると、お名前知らないんですけど相手方はご存知のようで「堀内君、結婚するんだってね」なんていう形で、そういう町、そういう人づき合いあるとは思わなかったですよ。
 宇 薄 町のいろんな行事、お祭りとかに、まさか一人で暮らしていて、東京でそういうことに参加できるなんて、そしてご近所にお友達できるなんて考えもしなかったですよ。
 堀 内 前に住んでいた所、千葉の松戸なんですが、そういうお付き合いなかった。積極的に私も参加しなかったのかもしれないんですが、ほんと、世話好きの人多くて困るくらい。引越しの日まで決めて、オモトまで用意されていて「これ持っていけばいい」、ほんと嬉しかったですね。
 中 臺 だからといって、お節介なんだけど入ってはいけないところって下町の人、割と分かっていて…
 堀 内 そうなんですね。私は江戸っ子ではないんですけど、江戸っ子になりたい憧れっていうか、そういうとこがマッチして、それがいい町のひとつで、だから安全ということも言えますし住みやすいというのもあるのかなすごく、この十何年かで感じてるんですけど。
 堀 尾 私ね出身は高知なんですけど、父の仕事の関係で兵庫県の宝塚に15年ぐらい住んでいたんですよ。いわゆる西と東。大学で東京に出てきたんですけど、スポーツやってる時は団体生活でいつも一緒でした。家庭を持ちましてね、大阪の時と全く、住んでみて雰囲気の変わらなかったのは驚きました。大阪もね、醤油足りなくなったから借してなんていう、そういう雰囲気あるんですよ。東京は隣に誰が住んでいる、という都市かなと思ってたんですけど、いざ住んでみると、結構、横のつながりがあるんですね。上の子も下の子も泰明で、いや田舎もんですから、ブランドものに弱いんで(笑)あそこは親も参加するんですよ。だから親のコミュニケーション、よろしいんじゃないかと思いますね。

道路にベンチの優しい町に
 中央区に住んで、生活環境や仕事、文化スポーツ、地域コミュニティあるいは子育てなどについて改善してほしいことなどありますか。
 中 臺 母と2人で住んでいて、母は87で要介護2なんですね。体が不自由になった時、もうちょっと優しい町になってほしい。というのは、介護士の方、一週間にいっぺん来てくれるんですが、杖をついて隅田川のテラスの所まで行くんですけど、行くまでにベンチがないんですね。「車イスで行ったほうがよろしいでしょうか」と言うと、歩く練習ですからと。腰かける所がないんですね。隅田川のテラスにベンチはあるんですけど、どっちかと言うとホームレスのお座りのベンチになっちゃってるので、隅田川の両国公園なんかにちゃんとしたベンチとか、年寄りにやさしいというか、そういうのがあったらいいな、と話しました。
 立 石 いい提案だね。自分も腰痛になって「きついな」と思うことあります。バス停のベンチのような、ちょっと腰おろせるものあるといいですね。そういうの、これからのストリートファニチャー(家具、調度)として、いい提案だね。
 堀 内 私は晴海に住んでいまして、日本橋の方には非常に行きづらいんです。何んか循環バスでもいい、せっかく日本橋、佃・月島、京橋地域と3つの歴史ある所ですから、晴海と日本橋には地下鉄は難しいと思いますので。それから、人口も10万をこえて新しい方がどんどん入られてきているんですが、昔から住んでいる方と新しい方との接点というのが、なかなかないんですね。私も自治会に入ってやっているんですが、新しい方が自治会に入らなくて、どんどん高令化も進んでいて、どちらかと言うと私の親の世代の方がやっている、そこの世代交代もおこってない。
 立 石 コミュニティバスね。たとえば日本橋の出張所、月島の出張所、晴海のトリトン、築地の市場から東京湾へと巡回するとか、そういうの必要だね。
 堀 内 すばらしい所いっぱいあるので、中央区には。そういう所でまた接点がもてたりすると、新しい方と昔からおられる方々との接点がまた生まれるのかな、そうするとまた素敵になってくんじゃないか、と思います。
 立 石 実は古くから住んでいる我々は、新しい方になんとか自治会に入っていただきたい、聞いてもらいたいとか、素敵な若者ファミリーが越してきてくれた、なんとか声をかけたいな、と思ってるけど、日本人ってシャイだからなかなか声かけられない。東大名誉教授の伊藤さんと話したらね、「なんでもいいから音を出せ、祭りの太鼓の音でもいい、花火でもいい、そうすると、楽しそうだなってマンションの中に入っていても顔を出すよ」なるほど面白いこと言うなと思ったね。そういう仕かけが必要なのかもね。ベンチも、お年寄りが座るだけでなく、サラリーマンの方が昼休みに食事できるようなね…。このあいだ日本橋のみゆき通りの富沢町で実証実験やったんですよ。国交省と都と中央区が協力して、地元のみゆき通り会が中心になってね。
 堀 尾 子どもが電車通学してるんだけど。当時上の子が1年生で非常に心配しました。事故とか突発的なものは致しかたないけど、1年生2年生ぐらいになると悪ふざけするわけですね。駅のホームなんかでね。意外とね、サラリーマンの人怒ってんのかなと思いますとね、住んでる人が注意してるっていう光景を見ますとね、私もうちの倅の学校の校章をつけてると注意をしてたんですけど、全く田舎と変わらずに隣のおじさんに怒られている、そんな雰囲気があったもんで、そういう点は非常にいい町だなと思いましたね。
 立 石 土地のおじさん、おばさんたちが心配して自分の子ども、家族のように声をかけてくれるんですよ。昔の人、そういうことってすごく大事なことですよ。
 宇 薄 私は音楽家なので演奏する場所とか行きたい所を望んでいるんですね。すごく大好きな家に住んでいるので、やっぱりそういう場を与えてくれたら、すごいと思います。たとえば、いろんな会に誘っていただいて、月島にはこんないいホールあったんだということあったし、日本橋でもちょっと変えればコンサートに使えるという気になったんですね。
 堀 内 オーケストラやってるので、どうしても大きなスペースが必要なんですが、お隣の江東区なんかほんとに立派なホールがあって、墨田区にも素敵なパイプオルガン付きのホールとか、中央区だけでない。第九を歌舞伎座でやろうと考えたのはね、そこが出発点なんです。つまり第九を唄うようなホールが中央区にはない、どこでやろうか、浜町の体育館とかいろいろ考えたんですけど、中央会館では第九は無理かな、そんならよくよく考えたら歌舞伎座があるじゃないかということに気がつきまして。音楽ホールとかという形になると、ないですね。
 宇 薄 中央区にせっかくいろんな友達できたからコンサートをやろうと思っても、チケット2千円3千円のコンサートでは、銀座のいいホールなんて高くて呼べないじゃないですか。中央区で大好きな人集めてコンサート開けたらいいな、と思っていつも悶々としています。
 立 石 これから建て替える小学校や中学校に音楽のできるホールや野球場を整備していくと面白いよね。
 宇 薄 どこでも唄いたいと思っているのでそういう機会を作ってくだされば唄えるんです。
 立 石 ニューヨークで経験したんだけど、ウォールストリートの真ん前でコンサートやってるんだよ、サラリーマンが背広着て唄うわけ。そういうこと考えたら、真似するわけじゃないけど茅場町や名橋日本橋の滝の広場、コレド、聖ロカガーデンなどでもいい、絵になるよ。
 堀 内 秋に体育祭やるでしょ、あゝいったことの延長で、芸術祭みたいの出来ればいいな、と思っています。集まってきますよ次々と人が。
 堀 尾 先ほど伊藤先生が「音を出せ」とおっしゃたという話がありましたが、私は野球部にいまして、「とりあえず声を出せ」というのがありまして、そうすると声を出しているうちに自分が高揚してきますでしょ、相手に与える印象もあるわけですね。とりあえず声を出せ、そのへんがスタートだと思います。

もっと町の景観に配慮がほしい
 人口10万を達成して中央区も新しい課題に取り組んでいますが、区にこうしてほしい、こうすればもっと良くなるということありますか。
 中 臺 自分がマンションに住んでいるから言えないんですけど、ちょっとあまりにも無計画にマンションが乱立しすぎているのではないでしょうか、ヒートアイランドじゃないけど、ちょっとそれを感じるんですね。だんだん土がなくなっちゃった。それと、たしか前はもっと見えたのにね、夜の星。ちょっと、江戸っ子として、下町っ子としては寂しいんですよ。私の住んでいた所は、子どもの教育上よくないかもしれないけど、浜町河岸で、みんな料亭だったんです。すてきな板塀で、学校から帰って家のカギあかない時はお隣の料亭のお姐さんが「おうちにおいで」とか言ってあげていただいて、料亭だから中庭があるとか、すごく素敵で織紙を教えてくれたりとか、そういう情緒があってね。茣蓙を敷いて、飯事(ままごと)遊びするなんて、今できませんからね。
 立 石 今の若い記者は「料亭」の世界に偏見を持っているけど、そんなものじゃない。厳しい仕来りと伝統の中にありますから、若い妓が媚を売るだけだと、お姐さまにじろっと睨まれるともう生きていられないというイメージの世界ですよね。マンションについても閉鎖的で見られないようになっているけれども、昔の縁台とか障子のように気配がわかるようにしないとね。ラジオ体操や学校の運動会に「うるさい」と言う人はもう来ないでほしい。そういう人はね、どこだって暮らせないと思うよ。
 堀 尾 私の住んでいる通りだけでもマンションは2つ建っている。出来あがった時、ちょいと浮いたマンションになっていて景観がよくないんですね。ここをね、行政が建設前にしっかりと指導してくれればと、思いますね。
 立 石 中央区に住む動機が便利とか、おいしいものがあるとか、デパートに近いとか古くから蓄積したものに起因しているのですから、そうしたものを生かせるような、銀座が総意で高さを規制したように、ルールを作れればね。風の道とかね。
 堀 内 海外では建物に対する規制はものすごく厳しいんですよね。そういう規制をすることには大賛成ですね。十数年前まで月島地域にはまだ長屋が沢山ありましたよね。それが軒なみなくなって、残念ながら今や前に何が建っていたかなと思うほど、街並みが様がわりしてしまいましたね。やはり、いい所は残すような努力は必要だと思いますね。
 堀 尾 浜町なんか料亭のある所なんか、いいですもんね。神楽坂、あの通りも江戸の良さをそのまま残しているようで、今も人が往き交うだけにいいですね。
 立 石 今や排他的になっちゃってるんですね、マンションが。だから中国なんか中庭があってね。お年寄りや子どもさんが集まったりしてますよね。あゝいうのはいい例ですよ。

交通がネック、東京オリンピック
 2016年にオリンピックを東京で開催しようとしています。そうなるとメーンスタジアムが晴海ですから中央区が中心となります。この東京オリンピックへの思いをお聞かせください。
 宇 薄 私はやっぱり見たいです。ほんとに自分の住まいの近くで見られるなんて。オリンピックは見たことないんで、単純に期待してます。
 堀 内 私は出身が長野で冬季オリンピックがありました。あの時はもうこちらに来ていました。知り合いに聞いて、いちばん思ったのは子どもたちがいろいろなイベントに参加するんです。各国の応援を学校ごとにやったことが、スポーツの祭典なんですが、文化の祭典にもなるという意味ですごく賛成なんですね。五大陸を第九でつなぐのは私の父が事務局やって、オールアマチュアで小沢さんが指揮したんですが、子どもや中央区のためにも期待してます。ただ1点、晴海に住んでいる者としては、毎日、華火大会があるようなものなので、パラリンピックを入れると期間はさらに長くなるので、唯一、交通の便につきまして皆んなで考えていただきたいですね。
 中 臺 昭和39年の東京オリンピックの時、私の担任の先生はオリンピックに反対だったんですね。でもマラソンで一生懸命走っているの見て感激しました。学校の体育館をアフリカの国が練習をしていて、男の方だけだから近づかないようにと言われたんですけど、選手に手をふりましたけどね。最初は交通事情や治安のことありましたけど、開催されてからは間近でやってもらってよかった、楽しかったし感動しましたね。
 立 石 私は学生の時でしたが、感動しましたよ、円谷選手が首振ってメーンスタジアムに入ってきた時ね。第一、皆んな考えてみてよ、焼野原になった東京でオリンピックやろうと言い出したんだから、すごいですよ。だから再びエントリーすることに、いろいろ意見はありますけど、病める日本、失われた十年と言われますけど挑戦して、未来に向って動いていくことはすごいと思っています。
 堀 尾 私は東京オリンピックの開催の年に生まれたんで、東京オリンピックの代名詞みたいに言われてきました。スポーツにたずさわってきたので誘致には大賛成です。ただ準備をしっかりせないかんと思います。祭典だけで盛りあがるというんじゃなく、治安や交通にしっかり対応しませんと。異文化に接する楽しみ、スポーツを見て感動するだけじゃなく、そのへんも期待したい。まして子どもがちょうどいろいろなものに興味を持つ世代なので、やった思い出づくりにもさせたいですね。
 では最後に今回の新春座談会を立石さんからまとめてください。
 立 石 皆さん、地域もちがうし、お住まいの期間も2年から曽祖父の代からとちがいますが、皆んなの意見にタテ軸というか背骨があるなと感じましたね。これが我が中央区の施策の基本だなと思いました。黒塀とか簾(すだれ)や縁台将棋は今の言葉でいえばパサージ、店舗がつらなって賑わいのある街、そういうような街を作ればいいんだなと直感しました。年代をこえて、地域をこえて住んでる年数に限らず中央区に住もうという皆さんのお考えの中にそれがあるなと思いました。
  長いこと、御貴重な皆さんのご意見お聞かせいただきありがとうございました。


 
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