「日本橋」創架400年
30日に記念パレード

 今年は江戸開府400年であるとともに名橋日本橋が架けられて400年になる。名橋日本橋保存会はかねてから400年記念のイベントを検討してきたが、中央通りでにぎやかなパレードを30日の日曜日に実施することになった。徳川家康は小田原城攻略後に江戸を拝領され、広大な湿地帯を埋め立て堀と川の町を造成した。日本橋川は家康が新たに作りあげた川で、その中央に日本橋を架け、日本の道路の起点とした。まちづくりとしても注目される橋だ。関西から多くの商人を呼び寄せ、江戸の町は賑わいの中心になっていき、日本橋は日本の商業文化を支える拠点となる。そして明治になって石造りに変わるが、その雄大にして芸術的な橋は世界に誇る作品として注目された。こうした経過をたどり今日に至る名橋への思いは昔も今も変わらず、創架四百年イベントも地元あげての大行事になりそうだ。里帰りする山車など話題も多く注目を集めている。


里帰り山車と神輿も
テープカットも

 30日のパレードは正午に室町四丁目を出発して中央通りを日本橋三丁目(八重洲通り)まで行進する。予定されている参加団体は次の通り。
 警視庁音楽隊▽東京消防庁音楽隊▽同カラーガールズ▽ニューヨーク市警音楽隊▽近県各警察音楽隊▽日本橋中学校▽日本橋女学館▽ミス中央・さくらの女王(オープンカー)
 <山車>栃木市倭町静山車▽栃木市萬町劉備山車▽室町一丁目龍神山車▽九段四丁目町会山車▽神田岩本二松枝町会山車
 <神輿>日本橋一丁目神輿▽室町一丁目神輿▽江戸橋連合神輿▽日本橋二丁目通り町会神輿▽日本橋三丁目西町会神輿▽八重洲一丁目東町会神輿▽京橋一丁目▽小舟町四神旗
 府中大太鼓▽梅后流江戸芸かっぽれ▽国土交通省東京国道工事事務所
 出演者の総数は一、七九三名を予定。総延長にして860メートルを見こんでいる。3つのグループで構成され、神輿の先頭には「六花街芸妓連」があでやかに登場する。第1グループの最後尾はニューヨーク市警50人が飾る。
 名橋日本橋を渡る前に創架400年記念のテープカットも予定している。12時20分に実施。
 この記念パレードには次の団体が後援・協力する。
 後援=東京国道工事事務所▽日本橋一の部・六の部連合町会▽東京中央大通会・室町大通会▽帝都高速度交通営団▽日本橋法人会・日本橋倶楽部▽日本橋料理飲食業組合・三四四会▽日本橋ロータリー倶楽部
 協力=栃木市、毎日新聞社


記念さくら植樹祭
 国土交通省と日本さくらの会の協力により橋詰広場に桜の苗木五本が植えられることになった。すでに滝の広場に2本植えられているので、4つの広場が桜で飾られることになる。
 植樹祭は29日(土)午前10時から「元標の広場」で開催される。第19代の日本さくらの女王、栂安亜紀さん(慶応大学生)もセレモニーに加わる。またインターナショナルプリンセスも4〜5名が参加の予定。


こども橋サミット
 29日の土曜日、正午から名橋「日本橋」保存会の主催で、全国こども橋サミットが開催される。会場は三越7階の特別食堂「不二の間」
 中央区からは次の小学校が参加する。城東、常盤、明石明正、月島第一、月島第二、月島第三、豊海。
 全国からは次の名橋をかかえる小学校が参加する。
 万代長嶺小学校(新潟の万代橋)▽栗田小学校(京都の三条大橋)▽岩国小学校(山口の世界に誇る木造アーチ錦帯橋)▽諏訪小学校(日本の石造りアーチのルーツ、長崎の眼鏡橋)▽吉海小学校(世界初の三連吊橋、愛媛の来島海峡大橋)
 各学校から橋の研究発表があったのち意見交換もする。これに先立ち、橋の研究で著作も多い日大教授の伊藤孝氏が講演をする。同氏は平成元年に設立された「勝どき橋をあげる会」の世話人代表となり、「勝どき債」を発行して資金集めを行うなど、ユニークな活動を展開している。


山車、神輿の紹介
<龍神山車>(室町一丁目町会)加茂野人形山車ともよばれ、江戸の天下祭(山王祭礼第十番)に曳き出された姿を忠実に再現した典型的な三重構造の江戸型山車の縮少。昭和11年に後藤直光師によって製作された。
<羽衣>(神田岩本本町二丁目松枝町会)神田神社祭礼に宮入りする唯一の山車として知られる。羽衣は三保の松原の天女伝説を題材にした能の演目。町名である松枝と三原の松原にからめた酒落。昭和十年製作。
<弁慶と午若丸>(九段四丁目町会)昭和27年、空襲で焼失した山車を再現したもの。当初は立派な屋根があった。大太鼓の上に飾られている山車人形は昭和33年に製作されたもので、いわゆる「弁慶・午若丸五条大橋の出会い」である。
<静御前>(栃木県倭町三丁目)日本橋の伊勢町、小田原町、瀬戸物町の三か町共有で購入した山車で、嘉永元年(1848)の作。松雲斎徳山の作と伝えられる。明治7年、栃木市に移った。人形は太刀を佩き扇手にした舞い姿の静御前。高さは9メートルもありビル3階に相当する。江戸天下祭りで将軍の上覧に供した数少い山車のひとつ。
<劉備玄徳>(栃木市万町一丁目)明治26年、栃木市万町の有志が、日本橋石町の人形師、3代目法橋原舟月に依頼したもの。三国志で有名な劉備、関羽、張飛が義兄弟の契り「桃園の盟」にちなみ、3つの町会でそれぞれの英雄を飾った。
<四神旗・剣>(小舟町八雲神社)四神とは四方の神で東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武をあてた。この四神を描いた旗、または彫刻して飾りつけた長旗を四神旗という。剣は四神と共に悪魔外道を払うとされる。祭礼のときこれらを先頭に神輿と共に町を巡行する。
<檜物町大神輿>(八重洲一丁目東町会)明治43年に発注して2カ年半を要して製作。鳳凰の先端までは2.74メートルある。重量は約1トン。台棒の長は6.6メートルあって渡御には最低80人が必要。大正天皇の御即位の節に初めて担ぎだされた。震災、戦災も逸れた東京では珍しい神輿。平成4年に改修された。
<京橋一丁目神輿>昭和25年作。屋根の振りが広くなく胴が細く出来ている。彫物が細かく良く出来ていて、担ぐと重い。
<江戸端二丁目神輿>昭和3年、安田松慶堂の作。特上の欅を用い、金具の彩色は幾重にも重ねて塗られ、最高傑作といわれる。
<日本橋二丁目通町会神輿>昭和33年、宮本卯助作。日枝神社の本殿遷座祭を祝い作られた。台枠の四面には四神が彫りこまれている。
<日本橋三丁目西町会神輿>昭和28年、浅子周慶作。駒札に見る昔を思う「通三」日本中さがして「通り」を町名にしていた町はここしかなく、隔年に練る。
<日本橋一丁目神輿>昭和59年。駒札は「日本一」の金箔文字が彫りこまれていて、頂部に旧日本橋欄干の擬宝珠を配している。
<室町一丁目町会神輿>昭和13年、行徳の後藤直光の作。魚河岸発祥の町会。魚河岸水神社御本社の神輿は昭和平成に5回しか出庫しない幻の神輿といわれ、それと同型のもの。木彫をほどこさず、木地を見せない錺(かざり)神輿で、鳳凰の翼が大きく、首も長いことが特徴。