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日本橋美人の美意識

HOME > 日本橋美人の美意識 > 知:先人からの叡智 財団法人三井文庫常務理事・文庫長 由井 常彦氏
日本橋美人新聞 増刊壱号(2007年)掲載

知 先人からの叡智


内側から自然と溢れてくる知性。そこから醸される品格が、”心も身体も美しい“日本橋美人を生みます。「日本橋美人ブランド」もまた、江戸より受け継いできた叡智に学ぶことから誕生しました。日本橋に受け継がれてきた伝統的な美学について、由井常彦三井文庫・文庫長に解説していただきました。

「雅・綺麗さび」と「日本橋美人」

財団法人三井文庫常務理事・文庫長 由井 常彦氏
雅の伝統
 三井の歴史は、伊勢松坂の商人三井高利(たかとし)が江戸に呉服店(越後屋|三越の前身)を開き、京都に仕入店を構えた延宝元(一六七三)年に始まり、以来三〇〇年を越えて続いています。
三井家の伝統的な美意識として、「雅(みやび)」と「綺麗さび」を挙げることができましょう。
「雅」は、平安時代から京都の長い歴史のなかで育まれてきた、いわば京文化の美意識です。「江戸店(えどだな)持ち京商人(きょうあきんど)」と呼ばれた三井家には、古くから京の雅を尊ぶ伝統がありました。特筆すべきは、江戸後期に活躍した北家六代・三井高祐(たかすけ)でしょう。高祐はたいへんな文化人で、三井家の本拠地である紀州の藩主、徳川治宝(はるとみ)と茶の湯を通じて親交を結ぶなど、江戸と京都、大名と町人の文化を結びつけるうえで非常に大きな役割を果たし、ここで永楽の茶陶に代表されるように「雅」の美しさが華を開き、以後三井家の文化の特徴の一つとなりました。
赤地金襴手鳳凰文天目 永楽和全作
明治二十年、明治天皇の献茶に使われた、三井家の雅の代表。

国宝 志野茶碗 銘卯花墻
日本で焼かれた茶碗で、国宝に指定されているのは本阿弥光悦作の白楽茶碗とこの茶碗のみ。
綺麗さびの伝統
 「わびさび」をご存知の方でも、「綺麗さび」という言葉はなじみが薄いかも知れません。
「綺麗さび」というのは、徳川将軍家の茶道指南役だった小堀遠州を祖とする遠州流に伝わる、誰に対してもわかりやすい美意識だといわれています。三井家でも、幕末から明治、大正、昭和を通じて、落ち着いていながらも華やかな配色の美しさを特徴とする、綺麗さびが好まれるようになります。
室町家では十代三井高保(たかやす)の時代から、上質の茶道具、ことに遠州好みの綺麗さびの名品が多く集められました。その一つが、「卯花墻(うのはながき)」という銘のはいった志野茶碗です。現在国宝に指定されている日本で焼かれた茶碗としては、他に一点のみ存在するという貴重な美術品です。
こうした伝統を受け継いだ十二代高大(たかひろ)が蒐集した道具にも、瀟洒な美意識が貫かれています。高保と同様に高大も、茶の湯を通じて小堀家との親交を続けました。妻姿子(しなこ)が「業平」と名づけた花入れも、三井家に伝わる綺麗さびの代表的な名品といえましょう。

伊賀耳付花入 銘業平
業平の銘は三井高大の妻、姿子がつけたもの。

所蔵 三井記念美術館
深さと洗練
 「綺麗さび」と「雅」の伝統はこのようにして江戸・東京に持ち込まれ、近現代にまで受け継がれています。背景を知ったうえで鑑賞すると、美術品を見る目にもずっと奥行きがでてくるでしょう。
三井記念美術館に伝えられた至宝に込められている美意識は、三井家代々の高い感性と知性が培ってきたものです。コレクションの一つ一つに深い味わいと美の洗練があります。”心も身体も美しい“日本橋美人を目指す皆さんにも、ぜひこれらの優れた美術品に触れて内面の美しさを磨き、よりいっそう輝いていただきたいと思います。
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