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日本橋トップインタビュー

HOME > 日本橋トップインタビュー >六代目 澤村 田之助
2013年 日本橋美人新聞冬春号掲載
美人は日本橋で創られる

六代目 澤村 田之助

 
インタビューアー:山田 晃子
EDO ART EXPO 総合プロデューサー
日本橋美人推進協議会プロデューサー
(特非)東京中央ネット副理事長
(一社)日本江戸クラフト協会副会長
(株)ヤマダクリエイティブ代表取締役 ほか

 


澤村田之助(さわむらたのすけ)
学習院大学政経学部卒業
国立劇場歌舞伎俳優研修所講師。
舞踊の名取名は藤間勘之。
一中節の名取名は都之中。

山田  本日は、平成14(2002)年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けられた歌舞伎役者の六代目澤村田之助さんをお訪ねし、日本橋と日本橋美人についてお話を伺います。澤村さんは9歳から70年以上にわたり歌舞伎の世界でご活躍されていらっしゃいますが、ご経歴についてお聞かせください。
澤村 私は昭和16(1941)年の初舞台で、四代目澤村由次郎を名乗り「伽羅先代萩」の鶴千代を演じました。戦前は津々浦々に芝居小屋があり、歌舞伎も一座を組んでの地方巡業が盛んでした。戦時中は興行への同行を余儀無くされ、通っていた銀座の泰明小学校には思うように行けませんでした。昭和20(1945)年の東京大空襲で自宅が全焼し、伊東に疎開をしたのを機に役者の道からは遠ざかっておりましたが、戦後は先輩方の支えもあり菊五郎劇団に復帰しました。女形になったのは自らの意思というよりも、名を馳せていた七代目尾上梅幸氏や三代目尾上多賀之氏の元で学ばせていただき、自然に進むべき道が拓けていったからだと思います。また先に娘方として活躍していた市川男女丸(後の大川橋蔵)が映画俳優になったので、その穴を埋めるべく私に配役がまわり得をしたという経緯もありますね(笑)。
 昭和39(1964)年に歌舞伎座で、「神霊矢口渡」のお舟などで六代目澤村田之助を襲名披露いたしました。今まで女形、二枚目、老け役とさまざまな役を演じる機会に恵まれ、現在は国立劇場の養成課で後進の指導を行っています。
山田 お祖父さまの七代目澤村宗十郎氏をはじめ、七代目松本幸四郎氏、六代目尾上菊五郎氏など錚々たる方々の舞台に立たれましたが、特に印象に残っている方はいらっしゃいますか。
澤村 今では考えられないでしょうが、昔は幼いからといってお稽古事で手加減されることはございません。十五代市村羽左衛門氏の舞台に子役として出演させていただいた折には、先輩方に芝居が拙いと遠慮会釈もなく叱られました。十一代目都一中氏に一中節を習っている時に、バチでひっぱたかれた事も一度や二度ではありません。しかしながら、子役の時から稀代の名人達に厳しく指導を受け、そばで舞台を直に拝見したり、お人柄に触れたことは私の生涯の財産です。
 特にインパクトがあったのは「大菩薩峠」で共演した十一代目市川團十郎氏でしょうか。彼の演じる机竜之介が狂気して哄笑する場面は、実に凄みがあり今でも忘れられません。
山田 幅広い役柄を演じていらっしゃいますが、思い出深い舞台はございますか。
澤村 七代目中村芝翫氏は病弱な方でしたので、よく代役を務めさせていただきました。「加賀見山旧錦絵」の尾上の代役も私に急きょ決まり、短期間で長台詞を覚えるために寝ずに必死で勉強しました。なんとか初日を迎えて関係者にお褒めいただいたのも束の間、六代目中村歌右衛門氏から手紙の読み方のシーンが良くないとご連絡があり、夜半に延々と電話でご指導いただいた事も今では有難く懐かしい思い出です。

 

山田 江戸から続く伝統や文化を継承していくに当たり、どのようなお考えをお持ちですか。
澤村 私は歌舞伎の演目の中でも、江戸の町人社会や世相、風俗を扱った世話物が好きです。それは粋や情などが具現化されているので、自然に江戸文化のエッセンスを感じることができるからです。
 また、歌舞伎は演劇・舞踊・音楽の各要素を備えた総合芸術ですから、後輩達には平素より舞台を見て、その中でしか得る事のできない臨場感を体得することが重要だと言っています。
山田 2013年9月27日〜10月15日に開催した「第6回EDO ART EXPO」では、中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など60カ所以上が会場となり「江戸の美意識」をメインテーマに、江戸から続く伝統や文化、歴史などに関わる展示を行い、国内外から約40万4千人もの方が各会場を訪れてくださいました。特に本年は、第5期歌舞伎座の新開場を記念し、役者絵を含む浮世絵も数多く展示し、歌舞伎座タワー5階の「歌舞伎座ギャラリー」や、同じく地下2階の「木挽町広場」が新たな会場として加わりました。
澤村 「EDO ART EXPO」は、日本橋から始まったイベントだと伺っています。街の方々の心意気で「江戸」をテーマにネットワークを広げながら、6年も継続しているとは素晴らしい事業ですね。このような地域と連携したイベントに参加することで、より多くの方々に歌舞伎座に足を運んでいただく機会が増すことは喜ばしいですね。
山田 澤村さんご自身の、日本橋のお気に入りのスポットはどのようなところですか。
澤村 日本橋といえば、昔からの思い出がいろいろとある所です。芸事が上達するようにと六歳の六月六日から、初代藤間勘四郎氏の日本橋の稽古場で日本舞踊を習いはじめました。私は、戦時中にも関わらず振袖を着てバスで通っていましたので、他の乗客から奇異な目で見られ、随分と恥ずかしい思いをいたしました(笑)。お蕎麦は昔から大好物で「室町砂場」には、今でも変わらずに通っています。
山田 澤村さんにとっての「日本橋美人」とはどのような女性でしょうか。
澤村 私は、後進の指導の際に物事の常識を学ぶこと、芸や舞台への謙虚な姿勢と真摯な努力が本当の自信をつくり役者としての層の厚さに繋がると教えています。日本橋美人も常識はもちろんのこと、周囲への配慮を怠らない美徳を兼ね備えた女性であってほしいと思います。イメージとしては年齢を問わず、誰からも愛される素質をもった可愛げの有る女性です。
ファッションポイント
草花をあしらい、流れのある熨斗目文様がより一層に優雅な印象を与えます。袋帯は白地に金の錦織で、色めを抑えた小物使いが豪華さを演出。パーティーや式典にもお召しいただける「日本橋美人」に相応しい品のあるコーディネートです。

撮影協力 ロイヤルパークホテル パラッツオ
ヘアメイク La Vida
着付け 花影きもの塾
衣 装 和Beauty HANAKAGE
撮 影 山上 忠
※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。
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