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伝統的食文化の行方を、築地魚河岸の現場からお伝えします 魚河岸発!
今月のテーマ:鮨! 鮓! 寿司!
 アタクシの行きつけの寿司屋さんが水天宮にありましてね。通称「ノンビリ寿司」っていうんです。というのも店内がとてものんびりしてるから。
 「お兄ちゃん、コハダ握ってよ!」
 「はぁい」。
 …って、しばらく待って、忘れかけた時分にようやく出てくる。でも、まあいいんです。寿司はうまいし、気持ちもゆったりするから。またの名を「なごみ寿司」。おススメの寿司屋ですよ。
  まあ、こんなふうに好物の寿司をつまんでいると、またぞろウンチクなど傾けたくなるもので…お兄ちゃん、知ってるかい? 最初のスシは鳥がつくったんだぜ。
 「はぁ?そおですかぁ…」。
そうだよ、知らなかったろ…おい、それよりもシャコはまだなのか?
 「はぁい」。

“日本最古のスシは鳥がつくった!?”

 讃岐地方の伝説によると、その昔、淡路島に住んでいた老夫婦が巣をつくっている鶚(みさご)を見つけました。こりゃかわいいナと思いまして、心やさしい老夫婦はそこにあまった飯を入れてやったんですね。「ほうら、お食べ」。
 でも、鶚は飯には見向きもしません。それに、なぜか海から魚をせっせと捕ってきては、巣に置いていきます。何をしているんでしょう。
 「もしかしたらエサをもらったお礼に鶚が置いていったのかもしれない」と、勝手に思った夫婦は巣のなかの魚を鶚に無断で持ち帰って食べたところ、これが実においしい。何とも独特の風味がしたんですね。これはどうやら飯の上に魚を置くことで魚が発酵するらしい。これは美味ということで真似して食べたのが、これすなわちスシのはじまりです。
 つまり、鶚は巣の中にせっせとスシをこしらえていたんですね。そんなわけで、日本で最初のスシ職人は鳥です。そんなことから江戸時代には「みさご」といえば寿司の代名詞でしたし、全国各地には今でも「みさご寿司」なんてお店があるんですよ。
 まあ、この話はあくまでも伝説ですけれど、鶚が狩猟型の鳥で、海岸や山間に自分の巣をつくってそこに魚を置くというのは本当のことで、今でも土地の人たちは鶚の巣の魚はちょっとした珍味で、よろこんで賞味しているといいますね。

“スシのはじめは馴れずし”

 最初にスシをつくったのは鳥だということはよく分かりました。では人間のつくったスシのはじまりはいつ頃かというと、これが中国は後漢の時代といいますからざっと二千年も前のことです。その頃、米の醸造によってたんぱく質を変質させる技術が中国で発見され、これによって、魚の腹に米を詰め長時間圧力をかけると発酵し、豊かな味わいとすごい臭いの保存食である“酢(スシ)”の登場ということに相成ったといいます。何も大昔の中国に寿司屋があって「へい、らっしゃい!」とか握っていたわけじゃないんですけどね。にぎり寿司なんてのはごく最近になってできたもので、スシのはじめは米や塩などで魚を発酵させて酸味を出したもので、だから“鮓”と書いてスシと読むのが正しいようです。酸っぱいから鮓。現在の“馴れずし”が最もスシの原型に近いといえるでしょうな。

“早鮓(はやずし)の登場”

 そういうわけで長い間スシといえば“馴れずし”のことだったのですが、この“馴れずし”、飯は魚を発酵させるためのもので米は食べずに魚だけ食べるという、まあ大変に贅沢なものでしたし、それにつくるのも大変です。少なくても数日を要するという手のかかるものだったんです。
 ところが江戸時代になると食事情も大きく変化してまいりました。早い話がファーストフードの流行ですな。屋台に振売りと、手軽に安く食べられるものがたくさん出てきます。なにしろ短気な江戸っ子は“馴れずし”なんて気の長いものはあまり好みません。「もっと手っ取り早いものはないかえ!」
 さあ、そこで登場したのが“早鮓(はやずし)”というもの。これは飯に酢を加えて一夜漬でつくるもので、別名、“一夜鮓”あるいは“生成(なまなり)”とも呼ばれました。
 “早鮓”を発明したのは延宝年間(1673〜81)に京都から江戸に来た松本善甫(まつもとぜんほ)という本草学のお医者さんで、この一夜漬の手法をあみだして何と百石の禄を賜ったといいます。続く貞享年間(1984〜88)になると四谷に近江屋と駿河屋という二軒の“早鮓”を食べさせる店が現れまして、これが寿司屋のはじまりだ、なんていわれますね。両方の店ともに非常に繁昌したために江戸市中に寿司屋が続々と登場するようになりました。

“握りずしは文政年間から”

  江戸前のスシというくらいですから、スシはいかにも江戸を代表する食べ物のように思いますが、それでも現在のものに近い“握りずし”が登場するのは、300年続いた江戸時代も3/4を経た文政年間(1818〜1830)といいますから、幕末近くなってのことです。
 “握りずし”の創始者は花屋与助兵衛という寿司屋で、この人は数々の変り鮓を創案したのですが、そのなかのひとつである“握りずし”が大変な評判を呼びました。何でもその場で鮓を作ってしまうらしい。それも変な手つきでさっさと作り出す。その手際見たさに見物客が我も我もと押し寄せるので、客の方がすし詰め状態になったといいます。その中心でひたすらスシをにぎる与兵衛、その仕草が妖術使いのようだったので、手品のスシだ、などと噂されたといいます。
 また、与兵衛寿司と前後して、大坂道頓堀の松の鮓というところでも握りずしを始めたという記録があります。握りずしというと江戸の専売特許のようですが、関西にもほぼ同時期に生まれたのは意外ですね。

“鮨と鮓と寿司”

  スシがかつて漬けるものであったという記憶が、今も寿司屋さんのカウンターを “つけ台”といったり、また、職人さんの仕事場を“つけ場”というように言葉の上に残っています。
 でも現代のスシは、まるで泳いでるそのまんまを握って出したりもします。それが一番新鮮だよなんていってね。でもそれではちょっとスシという意味合いからは違うんじゃないかな。昔は甘酢で洗ってから握り、アカガイなら生酢、マグロなどは醤油でヅケにして握るというひと仕事が加わっていて、その塩梅がスシ職人の腕の見せ所でもあったわけですからね。何でも現代風というのはちょっと味気ない気もします。
 鮨と鮓と寿司。スシをさまざまに書きますが、どれも同じ意味です。でも、あえて使い分けるとすれば、“握りずし”を「鮨」、押しずしや箱ずしなどを「鮓」、そして縁起をかついだ屋号として「寿司」ということになるでしょうか。


 …とまたしても、語っちゃいまして、いや、おはずかしい。何しろ好物を口にすると、つい何か言わなくちゃいかんという強迫観念が…おい、お兄ちゃん、シャコは一体どうなってるんだよ!?
 「はあい…」



生田與克―いくたよしかつ
1962年東京月島に生れる。
築地マグロ仲卸「鈴与」の三代目として築地市場で水産物を扱うなかで自然の恵みの尊さ、日本特有の魚食文化の奥深さを学ぶ。
現在、講演会などを通じて魚食の普及に努めるほか、ホームページ「魚河岸野郎」を開設。魚河岸の歴史と食文化を伝える“語り部”として精力的に活動している。

「築地の魚河岸野郎」
http://www.uogashiyarou.co.jp/


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2005年4月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  

 

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