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プロフィール
昭和39(1964)年10月30日、中央区日本橋小網町生まれ。職業は末廣神社宮司、小網神社兼禰宜、記者(会社員)として神社新報社にもお勤め。日本橋小網町の小網神社社務所にお住まいで、奥様と一男二女のお子さまとの5人家族。趣味はサッカー、スキーなどのスポーツ。
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 日本ほど様々な宗教施設の多い国はないかもしれません。信心ということを意識する人が少なくなった昨今でさえも、大きな仏閣、道ばたの地蔵まで至るところに多くの信仰の対象があることに気づきます。私たちの日常とこれらの宗教施設はどう関わっているのでしょうか? 今回ご登場いただくのは末廣神社宮司、小網神社兼禰宜、そして神社新報社の記者でもある服部匡記さんです。宗教に携わる若者の立場から神道と神社についてお話をうかがいました。
 
中央区との関わりはどのようなものでしょうか?

 この小網神社の社務所(中央区日本橋小網町16ー23)で幼少の頃より生活しています。この建物は17年前に建て替えていますので、私が生まれたのは前の社務所です。東華小学校(現在は統合されて日本橋小学校)に通い、中学校から私立で区外に出ました。小学3年生から中央区のリトルリーグで硬式野球をし、他区のチームとよく試合をしました。それが中央区を意識したはじまりです。遊び場はこの辺りで、今の浜町公園や堀留公園(現児童館)の野原で野球を楽しんだものです。ただし、当時は高度経済成長期で環境よりも繁栄が最優先される時代でしたから、日本橋川は今よりも汚れていて、川で遊んだ記憶はありません。
 大学では法律を専攻し、卒業後に国学院大学の神道学専攻科で神道について勉強をし、資格取得後は当社の神職に従事しています。
 昨年の2月からは地域の活性化のお手伝いとして日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会の企画部長をお引き受けしています。部長という役目は神主が地域の声を神様にお伝えすることと似ている面もあります。会がある度に勉強させていただいていますが、私としても、お祭り以外に地域の、しかも同年代の方々と接することができて嬉しく思っています。

 
小網神社についてお聞かせください

 当社には小網稲荷大神と萬福舟乗辧財天など数柱の神様がお祀りされています。およそ1000年前と言われますが、萬福庵という観世音と辧財天を祀る庵ができました。文正元年(1466)にこの地に疫病が流行した時、一人の老人が海で稲穂を拾いこの庵に泊まったのです。その夜、庵主の夢まくらに恵心僧都が立ち、その老人を稲荷大神として祀れば疫病は止むとお話になりました。翌朝、老人は姿を消していましたが、庵主は老人を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して祈った結果、疫病は止みました。それが小網稲荷神社の起こりです。また辧財天ははじめ近隣にあった萬福寺に安置されていたのですが、明治の神仏分離で当社に移され、今日に至ったものです。服部家は曾祖父の代、明治初年のころから小網神社の宮司をしておりますので、辧財天が移されたのは曾祖父の時代でしょう。535年前のはじまりから、小網神社の宮司は私で22代目となります。禰宜となったのは昭和63年です。ちなみに末廣神社は13代目で、平成9年に宮司になっています。

 
貳通睦についてお聞かせください

 神社の仕事と神社本庁の広報から独立した新聞社である神社新報社の記者をしております。ここでは、皇室に関わること、神社と社会の関わり方などの記事を書いたり、ルポルタージュをするのが主な仕事です。
 本来は神社に居ることも含めて、24時間すべてが宮守の仕事です。具体的には朝起きて神社の掃除をし、毎朝、日供祭(にっくさい)を行います。これは日の出とともに行うもので、地域や国の安全を祈ります。原則として日の出から日の入りまでがお社を開けておく時間です。また、1、15、28日は月次祭(つきなめさい)といい、通常日供祭の節目で神様に報告をし、祝詞(のりと)を上げます。地鎮祭、厄除けやお祓いは、依頼があればその都度ご奉仕しています。日の入りとともに、お社の御扉を閉めます。日曜日は原則として社務所に詰め、御祈願や車のお祓いの方々をお迎えしています。
 
伝統についてはどのようにお考えでしょうか
 例えば伝統と言うものは古い楽器のようなもので、オールドのエレキギターは非常にいいものだとしても、2001年の現在に鳴らそうとすると、今の最新鋭のデジタライズされた技術とどう噛み合わせるかが問題になります。又、ギター本体(伝統)に不具合が出れば、それは当然直さなければいけませんし、やはり、生音が良いのだというのであれば、それをどんどん主張すれば良いのです。宗教は時代時代によって変化していく必要があると考えます。しかし戦後50年、IT時代の今日にあって、それをもう一度見つめ直すのが今後の課題だと思います。
 
お祭りについてお教えください
 本来例祭の日は神社の誕生日と思って下さい。小網神社の場合は5月28日になりますが、交通などの諸問題があり、現在、神輿の渡御は土曜日に行っています。5年に1回の大祭である今回は、5月26日に行い、22日に半纏合わせ(神輿の担ぎ手の半纏の確認)があります。
 どぶろく祭りは新嘗祭(11月23日)に行うものです。もともと新嘗祭は、その年に取れたお米に感謝するお祭りなのですが、その神賑行事(かみにぎわいぎょうじ)として、参拝者にどぶろくをふるまいます。今年は11月28日を予定しています。また夏の例祭に合わせてビールを振る舞おうということで、ビール祭り(本年は5月25日)も始まりました。
 この5月のお祭りにも是非いらしてください。もしお神輿が担ぎたい方がいらっしゃれば、社務所の方(03−3668−1080)にご連絡ください。
 
中央区の次の世代をになう若者に何かおっしゃりたい事は?
 ふるさとや、自分の地域に対する愛着を持ってほしいと思います。神道というのは教祖や教義があるのではなく、どのような事柄からも教えを吸収できるもので、いわば“感性の宗教”です。いかに一つのものを見て、聖なるものを感じ取れるかが大切とされる宗教で、それが神道のいいところでもあります。ふるさとと言うのは抽象的な表現ですが、家族を愛することと同じように、ふるさとや地域(日本橋)を愛してほしいと思います。
 机上論ではなく、若い人には一緒に汗を流そうと声をかけたいですね。そして、地域とふるさとに対して素直に向き合っていただきたいと思います。素直な気持ちで人や街と向き合っていくことが、ふるさとを確認するためにはまず大切なことではないでしょうか。神社は敷き居が高いこともあるでしょうが、遠慮せずに遊びに来ていただきたいと思います。気軽に入って来れる地域であり、神社でありたいと思っています。
 
 「一皮剥いてみれば、どの地域でも面白いものですよ」と、はじめに服部さんはおっしゃいました。ビルに囲まれた地域でも、長く続く歴史は日常的なものとして、今も息づいています。東京に限らず、日本中どこでも「一皮剥いてみれば」自分達が気づかなかった地域社会があると思います。服部さんは日本橋を大切にされていますが、同時に、八百万(やおよろず)の神に守られている、この日本という国のそれぞれのふるさとと地域を愛してほしいと語られます。


小網神社神幸祭

2001年5月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  
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