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長引く不況は商業の町・中央区に大きな打撃を与えている。日本橋問屋街は約400店が東日本全域を顧客に年間5千億円も販売していたが、最近は6割に落ち込み、ここで衰退をくいとめないと沈んでしまう、との危機意識が高まった。これを受けて中央区は都心再生会議をふまえ、初めての手法として「産学連携」を打ち出し、協議の末、文化服装学院との提携にふみ切った。奉仕会館の2階を学生に無償で開放。ここに「工房」を開設、商品コーディネートの展示を始めた。店のものと違う意外性が勉強になる、と商店主さんにも好評だ。学生たちも訪れるたびに「商品選択力が養える」と意欲的。こうした成果が20日(木)に東日本橋3丁目の東実健保会館6階大ホールで午後2時から開かれる「ファッションショー」で発表される。問屋街での取り組みをまとめた。
20日にファッションショー
都心再生で具体化
日本橋問屋街の産学連携は昨年6月に設置された中央区都心再生会議に始まる。人口の急増、続く不況、産業構造の急変といった環境の変化に対して、中央区再生の手だてを打ち出そうと、矢田区長の提案で設けられた。その産業部会において「東日本橋・横山町地域の繊維卸産業」を再活性化していく手法のひとつとして「産学連携」を昨年9月に打ち出した。
日本の商業発祥地として繊維問屋街は江戸開府からの歴史を誇る。特に東日本を商圏として現金問屋街としての信用を築き、営々とその地位を築いてきた。ところが長引く不況と何よりもデフレ経済の進行で流通機能そのものがその存在を問われる時代に突入した。倒産が相次ぎ、各問屋はリストラを余儀なくされ、倒産した大手企業の跡地には問屋街には全くミスマッチの高層マンションが次々と顔を表わした。こうした現状への危機意識をもとにして、現場の問屋経営者が膝をつきあわせて協議し、こうして「産学連携」という初めての手法を取り入れることになった。
2千人が問屋街へ
連携する相手にはファッション流通の学校として知られる最大手の「文化服装学院」に白羽の矢が当てられた。今年2月、矢田区長は学校法人「文化学園」の大沼淳理事長あてに「貴校と地元問屋街との協議に基づき、例えば繊維問屋街に工房・研究室を開設し、イベント等の共同開催などが地元案として考えられております」として協力依頼の文書を送った。これに応じて文化服装学院との第1回目の会合を3月に開催。
地元問屋街もこの構想に対して、東京問屋連盟と横山町奉仕会が合同で事業を推進することで初めて合意した。さらに東京商工会議所も全面支援することになった。
文化服装学院はまず問屋街の歴史を学ぶことから始めると同時に問屋街の市場調査にのり出した。今年の6月にスタートして今まで問屋街を訪れた教員、生徒は2千人をこえる。奉仕会の小嶋晴三郎会長が問屋の歴史を講演し、また大沼理事長ら教官も問屋街を視察するなど、交流は急速に深まり、ポスターが各店に貼り出され、「トンヤdeサファリ」のシンボルワッペンや「お仕入れマップ」も完成、そして奉仕会館には「工房」も開設された。
文化祭で成果発表
今月の2日、新宿にある文化服装学院で創立80周年記念の文化祭が開かれ、問屋街の経営者50人近くが視察に訪れた。この間、問屋街で学んだ成果がまとめられ発表された。また問屋が提供した衣類やグッズの直売も開かれ人気をよんでいた。大沼理事長とも会い感謝の念を伝えるとともに、同理事長は「今のところ行っているのはイベントですが、3年の約束の期間がありますので、何んとか成果をあげたいですね」と、意欲の程を示していた。
問屋街を訪れた学生たちはその存在すら知らなかった人も多く、当初は小売と異なるシステムに違和感があったものの、小嶋会長の「この町はいろいろなモノが詰まっている、宝箱のような町だ」という説明を肌で実感していると言う。アンケートで自分でバイヤーとして横山町・馬喰町では仕入れしてみたいかの質問に66%がイエスと答えている。
20日のファッションショーを契機に産学連携は新たな局面に入っていくものと期待されている。
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