「銀座の柳」復活の歴史

 銀座通りの柳は地下に共同溝を設置するための工事に当たって全て抜きとられた。以来、再現することなく今日に至っているもの、周囲には見事に2世・3世柳が育っている。これらは全て8丁目の故椎葉一二氏と勝又重雄氏が、銀座の柳の植えられた日野の苗圃から切って育てた二世柳に始まる。この歴史を勝又氏がきちんと年表に作成したので、紙面で再現した。紙面の都合で一部割愛しました。

昭和59年5月11日 <朝日新聞>目黒区内に残る銀座の柳の紹介記事。この記事により、銀座の柳が3本しか日野の建設省苗圃に残っていないことを知り、深く己の不知恩を反省して、椎葉さんと協力、建設省へ1本でもよいから地元銀座で死に水をとりたいと訴願
12月19日 熱意が伝わり、日野の苗圃に案内される。残された3本の中、2本は腹が裂けているのを見て移植は忍び難く、止むなくふところ枝50本を頂き、これを150本に剪定して川崎の畑や在、椎葉山荘に分植

昭和60年2月 150本中、86本が根付く。
8月 150センチ位に成長した二世柳を御門通り角「8・10ビル」に3本移植
11月11日 中央区長(横関政一氏)室前庭に5本植樹

昭和61年2月13日 三十間堀記念碑脇と並びに4本、天国角、柳通二丁目に各一本を植樹
10月 群馬県沼田市に二本植樹
2月16日(朝日新聞)勝又・椎葉両氏に触発された建設省の国道事務所、東京23区内の国道十字路線の街路樹の植え替え用に、銀座二世柳をあえることを決める。
11月20日 銀座中学と泰明小入口に2本植樹
11月24日 水谷公園と戸越銀座に各1本、山口県伊賀町大島に5本植樹。
(○○銀座は全国に590カ所、戸越銀座は第1号=中村孝『全国商店街』より)

昭和62年2月 京都勘九郎稲荷(清水)に3本植樹(東哉氏の仲介)
3月 中央区の木を柳に制定。御門通り(42本)と日本橋室町一丁目(36本)が柳並木となる。
5月20日 昭和7年の復興記念植樹の柳は、長野県穂高産と知った穂高町長が中央区に柳100本を贈呈すると約束<中央区民新聞>
10月5日 贈呈された穂高の柳、銀座ナイン入口で植樹式。お返しに御門通りの椎葉会長から二世柳2本を贈り、穂高駅前に植樹。

平成元年4月6日 山形県東根市に2、3世柳20本植樹(中央区仲介)

平成3年 福島県へ2本

平成5年5月8日 舞鶴市役所煉瓦博物館の前庭に2本、岐阜県福岡町文化会館に3本植樹。各2、3世柳

平成6年10月13日 横浜市外人墓地内鉄道敷設の恩人、英国人エドモンド・モレル夫妻の墓前に8本植樹。

平成7年9月9日 臨海副都心国際ファッションセンター3号館に5本。島根県出雲市に1本植樹。

平成8年6月13日 京都木屋町通高瀬川沿い、御池下る姉小路横の両脇に2本、他に6本植樹
12月15日 奈良市朱雀門北「平城京跡地」に2本植樹。石碑「ギンザ・シダレヤナギ」を建立。

平成9年5月7日 奈良市荒池畔に18本植樹。柳の来歴説明板などが建つ。中国延安より贈呈された「旱柳」二世30本を銀座に植樹。
泰明小学校の2世柳より3世柳を剪定、職員室の前に植樹。卒業生に小鉢苗をプレゼント。「もとじ」さんの提言で2世柳の染色も発表。

平成11年3月24日 熱海市梅園の中山晋平別荘等に森本良平先生の世話で8本植樹し市長ら参加。
二世柳を染めた「つまみ簪」の名手石田健次氏の発表会、松屋で開催

平成12年2月28日 銀座ピープルの会、京橋公園に2世柳を1本植樹
3月30日 長野県飯山市へ渡辺貴介先生の仲介で8本植樹し記念碑建立
高松、四万十川へ8本、南品川の大龍寺に2本植樹
10月29日 米子市米子東校に2世柳2本、早柳2本植樹。福岡県甘木野島の木処山本覚寺50周年事業として6本植樹(横田氏紹介)
12月19日 2世柳誕生日に「2世柳育てる会」が3世柳50本を育成

平成13年5月 伊豆熱川駅前広場に熱川温泉組合主催、また伊豆サザンクロスに銀座ピープルの仲介で、2・3世柳20本植樹
6月 平成8年に京都新聞社の仲介で2・3世柳が植えられた京都高瀬川に銀座柳の由来銘板が建立され除幕式。
10月 静岡市駿府域跡の駿府公園に日本庭園整備に合わせ9本植樹
11月 江戸川の多田見区長の招待で街路公園に3世柳3本を提供し、盛大な植樹式を開催

平成14年4月 緑の日を期して、神奈川県秦野市の協力と柳町商店会の要望で渋沢駅前に1本、近くの公園に早柳1本を植樹
5月 青森市柳町商店会に2世柳、早柳各1本
6月 岩手県盛岡市、石川啄木と宮沢賢治の故郷へ2・3世柳4本と早柳1本ならびに啄木作銀座煉瓦の短歌に因み、保存中の銀座煉瓦を提供。啄木碑の前で金春通り会主催で贈呈式