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「東京散歩」が今の流行で古地図を手に下町の路地を巡り歩き、時の変遷を楽しむ人が増えている。そんな人たちによすがとなる特別展が築地の郷土資料館で開催中だ。
『地図の愉(たの)しみ』と銘うつ同館の第四四回目の特別展。江戸の古地図もふくめて、明治維新から終戦まで「日本古地図学会」の会員が集めた貴重な地図を一堂に会している。決して古くはないものの、わずか50〜130年の間の地図を見ていると、東京の変化がよくわかり興味をそそる。
江戸が東京となり、武家屋敷が消えることで政府は「市区改正」と称する行政区の改変をすすめる。旧江戸市内を15区に改めたのは明治11年で、これが昭和7年まで続く。今の中央区は日本橋と京橋に分かれ、しかも京橋区は伊豆七島など島しょ部もの所轄としていた。この長い年月の行政区が戦後、合併して23区となるが、とくに都心は歴史と伝統のしがらみで、抵抗勢力が力強く混乱を重ね、「中央区」も落ち着くまでには時の流れを要した。その名残りが町名に「日本橋」の冠称を付けることに示されていて興味ぶかい。
地図は紙に印刷されたものが一般的だが、展示されているもので人目をひくのは、陶磁器などに地図を描いた地図皿、地図盆、地図壺といった作品。説明によると地図を焼きものにすることを考案したのは江戸の発明家として知られる平賀源内で、源内壺と称せられたという。日本の国名を日本地図にあしらった壺のうち、なぜか武蔵国が抜けているものがある。
江戸古地図では中央区が所有する「寛保沽券図」が展示されている。人形町3丁目あたりの地図でその克明さは圧巻をおぼえる。
ちなみに江戸切絵団は共通する原則があり、寺社を除いて民家の表記は「御城」に対して足を向けないように配慮されている。また、戦国時代に西洋の地図が流入していて北を上にもってくる方式は流布していたにもかかわらず、大半は西が上、東が下になっている。さらに江戸城がさかさまに描かれている。これらは武家の権力表示と天皇のいた西国への「意識」が表わされたという説もあって、このように「地図を読む」ことは興味がつかない。6月30日まで開催。築地4-15-1築地社会教育会館の1階、毎週月曜と第三日曜は休館。TEL3542・4801。
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