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区議会に請願を提出
10月17日に閉会した定例区議会に、「月島の渡し」の記念碑を築地7丁目の区有地に建立するよう求める請願が提出され、文教委員会(押田まり子委員長)に審議が付託された。請願人は7丁目のマンションに住む田口經子さんが代表で他に751人も名前をつらねている。 記念碑を建立するように求めている場所は、明石町の治作に隣接するポンプ所に続く民有地(空地)と道路の間にある三角地。区有地で土地や道路を整理するときに約5坪の区有地が残ったという。現在植木を植樹して民有地(ビル建設予定)とは囲いで画絶している。
請願によると、この場所は「月島の渡し」の在った一部という。築地からの渡しは他に勝どきの渡し、佃の渡しが有名。明治に入って月島に工場が出来るに従い京橋に住む人たちの重要な足となる。とくに月島の渡しの利用者は他の渡しよりも利用者が多かったという。
しかもこれら3つの渡しについての碑はそれぞれ月島側には建立されているのに、築地側には何も立っていないのが実情。
請願した田口さんらは、その願いを明石町区民館の1階にある資料館につとめる清水正雄さんに相談。当地の歴史については造詣のふかい清水さんは快く資料の提供をして請願のバックアップをした。今回の請願には古地図や古い写真が添付されているが、これらは清水さんの協力によるものだ。
「明石町から築地の土地は東京の遺跡ともいうべき誇りある場所なんですよ」と、清水さんは区の協力に期待を寄せている。
明石町には居留地の在ったことから学校の創立記念碑が多い。いま、清水さんには他に2つの記念碑建立の相談が寄せられ具体化しようとしているという。
2中の跡地には住宅と福祉施設の合築ビルが全容を現したが、この公開空地(明石小寄り)に双葉学園の記念碑が中央区によって来年3月にもお目見えの予定。
また都の築地産院跡地は売却され民間企業の高層ビルが完成。この地は聖学院の発祥地。清水さんが間に立って交渉をすすめており、この一角にも記念碑が建立される見込みという。
<請願の趣旨>
この土地(三角形の区道)は、以前、月島の渡し場のあった所です。戦前、隅田川には3つの渡し場がありました。「勝どきの渡し」「月島の渡し」そして「佃の渡し」です。時代と共に運搬手段が船から車に変わり、河川が埋め立てられ、車道に変化する中で渡し場も取り去られ、その土地の端の残骸が三角地(約五坪)として現在残りました。このことを知る人も今は少なくなり、風化されて、運悪ければ使用されない区道として半端物として処分される危惧さえ感じております。現在、緑が植えられ保存されているのが、せめてもの幸運です。
昨今、盛んに企画されている歴史探訪等の見地からも、江戸時代から由緒ある史跡の多い中央区としては非常に重要宝物のひとつです。学問的見地からは無論、大きな公道に面しており人目に付きやすい場所との利点もあり、未知数を多く含んだ場所です。よって記念碑等を建立し、中央区で保存し、後世に伝えていく場所として残して頂けるよう切望致します。
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