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プロフィール
昭和23(1948)年1月1日生まれ。東京大学経済学部経済学科を卒業後、三井物産で約3年半の勤務を経て、1973年より、創業140年の伝統をもつ元祖佃煮「日本橋鮒佐」に入社、3代目である祖父のあとを継ぎ4代目店主に。その傍ら、日本橋一歩会第2代目会長として5月より2期目を迎え、日本橋を再び活気ある街にと、街づくりに尽力している。海外旅行が共通の趣味という奥様との間に3人のご子息がおられ、プッチーニ、ヴェルディ等のオペラ鑑賞が何よりの楽しみという。
 
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 江戸時代、日本橋は諸街道の起点として、また商業の街として栄えていました。明治になると経済の中心地となり、今でも江戸時代から続く老舗やこだわりの店が点在しています。しかし昨今では、百貨店が閉店したり、裏通りに空地が目立つようになる等、街に以前のような元気がみられないと懸念されています。また会社帰りの人達は周辺部へと流れてしまうため、日本橋で働く人と街との関係が希薄になっているのも商店の悩みの種です。140年もの老舗暖簾を守りながら、新しい世代の人達と共にこの街の活性化に力を注いでいる日本橋一歩会第2代目会長の宮内隆平さんにお話をおうかがいしました。
 
中央区との関わりはどのようなものでしょうか?
 
 文久2年から続く「日本橋鮒佐」は、もともとは母の実家で子供の頃は台東区谷中に住んでおりましたが、この日本橋室町の店にはよく遊びに来たものです。というのも、当時は時代が時代で、祖父は旦那、祖母はお女将さん、そして長女の長男である私は「お坊ちゃま」として皆に大切にしてもらえ、大変居心地がよかったのです。珍しいおやつをもらったり、映画館に連れて行ってもらったりと、楽しい思い出の尽きない場所です。当時の「煮かた場(製造所)」はまるで別世界、少年時代の私にはそれがおもしろくてたまりませんでした。着流しに信玄袋がトレードマークの自由気ままな、しかしどこか風格のあった祖父、路地で縁台将棋をする人の姿等、当時の懐かしい風情が思い出されます。商社勤めを辞め、叔父に代わって店を継ごうと思ったのも、この店の伝統の味を絶やしたくないと思う気持ちからでした。
 
日本橋一歩会についてお聞かせください。
 
 日本橋一歩会は、日本橋北、室町、本町の商店会の店主や事業所の人等、40人で構成されています。役員の定員を55才としたのも若手を糾合したかったためです。1986年、自分たちのための活動が中心になりがちな町会の形を打ち破り、外に向かった活動をしていこうという趣旨のもと発足しました。この街に興味があり参加したい人ならどなたでも、という会則の通り開かれた商店を目指しています。
 
日本橋一歩会の具体的な活動について、お聞かせください。
 
 「イベントで街おこしを」と、毎年新春には懸賞付の「駅伝優勝校当てクイズ」、4月の「名橋日本橋祭り」や10月の「秋のパレード」では協賛で露店を出す等、3つのイベントが年中行事となっています。これらのイベントは10年程前から続けているのですが、終わってみると人が集まったのはその時だけで誰も日本橋のファンが残っていないという状況が残りました。そしてそれはリピーターとなってもらえるような仕掛けがないからではないか、という反省と課題が浮かび上がってきたのです。
 多くの人に何度でも街に訪れてもらい、日本橋の活気をもう一度取り戻すため、昨年9月、当会が中心になって立ち上げたのが「日本橋活性化フォーラム」です。
 
日本橋一歩会が発起人となった「日本橋活性化フォーラム」についてお聞かせください。
 
 メンバーは、日本橋を日頃利用しているサラリーマンやOL、また日本橋に興味がある幅広い世代の人達約30人です。既に昨年9月から8回の会が開かれており、前回の発表会においては、マップの作制やガイドの育成、手書きチラシの配布等、ユニークなアイディアをグループごとに出し合い、意見の交換をしたところです。当会の呼びかけで自発的に集まってくれた人ばかりですので発足時から現在まで大変意欲的な取り組みが見られます。今後は、これまでのプランニング作りに加え、実行計画の段階に入り、実際に日本橋をいつも利用しているメンバー達が、商店と連携しながら街づくりの主体となり、足で歩き、舌で味わい、手で触れて、その実体験から街の魅力を再発見してもらえればと願っています。このフォーラムが、そのような活動する市民を育てるゆりかごになり、ここからNPOが育つようなプラットフォームになることが、私の構想であり夢なのです。そしてこの夢を共有できるメンバーをもっと増やしたいと思っています。
 
中央区の次世代を担う若者として伝えていきたいことは?
 
 昭和37年以降の経済発展から、新幹線・東名高速道路・インターネット・携帯電話等、人々が欲しくてできたと思い込んでいたものは、実はいらないものばかりなのではないかと思うのです。一方、都電・路地・一家団欒・縁台将棋・井戸端会議等々、なくなったものの中には必要なものばかりが目立ちます。この40年は、そんな大事なものを失った時間だったのではないでしょうか。後戻りするのは大変かもしれませんが、それを取り戻さないといけないと切実に感じています。インターネットやメール等、机上で行うバーチャル体験に留まらず、それを裏打ちする実体験を意識しながら利用することが大切だと思っています。例えばインターネットでお店を知ってもらったら、実際に街やお店に訪れて実感してもらう等、実生活の中でもう一度世の中を見直してみることが大切だと思います。
 
 江戸時代、初代が考案した、鮒を開き串にさして甘辛のたれで付け焼きをした「鮒すずめ」が昔から日本橋鮒佐の看板ですが、現在は花豆にカカオパウダーをまぶした「チョコ福豆」が店のもうひとつの顔になっています。140年の技と味を守りながら、新しい商品の開発にも余念のない宮内さんの温故知新の発想は、ご自身の進めている街づくりと共通するところがあると思いました。モットーは「荷物を一人で背負わないこと」だとか。これからも、若者達をリードしながら、共に街づくりの夢を分かち合い、この活動がいつか再び元気な日本橋の姿を取り戻す起爆剤になる予感を感じました。

2002年4月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  






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