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略歴
1941年12月15日 東京生れ
明治大学政治経済学部卒、1967年、同大学院政治経済学研究科を修了
1971年 都議会議員初当選
現在に至る
日本橋スポーツ少年団団長、中央区能に親しむ会会長、(財)東京都交響楽団評議委員、
社会福祉法人あそか会監事などの要職にある。
家族は妻しげ子、1945年生れ。茨城県古河市出身です。子供はなく2人暮らしです。
現住所 中央区東日本橋1-2-12
TEL.3864-0077 FAX.3865-4650
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立石さんは、マザーテレサさんを尊敬していると聞きましたが。
 私は、築地本願寺の仏教青年会の委員長をしていた34歳のときでしたが、仏教発祥の地インドに旧跡参拝の旅をしたことがあります。

 インド人は優秀な国民で、今やIT時代の先端を行ってますが、当時は貧しくて、赤ちゃんが(育てられないので)捨てられる時代でした。こうして捨てられた赤ん坊は乳を与えても飲まないんですね。親に捨てられた意思の反映ともいわれます。このとき、インディラ・ガンジーさんと会う機会があり、マザーテレサの話を聞きました。彼女は捨てられた赤ちゃんを抱いて、まずきれいに洗い、あたためてあげるんです。こうすると乳を吸うようになるんだそうです。彼女は修道女として人に尽くすんですが、その生きざまから、命の尊さ、人の基本的な生き方を考えさせられ、今もその思いが私の心の奥に焼きついています。

 「あれも、これも、もっと、もっとの生活」ではなく「清貧な暮し」になれたら、といつも思います。
 
立石さんは仏教徒でもあるんですね。
 ええ。浄土真宗の開祖である親鸞聖人は「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言ってます。いわゆる悪人正機説ですね。親鸞は、歎異抄でも教行信証でも読むと難しいんですよね。ぼくの場合は自然に入っていったんです。それまで悟りを開くことは山奥に入って修業を重ねる僧の世界であったものを、称名念仏、念仏を唱えれば誰でもお浄土に往けるという、浄土信仰です。
 
子供の頃の立石さんはどうでしたか。

 子供の頃に病気にかかりまして、長いこと病院生活を送ったことがあるんです。小学生でしたが、そこで考える時間が長く、本を読んで早熟でした。なんで自分だけがこんな痛い目にあわなくちゃならないのか、と思いました。でも手がだんだん動いていく喜びも感じ、同時に世のため、人のためになりたいという気持ちもわいてきました。こうして今の性格が形成されたんだと思います。ワシントン、リンカーン、新井白石等の偉人伝も読みました。病気の子を、両親が励ます為に読書の習慣をつけるよう誘導したという面もあります。そのような面では、子供らしい溌剌とした明るい子と言うよりは、内向的な人間でした。
 
 長い入院生活から、世のため人のための思いが育まれ、今の政治家の道に入られたということですが、どんな政治家をめざしていますか。


 私の父は鹿児島の人で、大工の棟梁になりました。主に寺宮大工の仕事が多かったですね。母親は日本橋の出身です。

 九州の保利茂という大物政治家がおりました。本願寺の門信徒会(国会議員の会)なんですが、その人の話しです。「人の心を動かすのは権謀術数や手練手管ではない。結局、誠実です。ひとことで言えば百術は一誠に如かずと言う諺に表されます。」と教えられました。

 私は、資格というもので生きるより、職人のような世界に心ひかれます。職人という仕事は資格じゃないんですね。包丁研ぎであれば、それがいかに切れるかが勝負で、ものを作りだす世界には、ウソとゴマカシは通用しません。板前さんもそうです。味が落ちればお客は離れていきます。今の世の中は皆んなが資格を追い求め、いつとはなしに資格のみの世界に埋没してしまう社会制度を招いているのではないでしょうか。資格を自分の既得権益として、人の世界に欠かすことのできない心の動きを忘れ、そのために金属疲労を起こしている。私は、ものを作っていく厳しい世界にこそ人の生活の知恵がある、と思っています。

 
今どきの若い人たちをどう思いますか。

 仕事がらマンションを訪ねて挨拶をする事があるので、留守番の若い人たちにたくさん出会います。ドアを開けて応対に出られて、「こんにちは」と私が来意を告げても、反応しない人が多いのです。多くの若い人に共通していて、驚くと同時に不思議でした。

 海外旅行をすると、向こうの人たちはエレベーターの中などで目線が会えば、見知らぬ外国人でも「ハーイ」と言って挨拶するでしょ。これは、あなたと敵対していませんよ、という表現で、多民族国家で生きる知恵のようなものなんですね。

 朝起きたら「お早よう」に始まり、家に客が来たら「いらっしゃい、こんにちは」、家に帰ったら「ただいま」等々…。挨拶することを親は教える必要があります。

 ある小学校の入学式に行ったら、女性の校長が「元気に、友だちを沢山つくって、みんなで挨拶して、勉強しましょうね」と新入生によびかけていました。感動しましたが、こういうことは家庭で教えることではないでしょうか。
 
IT革命といわれますが、どう考えますか。

 ちょうど昭和2年頃、日本にも電話が普及し始めました。経営の神様、松下幸之助さんの話です。そのころの大工さんの手間賃は1日1円であったそうです。電話1本を引くのに3,450円もかかりました。松下幸之助社長が電話を入れて、初めて注文がとれたときの喜びが、いかばかりかを本で知りました。

 そのとき以上に便利になったものがITですね。いま、自然との共生が大きなテーマになっていますが、私たちの暮らしを100年前に戻すことはできませんから、生活レベルを落とさずに、しかも環境に負荷をかけない技術革新が必要なんです。たとえば、車が渋滞している場所からIT活用のナビゲーターで誘導できれば、燃料を浪費しないで排ガスをおさえることができます。通信の発達で人は移動せずに仕事ができますし、こういうITによる技術革新は非常に便利です。

 しかし技術は、スキンシップのようなヒューマンリレーションと併用しなければ意味がありません。ITはあくまで道具であり、扱うのは人間なんですからね。
 
都心中央区に長く住まれ、これからの中央区について、どうお考えになりますか。

 私が中央区が大好きなのは、都心の風情があって、友人知人がおり、新幹線で東京駅に降りるとやっぱりホッとします。「ふるさと」なんですね。いま、都心回帰が話題になっています。ここに長く住んでますが、活気も文化もあり、刺激もあるし、便利ですしね。そうはいっても、マンションだらけの町では困ります。

 中央区は昔から伝統技術の街、商売の盛んな街、情報を発信する刺激的な街としての歴史があります。その昔からの土地柄を継承し、千客万来の他のどこにもない伝統の魅力を残した街を創りたいのです。単なる便利な金もうけの街、機械的、機能のみを追い求めた事務センターのような場所にしてはならないと思います。そうすれば未来に生き続け、同時に人間の生活感の充満する街となるのではないでしょうか。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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