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プロフィール
 昭和22(1947)年中央区八丁堀生まれ。昭和45年、工学院大学工学部電気工学科を卒業と同時に、昭和3年八丁堀に創業したポスターやカタログ、説明書等の印刷を行う家業の合資会社「昭三堂印刷所」に入社。現在は3代目社長として同社の経営に携わる傍ら、八丁堀三丁目西町会青年部長を経て町会総務を担当すると同時に、昨年より京橋七之部連合町会の青年部である山王会会長も兼任し、各町会青年部の総括および活性化に取り組んでおられます。ご趣味はドライブとスポーツ全般。町会50周年記念誌作成が上達のきっかけになったパソコンはインストラクター並の知識を有します。奥様とお母様、社会人の娘さんと大学生の息子さんの五人家族です。
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 江戸っ子の祭り好きは昔から有名ですが、中央区でも初夏から各所で祭りが開催されます。中でも、天下祭り、またご用祭りとも言われる日枝神社の大祭は、江戸三大祭りのひとつに数えられ、昔から大変盛大に行われる初夏の江戸風物詩でもあります。
2002年は2年に一度の大祭で、区の各連合町会からもそれぞれ神輿が出され、恒例の賑やかで華やかなお祭りとなりました。このように祭りが滞りなく穏便に開催できるのは、準備から実行まで見えないところで尽力する縁の下の力持ちがいてくれるからこそです。今回は、京橋七之部連合町会 八丁堀山王会会長として、山王祭の計画から携わり、同連合町会の神輿の巡行・渡御の責任者等を務めた大作元夫さんにお話をお伺いしました。
 
中央区との関りはどのようなものでしょうか。
 
 生まれは、現在も住む中央区八丁堀です。小学校入学と同時に国分寺に転居しましたが、7年前再びこの地に住居を移しました。家業の昭三堂印刷所はずっとこの地で営んでおりましたし、同社に入社してからも毎日この八丁堀に通勤しておりました。昭和56年から八丁堀三丁目西町会の青年部に入会し、祖父の代からこの地に住む江戸っ子として八丁堀を大切に感じています。
 幼い頃は、現在の平成通りに都電が通っており、その辺りまでが遊び場でした。馴染み深い木造住宅が鉄筋のビルに変貌する等、街も大分様変わりしましたが、この界隈には幼なじみも今だに多くおりますし、昔からの付き合いも残っています。物心ついた頃からお囃子の調べを聞き、山王祭を始め、地域の祭り等では、子供用の半纏姿で子供神輿を担ぐ等、この地域で祭りに親しみながら成長したということになります。
 
山王会についてお聞かせ下さい。
 
 日本橋・京橋・月島地区には18の連合町会があり、その中のひとつ京橋七之部連合町会の青年部が山王会ということになります。発足は平成6年3月で、目的は、京橋七之部連合町会の中に組織する7つの町会同士の横のつながりを密にして連携を図っていこうというものです。それ以前は、各7町会が開催する夏祭りや子供縁日などの日程が重なってしまい、子供達の集まりがうまく分散されないなどの問題が絶えませんでした。また発足の必要性に迫られた丁度その頃、皇太子殿下のご成婚パレードで、日本橋の橋のたもとから銀座8丁目まで、麹町・京橋・日本橋・八丁堀などの町会が4基の神輿を出すことになり、当会の必要が更に高まったのです。現在、会員は約70名で、最年少は24歳、平均年齢は40歳後半です。私が三代目会長になり2年目で、任期は2年です。定例会は、年1回の総会と新年会ですが、祭り、盆踊りの前や後は随時寄り合いが開かれ夜遅くまで話し合いをすることもしばしばです。
 
山王会の具体的な活動について、お聞かせ下さい。
 
 中央区主催の「大江戸祭り盆踊り大会」に、平成8年度から参加し模擬店を出す等、縁日コーナーに参加しています。2002年は8月23、24日に開催が決まっています。
 8月29〜31日の三日間は、当連合町会が主催し、七之部地区委員会の実行で「八丁堀納涼盆踊り」が開催され、当会は毎年協賛で参加しています。ここでは、焼鳥2400本、やきそば800食、ビールなど屋台コーナーを出店します。近隣のサラリーマン・OLの方などが、ビールを飲み、焼鳥を食べて、その内一緒に踊ってくれるなど、街の活性化の一助にもつながっています。
 そして、山王会が参加する最大のイベントは、当連合町会が主体となって行う2年に一度の日枝神社の祭礼における連合渡御の実行です。
 
2002年の山王祭ではどのような活動をなさったのですか。
 
 まず3月の始めに、当会の若手30人を集めて、2002年の山王祭についての日程や巡行する神輿の数等、各自の要望を聞いたアンケートの結果に基づいて話し合うことから始めました。6月の祭り開催に至るまでは、連合町会長会議でその要望を伝え、各町会長及び各町の責任者等で祭り全体の相談をし、各町の予定の資料を取り寄せて連合町会長会議で大よその決定をしたり、また全体の説明会を開く等慌しい日々が続きました。祭りの日が迫る頃にはコースを実際に歩き、休憩の場所を確認する等、当日の手際を確認し合いました。2002年山王祭の1日目の夜は、神輿に御霊を入れる神事を行い、2日目は、神幸祭で、日枝の本社赤坂から麹町・八丁堀・京橋等を周ります。いよいよ三日目から佳境に入り、摂社巡行です。八丁堀代表の神輿1基を皆で担ぎ、八丁堀から茅場町を巡り摂社に宮入りしてお祓いを受けました。そして4日目は、山王祭連合渡御で、京橋七之部連合会は6基の神輿を出し、八丁堀全域をくまなく周りました。私はその折、山王会会長としてこの巡行・渡御などの実行責任者を務めさせて頂きました。
 
中央区の次世代を担う若者として伝えていきたいことは?
 
 地域のイベント等では、年々、一般町会員の参加が減ってきています。少子化ということもあり、それに伴なって子供を連れて来る大人の参加も減っていますし、企業の祭りへの参加やご協力も少なからず減ってきています。
 他地域での現象と同じく、ここでも住民の減少や、オフィスビルの進出等、地域は刻々と変化しています。しかし、現在置かれた情況を前向きに受け止め、昔からある商店や地域住民等だけでなく、実社会で活躍している企業の人達とのお付き合いの接点を見つけ、その中から色々な経験や話を聞いて、私達の発想にも広い幅を持たせることに繋げたいと思います。そしてそのことが延いては地域の活性にもプラスになるのではないかと確信しています。時代の流れに後向きにならず、その流れを上手に変えて且つ、人情味溢れる昔からの横のつながり等、下町文化を大切に守りながら、これらが決して衰退しないよう努力していくことが大切だと思います。
 
 2002年の山王祭も無事終了しました。大作さんは町会の半纏姿も勇ましく、神輿巡行・渡御の指揮をとり、70代を越える諸先輩方を含む数百人を前に、摂社巡行の出発時には拍子木を打ち、山王祭連合渡御の出発時には頭の木遣りの後の一本〆、帰着時の司会等の大役を見事にお務めになっていました。これだけの人数のしかも威勢のいい「祭り好き」を取りまとめるには、町会同士の譲り合いや団結などが求められ、大作さんの並々ならぬ苦労がありありと感じられます。しかし、当日よりもむしろ準備の方がお祭りそのものということで楽しいのだと大作さんは言われ、「小さい時から祭りに関っていると、こういう大人ができるんです」ともおっしゃる笑顔はひとつの大仕事をやり遂げた充実の表情でした。

2002年7月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  


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