喜多川歌麿 難波屋おきた
水茶屋の看板娘・難波屋(なにわや)おきたは、寛政(1789-1801)期に三美人と謳われた中で最も人気がありました。この娘を一目見ようと多くの人が店に訪れ、用水桶の縁に登って覗き見る者がいるほどの評判だったといわれています。喜多川歌麿の描いた本図のおきたは十六歳頃と思われ、青い衣装に黒い帯の控えめな装いです。