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プロフィール
昭和31(1956)年、11月29日生まれ。昭和55年、和光大学経済学部経営学科を卒業と同時に、家業である人形町の家庭用品・化粧品を扱う「なんや商店」に入社。約5年間の勤務の後、東急ハンズ池袋店において売場での研鑽を約三年間重ね、再び「なんや商店」へ復帰。現在は5代目として店を切り盛りする一方、人形町商店街三水会の会長として、商店街活性化のため奔走の毎日を過ごされています。ご趣味は、お祭りの会などの直会(なおらい)で披露ができればと、三年前から稽古を始めた小唄。また、ご謙遜のゴルフの腕前は、同会のゴルフ大会で常に上位をキープする実力の持ち主。ご家族は奥様と小学三年生の娘さんです。
 
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 人形町は、江戸時代から栄えた商売の街です。人形浄瑠璃などを見せる芝居小屋などがあり、人形師が住んでいたことから、この地名がついたといわれます。水天宮をはじめ、明治座、大観音寺など多くの名所があり、商店街は各地から訪れる人達で古くから賑わいました。昭和39年の東京オリンピック以降、地下鉄の開通や、新しい店の進出、また古くからの老舗がビルに姿を変えるなど、街も様変わりしました。しかし、今でも三味線の店や、つづらの店、扇子の専門店など、江戸の情緒を思わせる店も数多く残り、当時の面影を偲ばせる魅力ある商店街です。この人形町商店街の活性化のため日々力を注ぐ人形町三水会会長の南谷康夫さんにお話をお伺いしました。
 
中央区との関りはどのようなものでしょうか。
 
 明治5年、繊維小物を扱う巾着の店としてこの人形町で創業した「南谷商店」で生まれ育ちましたので、幼なじみはこの界隈の商店の子供たちばかりでした。
 
屋号と名前を組み合わせた「何屋の何ちゃん」のようにお互いを呼び合うのが普通で、毎日、日が暮れるまでこの辺りの路地で遊んでいました。堀留公園付近にやってくる紙芝居が楽しみで、友達と10円玉を握り締めて足しげく出かけたものです。毎月5日の水天宮の縁日は、町中が大賑わいでした。カルメ焼き、金魚すくい、水アメなどの露店が新大橋近くまで並び、心が弾む思い出です。昼下がりに路地裏で響く三味線の音色、人力車の黒と膝掛けの鮮やかな朱色のコントラスト、風に揺れる涼しげな柳の並木道など、昭和30年代の懐かしい風景が今も脳裏に焼きついています。
 
三水会についてお聞かせ下さい。
 
 三水会は、人形町に訪れてくださる人や、お住まいの方々、またお勤めでいらしている人達に、街の良さを深く知っていただき、より多くの方々に商店街を利用して頂けるための企画を、若者の知恵を絞り話合っていこうと、昭和49年に発足しました。その折、定例会を、毎月第三水曜日に決めたことで、会の名称が三水会になりました。私は会長に就任して二年目を迎えますが、任期は特に定められておりません。会員は、人形町商店街の若手経営者並びに後継者68名で構成されており、現在の最年少者は19歳で、スポーツや会合などで会員相互のコミュニケーションを図っています。年齢が50歳に達すると、会友の名目になり、会への協力をしてもらう形に変わります。
 
三水会の具体的な活動について、お聞かせ下さい。
 
 年2回の売り出しなどの、人形町商店街協同組合のイベントの手伝いは、我々の重要な活動のひとつです。毎年8月に開催される東京湾大華火大会では、晴海の特設会場で、区内の他三商店会と共に、飲食物の販売等も行っています。同組合が主催し、2002年6月に水天宮境内で行った、人形町出身の世界的ブルースシンガー・大木トオルさんのコンサート「水天宮スイートホームタウンスペシャル」でも、700席の設置、来場者の誘導等、三水会一同、三ヶ月前より準備に携わってきました。また2002年7月同組合が出版する「にほんばし人形町 平成14年度版」(税別3500円。問合せは人形町商店街協同組合)の制作も当会が協力しています。この本は、人形町の歴史や老舗、町に関る女性達の座談会などの内容を含み、人形町をより深く理解して頂くいい機会になればと願っています。このような同組合への協力活動とは別に、当会が企画から手がける独自のお祭り「てんてん祭」があります。
 
「てんてん祭」は、どのようなお祭りなのでしょうか。
 
 中央区商業観光祭りの一環として行うもので、当会が最も力を注ぎ趣向を凝らして開催する「てんてん祭」は、2002年10月で14回目を迎える恒例のお祭りです。これまでは体育の日であった10月10日に必ず実施されていたのと、安産の神様水天宮にちなんだ妊娠期間の十月十日を重ねて、「てんてん祭」と言うユニークな名称になりました。人形町通りの約半分が歩行者天国となり、景品つきのクイズや、動物のふれあい広場、はしご消防車や白バイの体験乗車コーナー等、お子さんをはじめ区内外の人達で大変盛りあがるお祭りです。中でも、特設ステージで行われるメインイベントは毎回話題を呼び、初回から開催していた名物イベント「マタニュティコンテスト」に続き、より多くの方々に喜んで頂ける出し物をと2001年より始めた「ワールドミュージック」は、アフリカンバンド、バブパイプの楽団、日本の民謡グループなどが、各国の民族音楽の演奏を繰り広げ、予想以上の評判を呼び、2002年も引続き行う予定です。
 
中央区の次世代を担う若者として伝えていきたいことは?
 
 中央区は歴史と伝統が大変豊かな地域です。私達は、自分達の持っている若い感性を踏まえながら、先人達が築いてくれた伝統を大切に受け継ぎ、更にそれを多くの人達に広めていくのが課題だと思っています。
 昔は「店が大事か、付き合いが大事か」と夫婦喧嘩になるくらい、商店の旦那衆は寄り合い好きとされていました。地域に住む人の顔はお互い大体知っていてつながりも密接なものがありました。しかし、今の若い人は、地域との関りをあまり持ちたがらないのが現状です。私達のような古くからの住民に加え、新しく転入してくる人達も含め、横のつながりを広くそして深く築き、中央区の素晴らしさを、商店街レベルのみならず、区レベルで、共通の大きな企画を実現し、区全体の活性化に結び付けばと考えています。
 
 三水会が協力した大木トオルさんのコンサートは、来場希望者が定員の700人を優に越え、大木さんの少年時代を知る年配者の方々も詰め掛け、正に「故郷」コンサートは大成功の内に幕を閉じました。12歳まで人形町で過ごしアメリカに渡った大木さんが、今回この地で初のコンサート開催に至ったのは、2001年のニューヨークテロ事件で、悲惨な状況を目の当たりにし、その時に込み上げてきた強い郷愁がきっかけだそうです。南谷さんもまた、小学六年生の頃、お店の火災により、自宅がお店とは別の他区へ移転し、離れてみて人形町の魅力を改めて痛感したのが、今日の活動の原点になっているそうです。文化と歴史のゆかり深い人形町商店街は出身者の方だけでなく日本人全ての宝でもあります。どうかこれからも活気ある人形町商店街を展開し私達を大いに楽しませてください。

2002年6月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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